ここでまず考えなければいけないのは、「殺す」という単語について。「殺す」という言葉は、意図を持って何者かを死に至らしめることだ。動物の場合、獲物の死そのものを意図しないため、単に食べる、捕獲する、という言い方が使われる。つまり、「殺す」という単語を使った時点で、倫理宗教法律が出現している。倫理宗教法律を抜きにして、「死」は定義できるが、倫理宗教法律を抜きにして、「殺す」という単語を定義することはできない、と、世界の60億人が否定しても、私は思う。酒酔いでも安全運転でもぶつかった人間は死に至る。それを、「殺す」と表現するかどうかは、倫理宗教法律の範疇だと思う。 こっちで言及されてたのは気づきませんでした。で、例えば殺人事件のニュースなんかが報道されるとき、容疑者の動機としてよく「邪魔だった」的なことが言われるんですけど、それも、邪魔だから排除しなくては→結果的に殺人、みたいな感じなんじゃない