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ブックマーク / note.com/wildriverpeace (1)

  • 「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ|荒川和久/独身研究家・コラムニスト

    コミュニティについていろいろ考えています。 拙著「超ソロ社会」にも書いたように、地域・家族・職場といったかつての安心・安定した共同体がどんどん消滅しつつあります。社会学者バウマンやベックが予言した通り、「個人化する社会」が間近に迫りつつあるわけです。 では、そんな「個人化する社会」にはコミュニティというものは存在しなくなるのか?と言えば、そんなことはないのです。 コミュニティがなくなるのではなく、コミュニティのあり方が変わる。 かつては家族、地域、職場といった確固たるコミュニティがよかったのは、そこに所属している人々は、「自分はこのコミュニティの一員だ」という安心感が得られたからです。だからこそ「ウチとソト」の線を明確に引いていました。もちろん、そうした安心感と同時に不自由さはあったかもしれませんが…。 コミュニティとは安心でした。 ところが、現在では所属が安心を約束してくれるものではなく

    「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ|荒川和久/独身研究家・コラムニスト
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