山手線の西日暮里駅(下記注釈*1)で下車し、改札を出てから線路に直交する道潅山通りを右に曲がると、道路の反対側に緩やかな上り坂が見える。そこを歩いて行くと、程なく道路の直ぐ右に道路と平行する東北本線や高崎線が通る緑色の陸橋が見えてくる。 その橋は、今でこそ緑色だが小生が子供の頃には黒かった、実家ではこの鉄橋を「黒い鉄橋」と呼び、亡祖父と何度も散歩に行った場所だ。昭和30年代前半だった。 なぜ「黒い鉄橋」と呼ばれたのか。 元々黒く塗られていたのかもしれないが、家族の話によれば鉄橋の下を走る蒸気機関車の煤煙が鉄橋に付着したからだという。そう云えば蒸気機関車が放つ警笛音、昔の家屋には現在の様な防音性がなかったこともあって小生の実家まで聞こえたものだった。その音は今でも記憶している。小生の親は「その音が聞こえると天気が崩れる」と言った。当時はその理由を知る術もなかったが、それはこういう理由による。