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ブックマーク / nagaichi.hatenablog.com (55)

  • グレッグ・イーガン『TAP』 - 枕流亭ブログ

    グレッグ・イーガン著/山岸真訳『TAP』(河出書房新社) 日オリジナル短編集。イーガンの初期短編を中心に10編。河出の奇想コレクションということで、非SF作品もあり。 「新・口笛テスト」 忘れることのできない音楽テレビCMに利用しようしたお話。オチが途中でなんとなく読めますが…。 「視覚」 認識の変容が意識の変容をもたらしてしまう。 「ユージーン」 ありうべき近未来の優生学への風刺。そしてパラドックスSF。すでに読んだ人はこれで笑いましょう。 「悪魔の移住」 人間外の高度な知性は癌細胞。 「散骨」 イーガンのホラー。奇妙な経緯で殺人の共犯者になってしまった主人公。 「銀炎」 ウイルスの仮想感染経路を追っているうちに、精神世界に入り込んでしまう話。 「自警団」 ホラーらしいけど、これもやっぱ風刺っぽい。夢に見る怪物を番犬にして道徳的選別をおこなわせようとする。 「要塞」 『万物理論』のプ

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  • もうひとつの阿房宮 - 枕流亭ブログ

    僕が中国史を囓りはじめたころは通説であった項羽が阿房宮を焼き討ちしたという説ですが、阿房宮遺跡(陝西省西安市の西郊の阿房村にある。ちなみに阿房宮遺跡は上林苑遺跡の一部でもある)の発掘によって、焼失の痕跡が見つからず、項羽に焼かれたのは渭水の北の咸陽宮であり、渭水の南にあった阿房宮は焼かれていないという話になっています。『史記』の項羽紀の「秦の宮室を焼き、火は三ヶ月間消えなかった」が、後世になって阿房宮のことと勘違いされていたもようです。 項羽は阿房宮を焼き払っていない、前殿の発掘調査で明らかに(中国通信社) 中国の三面記事を読む(274)「項羽が阿房宮を焼き払った」という話は歴史のウソ(有縁ネット) 阿房宮(Wikipedia) 阿房宮(百度百科) 阿房宮は焼かれておらず、秦代には完成してすらいなかったというのが、現在の説なわけです。 しかし、阿房宮のミステリーはこれで終わらないのです。

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  • 「異民族」と光栄 - 枕流亭ブログ

    ネット上の三国ばなしに耳を傾けていると、孟獲や於夫羅といった武将やその属する集団について、なんの屈託もなく「異民族」と言っている人に出くわすわけね。 「異民族」という場合、自民族に対する異民族か、ある民族に対する異民族か、どちらかのニュアンスでしかありえない。日語話者のばあい、前者のニュアンスで話している人は比較的少ないだろうから、多くは後者のはずだ。後漢の末から三国時代にかけて、いわゆる中原(黄河・渭水流域)に住んでいた人々を「漢民族」と呼ぶには、僕には多少の屈託があるが、とりあえずそういう実態を仮構しよう。孟獲や於夫羅といった人物に代表される集団にも民族としての実態があるものとしておく。現代の日語話者の多くにとって、かれらはどちらも「異民族」のはずである。しかし「漢民族」に対する孟獲集団や於夫羅集団を「異民族」とみる視点はあっても、その逆はほとんどみられない。日語話者の「漢民族」

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    mfluder
    mfluder 2008/08/23
    "かつての那珂通世のように「夷狄晉を亂す」とも言えず、桑原隲蔵のように「殺伐野蠻な塞外種族」などとも言えない時代がやってきたのだ。しかし「漢民族」中心の考えは抜けず、無難な言い換え語として「異民族」が
  • 『甲骨文字に歴史をよむ』 - 枕流亭ブログ

    落合淳思『甲骨文字に歴史をよむ』(ちくま新書) 甲骨文字から殷代後期の歴史に向かっちゃう概説書。従来の通説を斬りまくっていて、これは文句なしに面白いです。 「帝乙」(殷の紂王の親父さんとされる人)が存在しなかったとか。(帝乙−微子啓・微仲衍の宋の系譜を後代になって殷王の系譜にねじこんだんだとか。) 「口祀」が王の即位二十年目の祭祀ではなく、王の初年の祭祀であり、これによって殷末の王の在位年はかなり短くなっちゃうとか。 「酒池肉林」の故事は、前漢のころに完成したんだとか。 文武丁の代に対人方戦争が起こされ、殷の国力は充実し、帝辛(紂王)の代になんらかの失政によって盂がそむき、対盂方戦争が起こって、これの鎮圧に成功したものの、殷の国力は衰退して周に滅ぼされるにいたっただとか。(従来の説では対人方戦争が帝辛の代で、東方に勢力が拡大したのに、周に滅ぼされるというイマイチすっきりしない説明だったの

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  • 『ジャガイモのきた道』 - 枕流亭ブログ

    紀夫『ジャガイモのきた道−文明・飢饉・戦争』(岩波新書) メモメモ。 ジャガイモは、小麦・トウモロコシ・コメに次いで栽培面積世界第4位の作物。 中央アンデスにみられるジャガイモの野生種は有毒で実も小さい。 ジャガイモの毒抜き技術の開発がジャガイモの栽培の契機。 毒抜きをし、乾燥したジャガイモは「チューニョ」と呼ばれ、腐りやすく貯蔵や輸送に不便なジャガイモの欠点を克服した。 野生種を栽培種に変えるにあたって、より毒性が低く、より実の大きい品種を選択していく数百年・数千年にわたる努力が払われた。 はじめの栽培種は2倍体のジャガイモだったが、やがて実の大きい4倍体のイモが現れ、3倍体・5倍体のイモも栽培されるようになった。 かつては穀物農耕が都市の発生や文明の形成に必須な条件と考えられてきた。 アンデス文明はトウモロコシを中心とする農耕が生んだとするのが定説であった。しかし最新の成果では、古

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  • 『ヴィンランド・サガ』はなぜ面白いのか - 枕流亭ブログ

    幸村誠『ヴィンランド・サガ』(講談社)は面白すぎる。 以前に記事を書いたのはもう二年も前か…。 この作品、なにがいいってアシェラッドがいいんですよ。狡猾・ニヒル・妙な義理堅さ、悪の魅力とかいうと陳腐ですが、なんか突き抜けちゃってる人ですよ。 http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060409/1144561949 この物語でアシェラッドに注目すべきという認識はいまも変わらない。主人公のトルフィンはまだ未熟で、5巻までのストーリーの背骨を支えてるのは、ほとんどアシェラッドの複雑怪奇にみえる人格によるもの。まあ6巻以降、少しずつ変わっていくことを予感させるけども。 ガンダムのストーリーの背骨をアムロよりシャアが支えていると喩えれば分かりやすいか。 アシェラッドの屈折してみえる性格はみせかけで、実はかれは動機的にはかなり単純な人間であり、優れた主君に仕えたい(5巻P8

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  • 歴史本として見た場合、お勧めできない。 - 枕流亭ブログ

    春名徹『北京──都市の記憶』(岩波新書) 少し調べれば分かるような記述ミスに満ちているので、シロートにはお勧めできないです。 「燕は武王の弟、召公奭に与えられた。」(P3) ──召公奭は武王の弟じゃありません。(『史記』燕召公世家第四を見よ!) 「しかし召公は、武王の後を継いだ幼い周王成を補佐する立場にあったため周の都を離れず、」(P3) 「周の太保とはすなわち周王成を補佐した召公を意味する」(P5) ──なんですか?周王成って?周の成王のことを指しているのは文脈からあきらかですが、諡号なら成王と、周王に名を続けるのであれば、周王誦と書きましょう。 「やがて周が滅び、諸国は独立してあるいは戦い、あるいは連合し、中国の統一を目指すようになる。戦国時代である」(P7) ──戦国時代に入っても東周は滅んでません。 「すでに中国文化の影響を受けていた契丹は、耶律阿保機のもとに部族を統一し、九一六

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  • 「定説」へのためらい - 枕流亭ブログ

    歴史をかじっていると、「定説」「通説」「有力な説」「異説」といった言葉に敏感になる。とくに「定説」と「通説」の違いは気になる。「通説」は広く通行する多数説を指すが、「定説」はその時点で議論の余地のない確定的な説を指す。「定説」も新たな発見によって覆ることはまれにある。しかし「定説」はそう呼ばれている時点ではすでに仮説ではない。 僕は歴史の分野で「定説」という強い言葉を使うことにためらいを覚える。 論理遊びとして、非常にバカバカしい例を挙げよう。 「西暦17世紀初頭に徳川家康という人物がいた」 この命題が真か偽かなんて今さら歴史的問題になることはない。小学校の教科書にも載っている人物だし、家康の存在を支持する史料は腐るほどある。 家康別人説を支持する人もいるかもしれないが、そういう人は世良田二郎三郎元信が徳川家康なのだから、この命題を偽としているわけではない。 だから「西暦17世紀初頭に徳川

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  • 趙高非宦官説 - 枕流亭ブログ

    『東方』324号(2008年2月号)に以下のような文章がありました。 角谷常子「秦末社会の息づかいが蘇る」 例えば、趙高非宦官説。従来『史記』蒙恬列伝の「趙高の昆弟数人、皆隠宮に生る」を根拠として趙高は宦官だったとされてきた。しかし雲夢秦簡にみえる「隠官」から、『史記』の「隠宮」は「隠官」の誤写であることが馬非百氏によって指摘された。それが張家山漢簡二年律令の出現によって、隠官とは「刑期を終えた人が働く場所(刑満人員工作的地方)」あるいは「刑期を終えた人の身分」をいうのであって、宮刑や去勢とは無関係であることが明らかになり、趙高非宦官説となったわけである。 そういえば藤田勝久『項羽と劉邦の時代』(講談社選書メチエ)P73にもこんな文章があったけど、スルーしていたような気がします。 趙高という人物は、『史記』蒙恬列伝の簡単な伝記によると、秦に滅ぼされた趙の王室につらなる一族であった。そこでは

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  • 2008-01-25

    世界の7不思議がどうとかいうビデオを見ていたら、不意にこういう企画をやってみたくなった。脈絡は我ながらよく分からない。 続きを読む 中国ものってどういう基準なんだと思わないではない。 続きを読む 『東方』324号(2008年2月号)に以下のような文章がありました。 角谷常子「秦末社会の息づかいが蘇る」 例えば、趙高非宦官説。従来『史記』蒙恬列伝の「趙高の昆弟数人、皆隠宮に生る」を根拠として趙高は宦官だったとされてきた。しかし雲夢秦簡にみえる「隠官」から、『史記』の「隠宮」は「隠官」の誤写であることが馬非百氏によって指摘された。それが張家山漢簡二年律令の出現によって、隠官とは「刑期を終えた人が働く場所(刑満人員工作的地方)」あるいは「刑期を終えた人の身分」をいうのであって、宮刑や去勢とは無関係であることが明らかになり、趙高非宦官説となったわけである。 そういえば藤田勝久『項羽と劉邦の時代』(

    2008-01-25
  • 黄献中なんて僕も知らない - 枕流亭ブログ

    オタク論!』(唐沢俊一・岡田斗司夫/創出版)から、唐沢氏の間違いと思われるものを3つ指摘してみるよ(パガニーニ、野田高梧、蜀碧)(愛・蔵太の少し調べて書く日記) 中国歴史書で『蜀碧』というがあるんですが、蜀の国を黄献中という盗賊が一時乗っ取った話なんです。普通は国を乗っ取ると、その国には善政を敷いて、国民に信頼されたところでよその国を侵略するんだけど、この黄献中がユニークなのは蜀の国の人間を殺して殺して殺し尽くすんです。他の国の人間に自分の国の人間を殺されるのなら、自分が殺してしまおうと。これを初めて読んだときに思い出したのが古いSFファンのことで(笑)、何かを徹底して好きだというときに、破壊衝動が生まれるわけですよ。 『オタク論!』は読んでませんから、引用が正確かどうか確認してませんし、以下は愛・蔵太さんを信用する前提で論じますが、僕も黄献中という中国の盗賊を存じません。 4・『蜀

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  • はてなセリフ - 枕流亭ブログ

    http://serif.hatelabo.jp/ でまたアホな台詞を当てて遊んでみた。 しかしGoogleではこの体たらくである。 大元ウルス の検索結果 約 589 件 元朝 の検索結果 約 1,640,000 件

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    mfluder
    mfluder 2007/03/24
    笑 "元朝じゃない! 大元ウルスと呼べ!"
  • 骨嵬 - 枕流亭ブログ

    『元史』におけるサハリン(樺太)アイヌの記録。「骨嵬」はサハリンアイヌ、「吉里迷」はニヴヒ(ギリヤーク)と見る説がもっか有力です。すべて世祖フビライのときの記録です。 『元史』巻5紀5世祖二 (至元元年(1264)十一月)辛巳、骨嵬を征討した。これに先だって、吉里迷が(元朝に)内附したが、言うにはその国の東に骨嵬と亦里于の両部があり、連年来たって境界を侵すというので、そのためこれを征討したのである。 『元史』巻6紀6世祖三 (至元二年(1265))三月癸酉、骨嵬国の人が吉里迷部の兵を襲って殺した。勅命により官粟と弓甲をこれ(吉里迷部)に給した。 『元史』巻8紀8世祖五 (至元十年(1273)九月壬寅)征東招討使の塔匣剌が骨嵬部を征討することを願い出たが、許さなかった。 『元史』巻12紀12世祖九 (至元二十年(1283)八月)丙辰、骨嵬の軍賦を徴収するのを免除した。 『元史』巻13

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    mfluder
    mfluder 2006/12/15
    『元史』におけるサハリン(樺太)アイヌの記録
  • 王莽の頭 - 枕流亭ブログ

    惠帝元康五年閏月庚寅,武庫火。張華疑有亂,先命固守,然後救火。是以累代異寶,王莽頭,孔子屐,漢高祖斷白蛇劍及二百萬人器械,一時蕩盡。 『晋書』五行志上 西晋恵帝の元康五年(西暦295年)閏月庚寅、洛陽の武庫で火災が発生した。張華は反乱の発生を疑い、まず固守を命じ、その後に消火にあたった。このとき累代の異宝である王莽の頭、孔子の履、漢の高祖劉邦が白蛇を断った剣および二百万人器械が一時に焼尽した。 孔子の履物や劉邦の斬蛇剣はともかくとして、王莽の首級が累代の異宝として西晋まで伝わっていたのである。『後漢書』光武帝紀上に「(更始元年)九月庚戌,三輔豪桀共誅王莽,傳首詣宛」とあるから、王莽の首級が光武帝に伝わったのは確かだろうが、それから270年あまりを閲していたとは、驚くしかない。

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  • 漢文は恐くない - 枕流亭ブログ

    ど素人のくせして、漢文をちょくちょくテキトーに読み始めて、さて幾歳幾月か。漢和辞典もあまり引かないし、読解力にも進歩はない。ダメじゃん。(^_^;) 漢文も、外国語であるから舐めてはいけないわけだが、はじめから必要以上に恐れる必要もないと思う。 さて、以下の画像とテキストは、中華書局で出版されている『新唐書』(縦組み繁体字/標点)の二十三頁である。 唐書卷二 紀第二 太宗 太宗文武大聖大廣孝皇帝諱世民,高祖次子也。母曰太穆皇后竇氏。生而不驚。方四歳,有書生謁高祖曰:「公在相法,貴人也,然必有貴子。」及見太宗,曰:「龍鳳之姿,天日之表,其年幾冠,必能濟世安民。」書生已辭去,高祖懼其語泄,使人追殺之,而不知其所往,因以為神。乃採其語,名之曰世民。 大業中,突厥圍煬帝鴈門,煬帝從圍中以木繋詔書,投汾水而下,募兵赴援。太宗時年十六,往應募,隸將軍雲定興,謂定興曰:「虜敢圍吾天子者,以為無援故也

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