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船舶に関するmforce4のブックマーク (975)

  • びざん型巡視船 (2代) - Wikipedia

    びざん型巡視船(びざんがたじゅんしせん、英語: Bizan-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPS型、公称船型は180トン型[1][2]。ネームシップが配置替えに伴って改名したことから、びざん型→ばんな型→らいざん型と変遷してきた[3]。 海上保安庁は、昭和62年度から平成元年度にかけて、高速力と外洋行動能力を両立させた新型巡視船として、180トン型PS(みはし型) 4隻を建造した。しかし同型では、計画段階では全長46メートルとされていたものの、諸般の事情により、全長43メートルに短縮して建造されていた[4]。型は、同型をもとに全長を46メートルに延長し、清水や料の搭載量を増すことで、連続行動時間の延長と居住性の向上を図った改良型である[3]。 このような経緯から、主機関は当初、同型のものを踏襲して、SEMT ピルスティク製(新潟鐵工所により

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  • ひだ型巡視船 - Wikipedia

    ひだ型巡視船(ひだがたじゅんしせん、英語: Hida-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPL(Patrol vessel Large)型、船種は2,000トン型[1]。建造費用は1隻あたり約79億円であった[2]。 海上保安庁では1985年の日向灘不審船事件を受けて昭和62年度より180トン型PSを、また1999年の能登半島沖不審船事件を受けて平成11年度より高速特殊警備船を順次に整備するとともに、1,000トン型の高速高機能大型巡視船の計画も進めることで北朝鮮による工作船事案に対する体制を整備してきた。しかし2001年に発生した九州南西海域工作船事件において対処中の巡視船に対してRPG-7対戦車擲弾発射器が発射され、更に自沈した工作船を引き上げたところ82mm無反動砲や携帯式防空ミサイルシステムのように、従来考えられていたよりも長射程で強力な兵

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  • そうや (巡視船) - Wikipedia

    そうや(JCG Souya, PLH 01)は、海上保安庁の巡視船[1]。船種記号は、当初は他の大型巡視船と同じPL(Patrol vessel Large)とされていたが、後にPLH(Patrol vessel Large with Helicopter)に変更された[注 1]。また公称船型も、当初は単に「ヘリコプター搭載型」と称されていたが、2機搭載のみずほ型の出現によって「ヘリコプター1機搭載型」となった[2]。 海上保安庁に在籍する船艇の中では、保存船となっている初代「宗谷」(PL107)に次ぐ長寿船であり、巡視船として現役で運用されているものとしては最古。海上保安庁向けに建造されたものとしては初めてヘリコプター運用能力を有する巡視船であり、またPLHとしては唯一砕氷船としての能力を備えている。 来歴[編集] 昭和50年代、海上保安庁では、PL107「宗谷」の代替建造が求められるよ

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  • ウィスコンシン (戦艦) - Wikipedia

    ウィスコンシン(USS Wisconsin, BB-64)は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の4番艦。艦名はアメリカ合衆国30番目の州に因む。その名を持つ艦としては二隻目。現在はバージニア州ノーフォークのナショナル・マリタイム・センターで記念艦として保存されている。 ウィスコンシンは艦種分類番号がBB-64であったが、BB-63のミズーリよりも先に完成した。 艦歴[編集] ウィスコンシンは1941年1月25日にフィラデルフィア海軍造船所で起工し、1943年12月7日にウォルター・S・グッドランド夫人によって命名、進水し、1944年4月16日に初代艦長アール・E・ストーン大佐の指揮下就役した。 第二次世界大戦[編集] チェサピーク湾での公試および慣熟訓練後、ウィスコンシンはノーフォークを1944年7月7日に出港、英領西インド諸島に向かった。トリニダード島での整調航海後フィラデルフィアに帰

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  • ミズーリ (戦艦) - Wikipedia

    ミズーリ(USS Missouri, BB-63)は、アメリカ海軍の超弩級戦艦。アイオワ級の3番艦。艦名はアメリカ合衆国24番目の州に因む。この名を持つ艦としては4隻目。愛称は「Mighty Mo」あるいは「Big Mo」。 当時の副大統領であるハリー・S・トルーマンの出身のミズーリ州に因んでミズーリが選定された。太平洋戦争での日の降伏文書調印式場として、甲板上が使用された歴史的な戦艦である[2]。第二次世界大戦終結後は朝鮮戦争に参加した[2]。その後は予備役となったが、「600隻艦隊構想」に基づき近代化改修が行われて1986年に現役復帰し、イラン・イラク戦争中の船団護衛任務や湾岸戦争に参加した。1992年に退役した後は、1999年からハワイ州パールハーバーで記念艦として保存されている。しばしば映画にも登場し、『沈黙の戦艦』[注釈 1]、『パール・ハーバー』[注釈 2]、『バトルシップ』

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  • ニュージャージー (戦艦) - Wikipedia

    ニュージャージー (英語: USS New Jersey, BB-62) は、アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国3番目の州に因む。その名を持つ艦としてはバージニア級戦艦のニュージャージー (USS New Jersey (BB-16)) に続いて二隻目にあたる[注釈 1]。 ニュージャージーなどアメリカ海軍の新世代の高速戦艦は、海軍拡張法(ヴィンソン案)によって建造が承認された[注釈 2]。艦は1940年(昭和15年)9月16日にフィラデルフィア海軍造船所で起工された[3]。「ビッグ J(Big J)」(もしくはブラックドラゴン(The Black Dragon))の愛称で呼ばれたニュージャージーは、太平洋戦争突入から約1年が経過しようとする1942年12月7日に、キャロリン・エジソン(ニュージャージー知事チャールズ・エジソン夫人)によって命名、進水した。1

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  • アイオワ級戦艦 - Wikipedia

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  • アイオワ (戦艦) - Wikipedia

    1943年2月24日、アイオワはチェサピーク湾で慣熟訓練に出港し、その後大西洋岸に沿って整調航海を行った。8月27日にニューファンドランド島のアージェンティアに向かい、ノルウェー水域で作戦活動にあったドイツ戦艦ティルピッツの脅威に備えた。9月にイギリス海軍の攻撃によりティルピッツが行動不能になると、同海域を離れた。 11月にアイオワはカイロ会談、テヘラン会談に出席するフランクリン・ルーズベルト大統領を乗せ、カサブランカと米国を往復していた。また、この時ルーズベルト大統領はポリオに苦しめられていたため、艦には浴槽が設置されたほか、車椅子を収容可能なサイズのエレベーターが設けられた[要出典]。11月14日に雷撃訓練中にルーズベルト大統領が乗船している仮想標的のアイオワに、駆逐艦ウィリアム・D・ポーター(USS William D. Porter、DD-579)から過失で仮想魚雷発射中に実弾

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  • 護衛艦あきづき型 画像集

  • 江風型駆逐艦 - Wikipedia

    江風型駆逐艦(かわかぜかたくちくかん)は、日海軍の一等駆逐艦[1]。同型艦2隻[1]。 計画[編集] 谷風は1916年(大正5年)成立した八四艦隊完成案の一部に含まれる大型駆逐艦1隻の予算(2,028,145円)により建造され[9]、江風は大正6年度(1917年)追加予算にある八四艦隊完成案に含まれ、イタリアに譲渡した浦風型江風(初代)の代艦として建造された[10]。江風の予算は初代を解約したことによる返戻金相当額(879,367円)が当てられた[10]。 先行計画の谷風よりも江風の竣工が早く[7]、類別等級表にも江風、谷風の順に記載された[1]結果、型は江風型とされている[7]。 艦型[編集] 基計画番号F30[11]。前型である磯風型の設計を大幅に改良した。 機関に初めてオールギアードタービンを採用した艦(後述)で、計画は慎重に進められた[12]。船体形状は水槽試験で数種類を比較

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  • 浦風型駆逐艦 - Wikipedia

    浦風型駆逐艦(うらかぜかたくちくかん)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級。同型艦2隻。 概要[編集] 明治44年度計画で建造された駆逐艦。白雲型以来の外国に発注された艦であり、イギリスのヤーロー社で建造された。ディーゼルエンジンを搭載予定であったが、第一次世界大戦の勃発でドイツ、フルカン社の減速ギアが入手不能となりタービンのみが搭載された。江風は建造途中でイタリアに売却された。同じくドイツ製で、浦風に装備される予定だったバーマイスター式直立4サイクル単動ディーゼル2基[1]はドイツから中立国を通じて日に送られてきており、給油艦剣埼に搭載された[1]。 同型艦[編集] 浦風(うらかぜ)

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  • 磯風型駆逐艦 - Wikipedia

    磯風型駆逐艦(いそかぜかたくちくかん)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級[12]。日海軍の正式類別は天津風型駆逐艦(あまつかぜがたくちくかん)[13][14]。 計画[編集] 天津風型駆逐艦4隻(天津風、磯風、浜風、時津風)は[15]、海風型駆逐艦につぐ国産一等駆逐艦で[16]、八四艦隊案の第一歩となる大正4年度成立した軍備補充費の予算追加要求で計画された[17]。予算は大正5年度と同6年度の新造艦艇製造費から、4隻合計8,113,660万円と説明されている[18]。呉海軍工廠で2隻、三菱長崎造船所で1隻、川崎造船所で1隻が建造され、4隻とも1917年(大正6年)に竣工した[19]。起工から5カ月ほどで竣工した樺型に対し、「浜風」で進水から竣工まで5カ月掛かっていて、より慎重に工事が進められたことを示している[20][注釈 2]。 艦型[編集] 基計画番号F24[21]、海風型の拡大型と

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  • 暁型駆逐艦 - Wikipedia

    暁型駆逐艦(あかつきかたくちくかん、英語: Akatsuki-class destroyers)は、大日帝国海軍の駆逐艦の艦級[1]。第二期拡張計画に基づき、明治30年度計画でイギリスのヤーロウ社に2隻が発注され、1901年より順次に就役した[2]。 設計[編集] 基的に、第一期拡張計画で建造された雷型の小改正型となっており、平甲板型の船型と艦首の亀甲型(タートルバック)形態も同様である[3]。第一期拡張計画での建造艦は、いずれも舵頭が水面上に露出する半釣合舵としていたが、これでは敵弾などで破壊される恐れがあることから、型では釣合舵に改正された。これに伴い、排水量はわずかに増大し[1]、また石炭搭載量も減少している[2]。 ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気性状は圧力17.6 kgf/cm2 (250 lbf/in2)、飽和温度であった。主機関は3段膨張4気筒レシプ

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  • 若葉 (初春型駆逐艦) - Wikipedia

    若葉(わかば)は、日海軍の初春型駆逐艦3番艦である[3][4]。1934年(昭和9年)10月に竣工した。日海軍の艦船名としては1906年(明治39年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)若葉に続いて2隻目。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦時に空襲を受け沈没した。 1931年(昭和6年)12月12日、佐世保工廠で第61駆逐艦として起工した[2][5]。1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に初春、2番艦に子日、3番艦に若葉の艦名が与えられた[1][6]。1933年(昭和8年)夏、竣工前の初春と子日の公試運転で復原性能の不良が判明し、進水前に大きな設計変更が必要になった。 1934年(昭和9年)3月18日に進水[2][7]。同型4番艦初霜より約1か月遅い同年10月31日に竣工した[2]。若葉は第21駆逐隊に編入され、初春型1-4番艦がそろった。1941年(昭和16年)9月1

    若葉 (初春型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/22
    わかば,初春(はつはる)型-3番艦
  • 若月 (駆逐艦) - Wikipedia

    65口径10cm連装高角砲 4基8門 九六式25mm機銃 3連装5基 同単装12挺 13mm単装機銃3挺 61cm4連装魚雷発射管 1基4門 (九三式魚雷8) 九四式爆雷投射器2基 九五式爆雷 54個 若月(わかつき)は、日海軍の駆逐艦[4][5]。 概要[編集] 一等駆逐艦「若月」は[5]、秋月型駆逐艦の6番艦である[6]。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から[7]。 三菱重工業長崎造船所で建造[8]。1942年(昭和17年)3月9日に起工[8]。 1943年(昭和18年)5月31日に竣工後[4]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属[9]。8月15日附で第61駆逐隊に編入[10]。11月初旬のブーゲンビル島沖海戦に参加、つづいて米軍機動部隊艦載機によるラバウル空襲を小破で切り抜けた[4]。損傷修理のため、練習巡洋艦鹿島などと共に11月下旬内地へ帰投[4]。 1944年(昭和19

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    わかつき,秋月(あきづき)型-6番艦
  • 若竹 (駆逐艦) - Wikipedia

    若竹(わかたけ)は、日海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の1番艦である。 艦歴(年表)[編集] 1922年(大正11年)7月 進水 - (株式会社川崎造船所 建造) 進水時の名称は「第二駆逐艦」。 9月30日 - 竣工 1924年(大正13年)4月1日 - 「第二号駆逐艦」に艦名変更。 1928年(昭和3年)8月1日 - 「若竹」に艦名変更。 1932年(昭和7年)12月5日 - 暴風雨により沈没した早蕨乗組員の救助活動を行う[1]。 1937年(昭和12年) - 日中戦争に参戦。華南沿岸の諸作戦に参加。 1941年(昭和16年) 駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛任務に従事。 1944年(昭和19年)3月30日 - パラオ大空襲に際して、脱出を図るパタ07船団の護衛についたが、パラオ湾口3km沖にて4発を被弾し15秒で沈没した。 パラオ空襲下の若竹 若竹の最期。若竹は船団を護衛して逃れよ

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    mforce4 2013/03/22
    わかたけ,若竹(わかたけ)型-1番艦
  • 宵月 (駆逐艦) - Wikipedia

    65口径10cm連装高角砲 4基8門 25mm機銃 3連装7基 同単装機銃 数不明 61cm4連装魚雷発射管 1基4門 (九三式魚雷8) 九四式爆雷投射器2基 爆雷投下軌条2条(推定) 九五式爆雷 54個 宵月(よいづき/よひづき)は、日海軍の駆逐艦[3]。秋月型駆逐艦[4] の10番艦[5]。 艦名は宵の月、夕方の月の意味[6]。 艦歴[編集] 日時代[編集] 1946年に撮られた宵月 1941年(昭和16年)度計画(マル急計画)による乙型一等駆逐艦の第363号艦として、浦賀船渠で1943年(昭和18年)8月25日に起工[7]。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により浦賀での建造に変更された[8]。艦は、秋月型駆逐艦のうち浦賀船渠で建造された唯一の艦である。 1944年(昭和19年)5月10日、姉妹艦「春月」や海防艦等と共に命名[3]。 9月25日に進水[7

    宵月 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/22
    よいづき,秋月(あきづき)型-10番艦
  • 夕月 (駆逐艦) - Wikipedia

    夕月(ゆうづき/ゆふづき)は[2]、大日帝国海軍の駆逐艦[3]。睦月型駆逐艦の12番艦[4]。 概要[編集] 日海軍が藤永田造船所で建造した駆逐艦で、1927年(昭和2年)7月に竣工した[5]。竣工時の艦名は第34号駆逐艦[2]。太平洋戦争開戦時、引きつづき第二航空戦隊(司令官山口多聞少将)麾下の第23駆逐隊に所属していたが[6][7]、空母蒼龍と飛龍は真珠湾攻撃に参加し[8]、23駆は南洋部隊[9](指揮官:第四艦隊司令長官井上成美中将)に編入されてグアム島攻略作戦に従事した[10]。その後も南洋部隊の指揮下でラバウル攻略戦等に従事した[11]。 1942年(昭和17年)5月4日、ツラギ島攻略作戦従事中に空母ヨークタウン艦上機の攻撃で夕月は小破[12]、姉妹艦菊月が沈没する[13][14]。 応急修理後、ギルバート諸島攻略作戦に従事した[15]。同作戦中の5月12日、敷設艦沖島がブカ

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    mforce4 2013/03/22
    ゆうづき,睦月(むつき)型-12番艦
  • 夕立 (白露型駆逐艦) - Wikipedia

    夕立(ゆうだち/ゆふだち)は、日海軍の駆逐艦。白露型の4番艦である[1]。艦名は夕立に由来し、この名を受け継ぐ日の艦艇としては旧海軍神風型駆逐艦 (初代)「夕立」[2] に続き2代目に当たる。 艦名は海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち(初代)」、「ゆうだち(2代)」に継承された。 白露型駆逐艦4番艦夕立は佐世保工廠で1934年(昭和9年)10月16日に起工された[3]。1936年(昭和11年)6月21日に進水[3][4]。 7月15日附で中原義一郎少佐は夕立艤装員長に任命される[5]。また同日附で高橋亀四郎少佐[注釈 1] も白露型姉妹艦春雨艤装員長に任命される[5]。 8月1日、佐世保工廠に夕立艤装員事務所が設置され、また藤永田造船所では村雨艤装員事務所が設置された[6]。 11月1日附で中原は夕立初代駆逐艦長となる[7]。だが12月1日附で中原は峯風型駆逐艦汐風駆逐艦長[8] へ転任[注

    夕立 (白露型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/22
    ゆうだち,白露(しらつゆ)型-4番艦
  • 夕暮 (初春型駆逐艦) - Wikipedia

    夕暮(ゆうぐれ/ゆふぐれ)は、日海軍の駆逐艦[3]。日海軍の艦艇名としては1906年(明治39年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)・夕暮に次いで2隻目。 概要[編集] 一等駆逐艦夕暮(ゆうぐれ/ゆふぐれ)は[1]、日海軍が舞鶴海軍工廠で建造した駆逐艦[4]。初春型駆逐艦の6番艦である[5][6]。有明型駆逐艦に類別されていた時期があり[7]、また改初春型駆逐艦ともよばれる[8]。 1935年(昭和10年)3月に竣工した[3]。 太平洋戦争開戦後、ひきつづき第一水雷戦隊隷下の第27駆逐隊[注釈 1](有明[11]、夕暮、白露[12]、時雨[13])に所属した。夕暮は27駆僚艦とともに南雲機動部隊の内地帰投支援、アンボン攻略作戦、ポートダーウィン空襲(第二航空戦隊護衛)、珊瑚海海戦(第五航空戦隊護衛)、ミッドウェー海戦(主力部隊護衛)、ガダルカナル島輸送作戦、第三次ソロモン海戦(戦艦比叡救援

    夕暮 (初春型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/22
    ゆうぐれ,初春(はつはる)型-6番艦