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漢文は恐くない - 枕流亭ブログ
ど素人のくせして、漢文をちょくちょくテキトーに読み始めて、さて幾歳幾月か。漢和辞典もあまり引かな... ど素人のくせして、漢文をちょくちょくテキトーに読み始めて、さて幾歳幾月か。漢和辞典もあまり引かないし、読解力にも進歩はない。ダメじゃん。(^_^;) 漢文も、外国語であるから舐めてはいけないわけだが、はじめから必要以上に恐れる必要もないと思う。 さて、以下の画像とテキストは、中華書局で出版されている『新唐書』(縦組み繁体字/標点本)の二十三頁である。 唐書卷二 本紀第二 太宗 太宗文武大聖大廣孝皇帝諱世民,高祖次子也。母曰太穆皇后竇氏。生而不驚。方四歳,有書生謁高祖曰:「公在相法,貴人也,然必有貴子。」及見太宗,曰:「龍鳳之姿,天日之表,其年幾冠,必能濟世安民。」書生已辭去,高祖懼其語泄,使人追殺之,而不知其所往,因以為神。乃採其語,名之曰世民。 大業中,突厥圍煬帝鴈門,煬帝從圍中以木繋詔書,投汾水而下,募兵赴援。太宗時年十六,往應募,隸將軍雲定興,謂定興曰:「虜敢圍吾天子者,以為無援故也