コミュニティについていろいろ考えています。 拙著「超ソロ社会」にも書いたように、地域・家族・職場といったかつての安心・安定した共同体がどんどん消滅しつつあります。社会学者バウマンやベックが予言した通り、「個人化する社会」が間近に迫りつつあるわけです。 では、そんな「個人化する社会」にはコミュニティというものは存在しなくなるのか?と言えば、そんなことはないのです。 コミュニティがなくなるのではなく、コミュニティのあり方が変わる。 かつては家族、地域、職場といった確固たるコミュニティがよかったのは、そこに所属している人々は、「自分はこのコミュニティの一員だ」という安心感が得られたからです。だからこそ「ウチとソト」の線を明確に引いていました。もちろん、そうした安心感と同時に不自由さはあったかもしれませんが…。 コミュニティとは安心でした。 ところが、現在では所属が安心を約束してくれるものではなく
![「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ|荒川和久/独身研究家・コラムニスト](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/48f8252bc664f10364c795a71b6d084a875a841e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F7146936%2Frectangle_large_type_2_b3a10b645ed7014e8de912f9ed2ad62f.jpg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)