言語構造を考えるに関するmeltyloveのブックマーク (258)

  • 全部ビッグバンのせいだ - 漫画皇国

    世の中にはどうも因果関係というものあるらしく、何かしらの結果には何かしらの原因があるそうです。原因という概念が、結果とセットになる存在なのであれば、その意味するところはおそらく「その原因さえなければ同じ結果にはならなかった」ということでしょう。 例えば、机の端に置いてあったペットボトルが床に落ちたという結果があったします。その原因は何でしょうか?「僕がうっかり肘を当ててしまったせい」ということは原因の条件を満たしていると思います。なぜならば、僕が肘を当てなければ、そのペットボトルは床に落ちなかったからだろうと考えられるからです。 しかし、そう考え始めると、原因は他にも無数に選べるのではないでしょうか?例えば、僕という人間が誕生しなければ僕の肘が当たってペットボトルが落ちるという事象は存在しなかったでしょう。つまり、ペットボトルが床に落ちたのは、「僕の母と父が出会ってしまったから」と考えるこ

    全部ビッグバンのせいだ - 漫画皇国
    meltylove
    meltylove 2017/04/17
    "世の中のあらゆることはビッグバンが原因であるということにもできるのに"
  • 機械知性の生まれ方 - すべての夢のたび。

    非常に興味深く読まさせていただきました。むずかしいことばはほとんど使われてないので、ご一読をお薦めします。 英語のルール(文法規則)があって、日語のルールがあるとする。今までは、話されたもの、書かれたものからこのルールを抽出してやって、ルールとルールの間の変換規則を作ってやって、それでコンピュータに機械翻訳をやらせていました。入力と演算(変換規則)があって、出力を得ていたわけです。 ところがニューラル機械翻訳は違う。まず入力(例)と出力(例)を用意するのです。英語の文と、それを翻訳した日語の文、そいつらをとにかく大量に用意してやって、コンピュータにガンガンわせるわけです。するとコンピュータは、こんな感じの文だったら、こんな感じに変換すればいいんだなって、なんとなく規則を学んでしまう。主語やら述語やら名詞動詞形容詞やらの概念すらなしで、それをやっちまう。 でもこれって実は人間がやってい

    機械知性の生まれ方 - すべての夢のたび。
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    meltylove 2016/10/24
    入力と出力を喰わせまくって勝手に規則を抽出させるコンピュータ。言葉に限らない(可能性の)ところめちゃくちゃたのしい
  • 絶望的な幸福が始まる - OjohmbonX

    妖怪の娘 八十歳はぜったい過ぎてる。なのに妊娠してる。しかも足がぐちゃぐちゃ。どーなってるの? 優先席の権化みたいなおばあさんがこっちに来る。優先席に座ってるぼくの方へ! おばあさんがぼくの前に立った。全身に大量の「おなかに赤ちゃんがいます」のキーホルダーをつけてる。思わず見上げると、おばあさんはぼくをガン見してた。白目をむいてるけどぜったいぼくを見てる。そしてガクガク震えてる。 席を譲った方がいいのかな? でもこう見えて実は元気かもしれない。いいんですいいんですって席を譲らせてくれなかったら恥ずかしいじゃん。老人扱いするなって怒られたら恥ずかしいじゃん。 「せ、席を、譲っていただけないでしょうか」 ほとんどヤスリで木を削るみたいな音だったから聞き取りづらかったけど、おばあさんがぼくにそう言った。それでほっとして、公式に席を譲ろうと思って立とうとしたら、いきなりとなりのサラリーマンがぼくの

    絶望的な幸福が始まる - OjohmbonX
  • 「やる気がないなら帰れ」とポリコレダブルバインド - ←ズイショ→

    ネットなんかで永らく繰り返されている「正しすぎる正義」「正しすぎることの何が悪い」の話題ですがぜんぜん正しくも何ともないことがわかったのでそれを書きます。 あのー「やる気がないなら帰れ」ってあるじゃないですか、よく腹立つ教師とかが使ってきてたやつ。あれってずるっこいですよね。実のところ言外に要求してるのは「俺に逆らうな」「俺の言うとおりにしろ」なのは明らかじゃないですか。しかし言葉のうえでの質問は「やる気はあるのか?」です。「先生の教え方は理不尽です」と言っても「そんなことは聞いていない。やる気はあるのか?ないのか?どっちなんだ」ってな調子です。こう言われると大抵の子は啖呵を切って教室を出ていくのも大変なので「やる気あります。帰りません」と答えざるをえません。相手の思うツボですね。ここでやる気があると表明したことを褒めてきたりするのもむかつきますね。飴と鞭のつもりかよ。なお、この場合は

    「やる気がないなら帰れ」とポリコレダブルバインド - ←ズイショ→
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    meltylove 2016/09/16
    この補助線というか整理、ほんとうにあってくれてよかった(この世の何十センチ範囲かには平和なり幸せなりを生んだ)と思った
  • 題詠100★2016 001-010 - ツチノコ hyphen

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    meltylove 2016/04/05
    "欠席の机はゆっくり溶け込んで中休みにはなくなっている” がすごく好き。
  • 飾りとしての「断言」しか持っていない人 - やしお

    <アーティストって肩書きは「人権侵害します」って意味>とツイートしてみんなからツッコまれてた人のトゥギャッターのまとめをついつい全部見てしまって、筋とは関係ないんだけど、何かを「断言する」という行為についてかなり感覚が違うのかもしれない、と思った。 「断言する」というのは、徹底的に疑って、疑い尽くして、それでも「(この条件が仮定された場合)こうでしかあり得ない」という結論に至ってようやく断言することができる。疑い尽くしてっていうのがちょっと大袈裟かもしれないけど、少なくとも色んな面で検証して、その論の耐久性を確かめるという作業があるから断言できる。そういう認識を持っている。 あ、でもこの人はそういう認識を共有してないんだ、と読んでいて急に思った。たぶん「断言する」という行為を、相手を威圧したり論に説得力を持たせたりする、外装の一種だと思っている。その人にとっては「だと思う」と「だ」は意味

    飾りとしての「断言」しか持っていない人 - やしお
  • 文章の型について、逆再生バージョン - 意味をあたえる

    最近他のブログで「毎日ブログを更新するには、文章の型を決めるのが良い」という主張を見かけ、ほとんど脊髄反射のように「型なんか決めたら、すぐに飽きてしまってとても毎日書くなんて無理だ」と思考した。私は型、と聞いてクッキーの型のようなものを想像し、するとクッキーのような記事ばかりになってしまうぢゃあないか、と憤慨したのである。例えばクッキーは美味しいから、一週間べ続けることは可能かもしれないが、一年とかは無理だ。ブログを毎日更新、というのが一体どのくらいの期間を指すのかは知らないが、おそらく3ヶ月とかなのだろう。3ヶ月をクッキーのみで過ごすのは厳しい。先ほど私は一週間なら可能、と書いたが、よほどの味じゃなければ一週間でもきつい。美味しい味だと尚つらい。だから、ほどほどの美味しさの、白米のような記事を書かないと続けられない。 この前保坂和志の文章を自動で吐き出すTwitterのアカウントを見た

    文章の型について、逆再生バージョン - 意味をあたえる
  • 2015年12月19日の断片日記 - Wowee Zowee !

    ▼10代のための、とか高校生のための、といった言葉が冠されているをわりとよく読むようになったのは、なにもコンプレックス(コンプレックスだ?)が刺激されるとかそういう話ではなくて、そういう「入口」に戻った方が良いことがあまりに多いのではないかと思ったからだ。そして、子供たちにオススメを問われたときに、「好きなものを読んだらいい。読むべきなんてこの世にはない。自分にとって読まなければならないは適切なタイミングで向こうから語りかけてくる。そのためには、その時の気分に忠実に活字にアクセスを続けることが重要。「読める」状態に、の語りかけてくる声が聞こえる状態にはなっておくんだよ」みたいな内容以外の具体の解答を用意したいというのもある。切羽詰まった人もこの先現れるかもしれないので。 ▼それで、いまは『高校生のための文章読』を読んでいるのだけれども、これがなんだかそのもののテンションが高くて

    2015年12月19日の断片日記 - Wowee Zowee !
    meltylove
    meltylove 2015/12/21
    すごく好きな文章だった(短歌まわりのシンクロの気持ちよさもあった)
  • エモ - learn to forget

    あなたの日記を読むべきはワタシでしょっていう気分になることがあって、その不遜さも悪くないんだけど、やっぱちょっといかんよねって思って言わないのだけど。たまに、というかしばしば、みんなもっと詩人になってくれって思うことがあり、それは結局、叩きつけるような日記を、偏見と感情をがっつり見せてくれってことなのかも、って思った。わたしもそういうのを書いたりするけど、けっきょく下書きに入れっぱなしだったりする。みんなもそうなのかもしれない。 承前の文で「エモい」を使いかけてやめた。エモいをひらいた結果が「偏見と感情をがっつり見せてくれ」であった。このふわっとした言葉は便利だけれど、わたしが文章を書く上では使わない方がいいな。しかしエモさ。エモさにはどうしようもなく惹かれることがある。 書きはじめはエモに突き動かされることが多いのが、書いているうちに収束してきたり冷静に分析してみたりお得意の話がそれるこ

    エモ - learn to forget
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    meltylove 2015/12/21
    "書きはじめはエモに突き動かされることが多いのが、書いているうちに収束してきたり冷静に分析してみたりお得意の話がそれることも多くて多くて"
  • 他人のブログの面白かったフレーズ15 - かんそうブログ

    ブログを始めてから他人のブログを読む機会が増え定期的にブログもいくつかあるのですが、やっぱり個人的には画像ベタベタの記事よりシンプルな文章だけのブログの方が好きです。 同じ内容を書いていても書き手によってその表現の仕方は様々で一人ひとりの文章にその人となりが現れていて顔も名前も知らないのに面白いです。 でも自分が他人ブログを読むときはその記事の内容とか思想は割とどうでもよく、つい1つのフレーズ・表現に目が行きがちなワンフレーズ中毒です。 というわけで、面白かった他人のブログ記事のフレーズを勝手にざーっと15個紹介します。 当はもっと読んでるブログあるんですけど、紹介できなかった人はあとでお祈りメール送っておきます。 お前の話もこの話もつまらない - ザラメ通り628番地 そんなことしたら露出狂の自意識がおっきくなっちゃうよ! 昨日書かれたコメントに対しての返信 - なにか 糞の投げ合い

    他人のブログの面白かったフレーズ15 - かんそうブログ
  • 天使と悪魔のなぞなぞっていうのを作ってみた : キニ速

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    meltylove 2015/11/17
    即座に答えられている人の頭の動きが聞いてみたい
  • 短歌の楽しさ、難しさ - 意味をあたえる

    私はそもそも短歌に限らず、なにかテーマを設けてそれについて述べるみたいなのが苦手で、どうして苦手なのかを考えると、どうやら出題者を満足させる答えを出そうという、無駄なサービス精神が働いてしまうせいだ。これは、おそらく学校教育の中で、「良い子でいたい」「褒められたい」という欲求がはぐくまれてしまったせいだ。私は割に、人に褒められることの多い人生を歩んできたように思う。そういうのが、足枷になってしまうのだ。 だから私は、周りが注目していないとき、期待をされていないときのほうが力を発揮でき、周りの度胆をぬくことも、たびたびあった。そして、「あいつすごいじゃん」みたいな目に周りが変わると、駄目なのである。見方を変えれば、私はプレッシャーにものすごく弱い。 しかし、そういう性格にいくらか希望があったのかもしれない。そういう性格を自覚した私は、ここ一番以外はなるべく注目されないよう心がけた。「テーマ」

    短歌の楽しさ、難しさ - 意味をあたえる
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    meltylove 2015/08/24
    "という理由になりそうだが実はそうではなく、今までとは違う思考ができたからである。違うから、新鮮だし負荷も、時間もかかる。そうこうしているうちに、他人の言葉が馴染み、自分の言葉となっていったのである"
  • 成功体験はワンパターン - 意味をあたえる

    アンナ・カレーニナの小説の冒頭で「すべての幸福な家庭は似たようなものだが、それぞれの不幸な家庭は、それぞれの姿で不幸なのである」というのがあって、同じようにブログでも誰かの成功体験をつづったものはワンパターンであることに、最近気付いた。おそらく、成功者じたいの人生にはそれぞれの山場なりがあるのだろうが、そのエッセンスを抽出すると驚くほど似通ってくる。別に驚きはしないが言葉のあや、文の勢いでそう書いた。「まあそうだろうな」という感じである。結論ありきで書けばそうなるのは仕方がない。ワンパターン、というのは、例えばなんとか社長の「なんとか」の部分を「孫社長」「田選手」などに置き換えても、違和感なく読めてしまう。「孫社長社長」は違和感あるが。 だからその手のブログの愛読者や、書いている人というのは書かれたものを楽しむというよりも、それによって自分を洗脳しているのではないか。反復は洗脳の良手段で

    成功体験はワンパターン - 意味をあたえる
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    meltylove 2015/08/24
    "いう簡素な自我崩壊に陥ってしまう。崩壊を防ぐためには第三のエリアに、行かなければならない。そこへ行くためには、自分のオリジナルの言葉なり論理なりを駆使しなければならないから"
  • 卒塔婆と短歌 -

    2015-08-21 卒塔婆と短歌 スターやブコメをたどって、このブログにくる方がいる。そういう状況で、自作短歌記事がトップだといろいろ闇が増大するから、なんか書こうと思った。思ったはいいが、自分の考えや生活について書くのは、今のはてなでは面倒だ。そうかんがえると、短歌について書くのが文脈としていちばん気楽。短歌について語ってる人が多い今のタイミングなら、こっそりまぎれられそうだし。短歌の目に応募する前に、たまたま手にとった俳句で「短歌は575で状況を書いて77で自分の心を読むんだ!男はだまってどまんなかストレート!」と書いてあった。なるほど~と思い、どまんなかストレートばかり投げてたらホームラン打たれまくって負けたので「おいおまえどういうことだ」と問いただした。「だっておれサッカーしかやったことないから野球しりたいなら野球のコーチ探せよ」と言われ、せやなと思いながら、甲子園球児風に市

    卒塔婆と短歌 -
  • 「屁理屈を言うな!」 - jiqvuwqwpgcのブログ

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    meltylove 2015/07/01
    屁のように「不快」な理屈、って切り口、かなり目ウロコかも
  • 木下龍也『つむじ風、ここにあります』 - 巫女だって人間です。

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    meltylove 2015/07/01
    "「ロボットの涙は油」以降の、わかりやすい虚構が自然と溶けこんでしまっている半現実世界(私は世界の割れ目だとか裂け目だとか呼んでいる)がすごくヒットしている"
  • ひとりですべてを代表するなんて - learn to forget

    みんなに同じ質問をして、ひとりずつ答えたときに、自分が全体と化している、意識、というようなことを考えた。わたしが一番手で、質問に対してひどく簡略な回答をしてしまい、続く人々が意見をのべるごとに、そうか、そういうことを答えたらよかったんだ、というようなことに気づく(気づくというか、思わされる、のだけど。それは場の空気を読み、流される、ということで)。 自分(人々)が何がわからないかわからない、ってメモにあるけど、これで合ってるんだろうか。ともかく。言われてはじめて気づくことがある。しかしそれだって、全部頭の中にあったよと思うことである。いやでも、言語化していないのだから、なにを言ってもだめだよ、という気もする。頭の中で、いろいろなものごとが計算されて、枝葉を取り払ったうえでの、最前の回答であったのに。 今となって、ああ、みんな分の会話をひとりでして結論したんだとわかった。何人かがひとつずつ意

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  • 【胸焼け必至】累計文字数1000000字突破記念・過去エントリ紹介祭り - ←ズイショ→

    この記事の目次です 1.ご挨拶 2.男女恋愛 3.コミュニケーション 4.言葉 5.身体・感覚 6.コンプレックス 7.インターネット 8.ウケ狙い 9.世界解釈 10.結び ※過去エントリの紹介が始まるのは2~9でジャンル毎に紹介する形になっています。好きなところだけお読みください。 1.ご挨拶 いつも御贔屓頂きありがとうございます、ズイショです。 ブログは現在で開設から大体二年半には足らないくらいなんですが、まぁなんか気の向いた時にその時喋りたいことをバババーッと書くだけの何の計画性もない感じで続いてるんですけど、たまになんか怒られたりもしますけど面白がってる人がたまに視界の端に入ってそれがなんやかや嬉しかったりなどの助けもありまして今のところはブログやめるイメージはまるで湧かない程度には楽しくやらせて頂いております。 それで、その時書きたいことを書くだけのグチャグチャなブログなん

    【胸焼け必至】累計文字数1000000字突破記念・過去エントリ紹介祭り - ←ズイショ→
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    meltylove 2015/06/17
    ジャンルの切り分けかたが好きな形だった。新デザイン読みやすいです。
  • 言葉は行動か - learn to forget

    行動は言葉か、ではない。言葉は行動か、である。 かたる、はなす、いう、かく、つたえる、なんでもいいのだけど、これらは行動である。動詞である。これらは「言葉を」という目的語をとる。とれる。これらはしばしば、「言葉」と混同されるように思われる。つまり、「かたる、すなわち言葉」というように(この論理に飛躍はないだろうか)。しかし「言葉」は名詞である。動詞のように活用もしないし、柔軟性はない。続く単語にかつがれて表情を変える。 「言葉」は「行動」と同じレヴェルの単語である。「言行一致」などといったときには「言動」に対して「行動」が比較対象として並列されている。 そしてこれは、概念ではなく現実世界でのふるまいについてなのだが、「言行不一致」があった場合に、わたしは(多くの人は、かもしれない)「行動」を信用することにしている。つまり、話す言葉より実際の行動がその人の真意を語るのだ、というような(もしか

    言葉は行動か - learn to forget
  • 保坂和志「未明の闘争」 - 意味をあたえる

    鎖の一方の端にふれたらもう一方の端がゆらいだという、あの話のことだ。農婦のワシリーサが泣き出し、娘がどぎまぎしたのは、たったいま学生が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、この二人の女にも、この荒涼とした村にも、学生自身にも、すべての人になんらかの関わりがあるのは明らかだったからだと、チェーホフの『学生』の主人公であるところの学生は思った。 「老婆が泣きだしたのは、彼の話しぶりが感動的だったからではなくて、ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。彼女がペテロの心に起きたことに身も心も引かれたからだろう。」 冬に逆戻りしたような春先の寒い夕暮れ、学生が田舎道をひとり歩いていた。すると農婦と娘が焚火をしていた。学生はその焚火にあたらせてもらうことにして、しばらくそうしていると学生は、イエスが大祭司にとらえられたとき逃げたペテロもこんなふうに焚火にあたったのかと感じた。農婦たちもよく知

    保坂和志「未明の闘争」 - 意味をあたえる
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    meltylove 2015/03/22
    ”「鎖のどちらの端なのか?」というのが、もう保坂和志っぽくて、私は嬉しくなり、私の頭の中も保坂和志になって、もう、ここを引用せずにはいられなくなり、引用した。肩が凝った"