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「定説」へのためらい - 枕流亭ブログ
歴史をかじっていると、「定説」「通説」「有力な説」「異説」といった言葉に敏感になる。とくに「定説... 歴史をかじっていると、「定説」「通説」「有力な説」「異説」といった言葉に敏感になる。とくに「定説」と「通説」の違いは気になる。「通説」は広く通行する多数説を指すが、「定説」はその時点で議論の余地のない確定的な説を指す。「定説」も新たな発見によって覆ることはまれにある。しかし「定説」はそう呼ばれている時点ではすでに仮説ではない。 僕は歴史の分野で「定説」という強い言葉を使うことにためらいを覚える。 論理遊びとして、非常にバカバカしい例を挙げよう。 「西暦17世紀初頭に徳川家康という人物がいた」 この命題が真か偽かなんて今さら歴史的問題になることはない。小学校の教科書にも載っている人物だし、家康の存在を支持する史料は腐るほどある。 家康別人説を支持する人もいるかもしれないが、そういう人は世良田二郎三郎元信が徳川家康なのだから、この命題を偽としているわけではない。 だから「西暦17世紀初頭に徳川