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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (40)

  • 「インターネットではチャンネル争いが起こらない」 - シロクマの屑籠

    テレビを一人で観るようになったのはいつ頃からだったろうか。 昭和30年代の写真を探すと、町角で大勢の人がテレビを見ている風景を見かける。この頃のテレビは、かなりの確率で“みんなで観る”ものだった。一家に一台テレビが普及した後も、テレビはやはり皆で見るものだった。一家に一台しかないテレビだからこそ、“巨人、大鵬、卵焼き”という言葉や“チャンネル争い”という言葉が存在していたのだろう。 視聴番組を巡るコンフリクトがあった = 皆が自分の見たい番組だけ観ていたわけではないということでもある。大人が子ども向けアニメを観ざるを得ない時もあっただろうし、ニュースや時代劇を子どもが観ることもあっただろう。家族という小さな器のなかとはいえ、テレビは一人で観るものではなく、自分が観たいものを観たいだけ観れるものではなかった。 ところが昭和の終わりになると、ひとつの家庭がテレビやビデオデッキを複数保有する、そ

    「インターネットではチャンネル争いが起こらない」 - シロクマの屑籠
  • あなた、食べログの星の数で味を確かめてるんですか?――メシを食わずにテキストを食っている人達 - シロクマの屑籠

    べログという病。|from_NY 山直人のブログ 上記リンク先の「べログという病。」という記事が興味深かった。その主旨は、 べ物を巡る情報や評価がネットに溢れるようになった結果、自分のべているものについての他人の評価が目に入りやすくなった。その結果、自分がちゃんとおいしいものをべているのか心配になったり、余所の人のほうが自分より良いものをべているんじゃないかと嫉妬を抱きやすくなったりするようになった。 といった内容だと私は把握した。 なるほど、この感性は確かにビョーキだ。「べログという病。」というタイトルをつけるのもわかる。コミュニケーションツールが領域にまで拡張すれば、こういう感性が現れてきてもおかしくない。そしてべログのようなネットコミュニティができれば、“グルメ通”を気取りながら「こんな店をおいしいって言っているやつはアホ」的な鼻息の荒いことを書く人も当然現れる。

    あなた、食べログの星の数で味を確かめてるんですか?――メシを食わずにテキストを食っている人達 - シロクマの屑籠
    memoclip
    memoclip 2012/05/23
    お金ないのもあって、失敗が怖いのかな。 / >『アリ」とされている作品」「話題作」を追いかけるのに精一杯になってしまって、いつしかジャンル内の自分の好みを見失いかけている人は結構いると思う
  • 「真面目系クズ」と依存性 - シロクマの屑籠

    「真面目系クズ」というのを知った 完全に俺のことでワロタwww : 妹はVIPPER リンク先には、比較的新しいネットスラングと思われる「真面目系クズ」について意見が集まっている。私の知る限り、この単語は1〜2年前ぐらいから時々見かけたような気がするが、「非モテ」「非コミュ」に比べればずっと歴史が浅い。 さて、真面目系クズとはどういうネットスラングだろうか。ニコニコ大百科には、原典にあたる人物の発言を引用しながら、 ・非リア充であり、DQNのような明るさはない ・資格や勉学に打ち込んでいるとアピールし、それを就職から逃げる理由にする ・かといって気で打ち込んでいるわけではなく、他に勉強している者からすれば明らかにボロが出るレベル ・それでも自分は努力しているとアピールし、大言壮語を吐く。 努力しているけど要領の悪い者、自分がクズだと自覚している者とは明らかに異なるのである。現実から目を逸

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  • あるおたくの結婚について - シロクマの屑籠

    ※この文章は、このblogを4年以上前から知っている人以外にはお勧めできません。 2011-08-08 - matakimika@d.hatena id:matakimikaさんが結婚した。 結婚おめでとうございます、とは思いつつも、心中複雑でもある。「あの男が結婚しちゃうなんて!キキー!」とでも言おうか。ショックでもあった。 以下に、matakimikaさんという、一個人のライフスタイルに関心を持っている一ファンの個人的心情を書き殴ってみる。 私は、matakimikaさんは幾つかの点で古いタイプの「おたく」だと認識している。カタカナではなく平仮名で「おたく」と表記するほうが一般的だった頃のような。その理由の第一は、気に入ったひとつのゲームなりアニメなりを、繰り返しゆっくりじっくり愛好するタイプであること。その有様は、録画したビデオテープを擦り切れるほど再生し、購入したゲームを隅々までし

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  • 「アニメって生きている文化なんだなぁ」とふと思った - シロクマの屑籠

    http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1926.html 黒瀬陽平さんが藤津亮太さんのまどか評論を批判、そのつぶやきと2chの反応がやらおんにまとめられたことに始まった批評クラスタでの議論 - Togetter リンク先の文章を眺めていたら「ああ、アニメって生きている文化なんだなぁ」と改めて思った。界隈の先端を自認しているクリエイターが、批評家や2ch系まとめサイトに言及し、そのやりとりがTogetterで可視化され、さらにフィードバックが起こるというのは、議論内容の当否はさておき、文化シーンとしてはけっこう豊かな状況だと思う。それってつまり、アニメが一握りの専門家やクリエイターだけのものでもなければ、一部の金持ちパトロン連中だけのものでもなく、それなりに広い裾野の人達に楽しまれ、言及され、脳味噌を刺激しあっているってことだろう?すばらしいじゃな

    「アニメって生きている文化なんだなぁ」とふと思った - シロクマの屑籠
  • なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    今となっては違和感を表明する人もあまりいないが、深夜アニメやライトノベルといった現代のオタク向けコンテンツには、たくさんの少女が登場しては湯水の如く消費されている。『けいおん!』や『魔法少女 まどか☆マギカ』のような、男性が絶無に等しいキャラクター構成が、例外ではなくオーソドックスになったことは、当は驚きに値することではないだろうか。どうして男性オタク界隈でこんな事が起こっているのか?以下に、考えてみようと思う。 1.エロという身も蓋もないニーズ(古典的に消費される少女) アカデミックな議論では無視されがちだが、ベタで重要な要因の一つ。 極めてシンプルに、セクシャルに、「鑑賞対象としてもエロい想像を膨らませる対象としても、少年よりは美少女を見ているほうが気持ちいいから」という身も蓋もない理由。こうした古典的なニーズをよく反映しているのは同人誌の世界である。『けいおん!』のような、エロ消費

    なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - シ口クマの屑籠(汎適所属)
    memoclip
    memoclip 2011/05/17
    >こうしたジェンダーの迂回形式は、本来、女性おたく達が「やおい」という形で過去に実現させていたものだった。なぜ、女性オタクの過去の発明が、現代の男性オタクにおいて“再発明”されたのか?
  • 叱られると自動的にごめんなさいしか言えなくなる人達 - シロクマの屑籠

    叱られたり注意されたりしたら、自動的にごめんなさいしか言えなくなる人って、見たことありませんか? より正確に書くなら「『自分は叱られている』と感じたら機械的に謝るごめんなさいしか言えなくなる人」となるでしょうか。このタイプの人は、しばしば、相手には叱る意図も怒る意図も無いのに叱られていると勝手に誤解し、やたらごめんなさいを連発して相手を当惑させてしまうこともあります。 話に聞く限り、どうやらこの“ごめんなさいモード”は一種の視野狭窄状態に近いらしく、相手の振舞いの理由について考える能力が大幅に下がってしまい、後日の教訓にも生かしにくいようです。そのためか、似たような失敗を繰り返してしまうリスクも高く、「あいつは口ではごめんなさいばかり言うが、何も学習できない・行動を変えられないやつ」というレッテルを貼られがちです。 どうして叱られ下手になってしまうのか? なぜ、こんな風になってしまうのでし

    叱られると自動的にごめんなさいしか言えなくなる人達 - シロクマの屑籠
  • 大人は「なる」ものじゃない。大人は「やる」もの。「引き受ける」もの。 - シロクマの屑籠

    あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した 空っぽの大人に気づけばなっていた件について:駄目人間速報(^ν^)<クズ集まれ-2chまとめ 「大人になる。」 あなたは「私は大人になった!」と自信をもって言えますか? 成人式をやっただけで大人になったと胸を張れる人は、あまりいないでしょう。最近では「大人の歳になったけど、子どもとあんまり変わらない」という声を聞くこともあります。「大人になったかどうか」を自問自答しても、いまひとつピンと来ない人が多いのではないでしょうか。 誰でも最初は“大人一年生” ところで、大人って「なる」ものじゃなくて「やる」ものだと思うんですよ。 「大人という役割を引き受ける」と言い換えてもいいかもしれません。 子どもから大人への変化は、芋虫がサナギを経て蝶になるほど明瞭ではありません。そして実際には、“小学生や中学生が想像するような理想の大人”に100%なりきっている大人なんて、多

    大人は「なる」ものじゃない。大人は「やる」もの。「引き受ける」もの。 - シロクマの屑籠
  • 「おひとりさま」というトレンドの終わり - シロクマの屑籠

    夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術 作者: 花輪陽子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/06/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 394回この商品を含むブログ (23件) を見る 上記のを読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。 そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。 ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社

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  • 常識がプライベート化していく――Common Sense からPrivate Senseへ - シロクマの屑籠

    常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。その社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。これは文化摩擦などとして表面化することもある。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。 (wikipediaより抜粋) 英語の Common Sense が訳されて、常識という日語が誕生したという。 このことが示すように、常識というのは世間一般で共通している認識、という意味だったと思う。少なくとも、過去の時代においては。 しかし、現代の日社会では、そうでもなくなってきている。Common Sense ならぬ Private Sense と言いたくなるような、常識のプライベート化が(程度問題はあるにせよ)進行しているようにみえる。 常識のインストール元が「社会」「地域」から

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  • 「熱気を帯びたゲームレビュー」は今どこへ? - シロクマの屑籠

    twitterライフを満喫していたある日、グサッと来るツイートを発見して狼狽してしまった。 最近ゲームの体験をうまく伝えてくれるブログがないよねという話をしていたのだけど、ゲームプレイという主観的な体験よりも、業界情報みたいな知らない人間でも適当に楽しめてしまうメタ情報の方が注目を集めて流通するのはほんと不幸だ http://twitter.com/kanose/status/4071732134547457 オレのことですか? 私はシューティングゲームを愛好する人間で、このblogはシューティングゲームの楽しい記憶を書き残すためのものでもあった。少なくとも過去の一時期は、そうだった筈である。ところが最近、自分が汗をかきながら楽しんだゲーム体験を滅多にblogに書かなくなってしまった。シューティングゲームについて書く際も、id:kanoseさんが指摘する“業界情報みたいな知らない人間でも適

    「熱気を帯びたゲームレビュー」は今どこへ? - シロクマの屑籠
    memoclip
    memoclip 2010/11/19
    twitterで、熱い想いは小さく吐き出されてるのかな。ブログという形でまとめられることもなく。
  • “コンテンツの切れ目が縁の切れ目”――オタクは誰と会話している? - シロクマの屑籠

    かつての俺には、ゲームやアニメとオタク仲間さえいれば満足できる時期があった。オタク的なライフスタイルを軸にした幸福追求モデルが十分に機能し、ずっとこれからもやっていけると思いこめた時間が、確かにあったと思う。 そうした生き方に綻びが生じた理由は色々あるけれど、その理由のひとつに「オタクは(そして俺は)誰と会話しているのか」という疑問があった。この疑問について、書き残しておく。 「おたく、誰と会話しているの?」 「おたく」の語源が二人称だという説や、最近のライトオタク事情などを踏まえて、「オタクはコミュニケーション志向です」と主張する人もいるかもしれない。そういえばオタクの祭典・コミケも、オタク同士のコミュニケーションを一大理念として掲げていたような気がする。 ところが「オタク同士のコミュニケーション」というやつが、一時期の俺には引っかかりどころだった。 一般に、オタク同士の会話は、アニメな

    “コンテンツの切れ目が縁の切れ目”――オタクは誰と会話している? - シロクマの屑籠
    memoclip
    memoclip 2010/11/06
    ある趣味から離れたらその界隈の人から離れた、というのはよくある気がするけど。
  • ゲームやアニメがライトな趣味になっても、困る人はあまりいないのでは? - シロクマの屑籠

    http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1531241.html 昔、子どもじゃないのにゲームやアニメを深く追求する人達が「おたく」と呼ばれた時代があった。 昔、セガサターンや深夜アニメを愛好している人達が、自嘲気味に「オタク」を自称した時代があった。 ところが今はまったく違う。 ゲームやアニメがコミュニケーションの触媒として――それこそ、かつてのトレンディードラマやミリオンセラーのように――用いられることに違和感がなくなっている。ゲームやアニメの話題がコミュニケーションを橋渡しするための“便利な”アイテムと化し、それどころか、ゲームやアニメのデザインがプリントされた衣服を“オシャレ”の一環として取り扱う人まで現れるようになってきた。 10〜15年ほど昔、ゲームやアニメのTシャツを着ていたのは、良くも悪くも当にゲームやアニメが好きで好きでしようが

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  • 普通の人が尊敬できないように育てられた人達

    「普通の人が尊敬できないように育てられた人達」。 特別な職業やメディアに登場するスターのようなキャラクターしか尊敬の対象にできないような・普通の職業の人やクラスメートには軽蔑に近い印象をデフォルトで抱いているような、そういう境地の人達が、まだまだ世の中には存在する。 【メディアスターや凄い人しか尊敬できないような育て方をすると…】 「三つ子の魂百まで」と日の諺にあるけれども、これは「誰をどう尊敬するか」の分野でもかなり当てはまる。小さい頃、どんな相手をどんな具合に尊敬するように育てられたのかは、性分としてこびりつきやすく、後々まで尾を引きやすい。 例えば、小さい頃から花形職業・メディアスター・伝記になるような偉人ばかり尊敬するように教え込まれ、近所の人や普通の職業の人なら見下しても構わないという家族の目線のなかで育ってしまった人は、その価値観を内面化させてしまいやすい。「尊敬対象かくある

    普通の人が尊敬できないように育てられた人達
  • 褒められ慣れていない人の悲劇

    よく“褒めるのは難しい”といいますが、実は“褒められるのもけっこう難しい”っていう話。 上司に評価された時。 誰かに好きだと言われた時。 ありがとうと言って貰えた時。 「べっ別に、あ、あんたなんかに評価されたくて、やったんじゃないんだからね!」 と自己弁解したくなってしまう人や、黙って俯いて赤くなっている人って、巷にも案外いるんですよ。なんというか、褒められたら情緒的にパニクってしまったり、いたたまれなくなってしまう人。 これがアニメに出てくるキャラクターなら、かわいいツンデレですねで済む話ですが、現実の人間の場合、褒められるたびにパニクっているようでは大きなハンディになってしまいます。褒められてもモチベーションが確保できないどころか、やがて、褒められるのを避けるべく屈折したパーソナリティを身につけてしまうかもしれません。 「褒められたら、褒められた分だけモチベーションが得られる」ってやつ

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  • 「ちゃんと学生時代に遊んでた?」 - シロクマの屑籠

    大学生だった頃、年長者から「大学で、ちゃんと遊んでるか?」とよく質問された。 建前からすれば、大学は勉強をしに行くところのはず。だから親族や一部の教官までもが「大学で、ちゃんと遊んでいるか?」と聞いてくることに、当時の私は二律背反めいた印象を受けたように記憶している。 幸か不幸か、私は好奇心の対象が散らばりやすい性質だったらしく、授業よりも同年代の仲間達とのレクリエーションやオタク趣味などにエネルギーを費やす大学時代を過ごした。無駄だらけの、あまり利口な学生ではなかったけれど、社会の色んな人と出会ったり、趣味や可能性を探って回ったり出来たのは幸運なことだったと思う。卒後しばらく経って、大人達が言っていた「遊んで来い」ってのは、「授業の外側で、世間知・仲間とのやりとり・共同作業のノウハウを身につけて来い」って意味だったのかな、と思うようになった。 遊びから学ばなければ、身につかないこともある

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  • 「歳の取り方」が分からなくなった社会 - シロクマの屑籠

    テレビをつけても、街を歩いても、「若さを保つためのテクニック」が溢れている。けれども「歳の取り方」はあまり目にすることが無いし、「歳を取る」ということを肯定的に教えてくれる人にもなかなか出会わない。「歳の取り方」は、いつ、どこで、誰から教わればいいのか?そう考えた時、自分が即座に答えられないことに気付く。 「歳の取り方」のロールモデルは何処へ? ここでいう「歳の取り方」というのは、生物学的な加齢現象のことではなく、心理・社会的な意味での「歳の取り方」だ。 人間は、まっすぐ一様に老けていくわけではない。社会経験や立場、人間関係のなかで、心の持ちようや振る舞いを年代ごとに変えていく生き物だ。世話される立場から世話する立場へ・教わる立場から教える立場へ……といったように、自分の立場をギアチェンジしながら世代を紡いでいく。少なくとも、かつてはそうだった筈だ。 ところが、今は、「歳の取り方」のお手

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    memoclip
    memoclip 2010/05/18
    ロールモデルとなる人と出会う機会がなさそう。確実にどこかにはいるんだろうけど。 / 今テレビとかメディアに映る機会もないだろうし、切片されたものしか映されないだろうしなー。出会えた人はすごい幸運だろな。
  • オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた - シロクマの屑籠

    先日、秋葉原の某同人ショップで買い物をしている時、レジに並んでいる前の人達がこんな会話をしていた。 「ここの客層、変わったよね」 「なんか、オタクじゃない人も同人誌を買うようになって、だいぶ雰囲気が変わった。」 「場違いっていうか」 ああ、こういう感覚の人ってまだまだいるなぁ、と改めて思った。 「オタクじゃない人も同人誌を買うようになった」と認識しているということは、この人達にとって、「同人誌を買うやつ=オタク」ではなく、たぶんオタク認定するための基準は他のところにあるのだろう。 一方で、最近では以下のような意見をよく見かけるようになった。 いわゆるライトオタク増加論、だ。 今や、オタクとは程遠かったガチでオサレな人達がオタク(?)になっているっぽい。オサレな人達や無遠だった人達がニコ動によってオタク文化と接触して、ハマっていっているのかな。僕の実感としては、格的にオタクがライト化という

    オタクじゃない奴が入ってきた vs オタクが増えた - シロクマの屑籠
    memoclip
    memoclip 2010/03/08
    服や髪、他人と関わるコストさえも切り詰めて、頑張ってるという姿勢をあらわしたものが「オタク」という言葉なのかなぁ。
  • 「母親の自己実現のために」育てられた子どもが背負う呪縛 - シロクマの屑籠

    どんどん不幸になっていく米国の女性たち | JBpress(日ビジネスプレス) 女性の自己実現と自立をよいものとしてきた国、アメリカ。そのアメリカで、当の女性達がどんどん不幸になってきているという。リンク先の記事は、「自己実現しなければならない雰囲気」「自己実現を尊ばなければならない雰囲気」のもとでスーパーウーマンに向かっていく女性達の、表沙汰になりにくいしんどさについて紹介している。 ところで、何もかもを自己実現してしまえる女性、スーパーウーマンとして仕事も子育ても趣味も強烈にこなせている女性のもとに生まれた子どもは、果たして幸せになりやすいだろうか?私は、ちょっとヤバいんじゃないのかな、と思う。とりわけ、そういったスーパーウーマンな女性が「自己実現」「なんでもできる私」志向が強すぎる場合などは、育てられる子どもはかなり苦労するんじゃないだろうか。 「子どものために必要とされる母親」よ

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  • 現実女性に「萌える」という残酷 - シロクマの屑籠(汎適所属)

    http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1294494.html “美しい黒髪”といえば大和撫子。大和撫子といえば清楚で大人しそうなイメージ…といった具合に、女性の黒髪をスタート地点にして、ご都合主義の想像力を膨らませるのはそんなに難しいことではない。控えめな態度の妙齢黒髪女性を見かけた場合などは、とりわけそうだろう。 もちろん、黒髪女性の内実が、大和撫子と呼ぶに相応しいかどうかは分からないし、黒髪女性が大和撫子をやらなければならないというルールはどこにも無い。けれどもある種の男性は、そうやって自分の願望や想像力を黒髪女性に投影して、「よさげだなぁゲヘゲヘ」と想像力を膨らませずにはいられない。眼前の女性の内実とは無関係に「黒髪→大人しそう→おいしそう→俺でもモノにしやすそう」という想像力だけを連鎖させ、妄想的な願望を抱いたり、頭のなかで「架空のデー

    現実女性に「萌える」という残酷 - シロクマの屑籠(汎適所属)
    memoclip
    memoclip 2009/08/22
    相手を見ず、相対してるのは自分と。 / ストンと落ちてこないので、もっとブラッシュアップ出来そう。