それは出来過ぎたドラマのようだった。パリ五輪で惜しくもメンバー入りを逃した伊藤美誠と、念願のシングルス初出場を獲得した平野美宇。かつてこれほど長きにわたって抜きつ抜かれつのライバル関係にあったアスリートがいただろうか。その進化の歴史を振り返ってみた。 生まれたのはともに2000年、シドニー五輪の年だ(西暦年から年齢がわかりやすい)。卓球を始めたのは伊藤が2歳11ヶ月に対して平野が3歳5ヶ月と、わずかに伊藤の方が早かった。 先に頭角を現したのは平野だった。4歳のときに全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)に史上最年少で県予選を勝ち抜いて出場し、7歳のときには福原愛以来の小学1年生での同大会の優勝を果たした。 翌年のその大会で、今度は伊藤が優勝したが、平野は上のカブの部(小学4年生以下)に出場していた。小学3年生のときにはカブの部で平野が準決勝で伊藤を破って優勝した。翌年はまたしても追いかけ
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