タグ

船舶に関するmforce4のブックマーク (975)

  • モーリタニア (客船・初代) - Wikipedia

    モーリタニア(RMS Mauretania、通称Maury)はイギリスのキュナード・ラインの客船。スワン・ハンター造船所で建造され、1906年9月20日に進水。後に世界最大・最速の客船となった。特に注目に値する点は当時まだ開発段階であった蒸気タービンを姉妹船「ルシタニア」と共に採用したことで、このことは、後に大西洋定期船のデザインに大きな影響を及ぼすこととなる。「モーリタニア」はその豪華さ・速度・安全性から乗客に好評であった。 「モーリタニア」の船名の由来はローマ属州の1つであったマウレタニア(Mauretania)であるが、後に使用され始めたモーリタニア(Mauritania)へは改名しなかった。 初期[編集] 「モーリタニア」の側面図 ポストカード 速力のテストを行う「モーリタニア」 1897年、ドイツ客船「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ」が22ノット(41km/h)を記録しブ

    モーリタニア (客船・初代) - Wikipedia
  • ルシタニア (客船) - Wikipedia

    ルシタニア(RMS Lusitania)は、イギリス船籍、キュナード・ライン所有のオーシャン・ライナーで、ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーによって建造された商船。進水は1906年6月7日木曜日で、当時最大の旅客船であった。 第一次世界大戦中の1915年5月7日、ドイツ海軍の潜水艦U20より、南部アイルランド沖15 kmの地点で雷撃を受け、わずか18分で沈没した。乗客1,198名が死亡した。 犠牲者の中には128名のアメリカ人が含まれており、アメリカが孤立主義政策を一転し第一次世界大戦の参戦へと傾くきっかけとなったが、参戦の決定打となったのは1917年1月のツィンメルマン電報事件である。 ルシタニアの設計図 ルシタニアの船名は古代ローマ属州のひとつであった「ルシタニア」に由来する。キュナード・ラインによって発注され、ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーの367番ドックで1904年6月16

    ルシタニア (客船) - Wikipedia
  • ブリタニック (客船・2代) - Wikipedia

    1907年、ホワイト・スター・ライン社のブルース・イズメイ社長とハーランド・アンド・ウルフ造船所のウィリアム・ジェームス・ピリー子爵(ベルファスト)は、キュナード・ライン所属のルシタニア号やモーリタニア号に対抗するべく、比類ない大きさの三つ揃いの船舶を建造することを決定した。これらの船は速さではなく、豪華さと安全性に重点を置くものとした[1]。3隻の名称は後日決定され、それぞれの名称には設計者の意図を込めてオリンピック、タイタニック、ブリタニックと命名された[2]。 予算面とドックの条件で2隻のみ先立って造船され、1908年に一番船オリンピック、その1年後の1909年に二番船タイタニックに取りかかった。そしてオリンピックが進水した1911年に三番船の建造が発表された。 元来、この三姉妹の基的な図面は全く同じであったが、先立って乗客を乗せ実際に航海した一番船オリンピックの問題面や改善点を受

    ブリタニック (客船・2代) - Wikipedia
  • オリンピック (客船) - Wikipedia

    衝突事故の検証写真。右舷側に穴が開いたオリンピックと艦首を粉砕されたホーク。 当時は世界で最も巨大な船で、今でいう巨大クルーズ船と並ぶほどの位置づけであった。それに加え“絶対に沈没しない”という不沈伝説まで生まれたが、処女航海でタグボート「O・L・ハーレンベック」を巻き込みそうになったり、1911年9月20日にはイギリス海軍のエドガー級防護巡洋艦「ホーク」と衝突事故を起したりと、タイタニックの悲劇を暗示するような事故が相次ぎ、ついに姉妹船のタイタニック号沈没事故により、その神話はもろくも崩れた。 処女航海を終えたのは、1911年6月21日。船上に初めてプールが設備され、スピード以外では他社を凌いだ豪華客船である[1]。 オリンピックはタイタニックからSOSを受信し救難に向かった1隻であるが、両船は800kmも離れており、沈没現場に到着したのは先に到着したカルパチアが遭難者を救助した後であっ

    オリンピック (客船) - Wikipedia
  • タイタニック (客船) - Wikipedia

    タイタニック(英語: RMS Titanic、ロイヤルメールシップ・タイタニック)は、20世紀初頭に建造されたイギリス船籍のオーシャン・ライナー。 ホワイト・スター・ライン社が保有するオリンピック級客船の2番船であったが、処女航海中の1912年4月14日深夜に氷山に衝突し、その際の損傷による浸水が原因となって翌15日未明に沈没した。 タイタニックは、イギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライル(英語版)とトーマス・アンドリューズによって設計され、北アイルランドのベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された豪華客船である。タイタニックの正式名称「RMS Titanic」のRMS(Royal Mail ShipまたはSteamer)は英国郵便船(または英国郵便汽船)を意味する艦船接頭辞であり、船上でステーショナリーの購入、手

    タイタニック (客船) - Wikipedia
  • 島風 (島風型駆逐艦) - Wikipedia

    兵装の変遷[編集] 島風は竣工時より22号(対水上用) 電探を前マストに装備し、後に13号電探を後部マストに装備した[16]。機銃は竣工時に艦橋前に装備した13mm連装機銃を25mm連装に変更、25mm連装機銃は同3連装に交換した。また2番、3番魚雷発射管の間に機銃台を設け、25mm3連装機銃2基を装備、合計25mm3連装4基、同連装1基となった[16]。単装機銃は1944年6月30日調べの「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」では25mm単装7挺、同据付座7基、13mm単装1挺とされている[16]。その他に爆雷投下軌道(軌条)2組も装備された[16]。 艦歴[編集] 1941年(昭和16年)8月8日[24]、第125号艦として、舞鶴海軍工廠で起工した[22]。 1942年(昭和17年)5月15日、日海軍は第125号艦を島風(シマカゼ)と命名する[20]。艦艇類別等級別表に(艦型なし)島風と

    島風 (島風型駆逐艦) - Wikipedia
  • 伊号第四百二潜水艦 - Wikipedia

    40口径14cm単装砲 1門 25mm3連装機銃 3基9挺 25mm単装機銃1挺 533mm艦首魚雷発射管艦首 8門 魚雷20搭載 四式一号一〇型射出機 1基 伊号第四百二潜水艦[1](いごうだいよんひゃくにせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の三番艦。 概要[編集] 他の二隻の僚艦と同じく、完成が遅すぎたため実戦を経験することなく、戦後の1946年4月1日、五島列島沖で他の潜水艦23隻と共に処分される「ローズエンド作戦」に参加。アメリカ軍の実艦標的として海没処分となった。 正確な沈没地点は長い間不明であったが2015年7月に船影を海上保安庁が、8月7日に日テレビの報道番組真相報道バンキシャの取材チームが五島列島沖に沈む艦と見られる格納筒を発見したという。 2017年9月7日、五島列島沖で沈没艦の調査をしていたラ・プロンジェ深海工学会が艦及びそ

    伊号第四百二潜水艦 - Wikipedia
  • 伊号第四百潜水艦 - Wikipedia

    伊号第四百潜水艦[1](いごうだいよんひゃくせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の一番艦。 概要[編集] 潜水空母と俗称される艦は、独創的な構造で3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載し、かつ、地球一周半分の長大な航続距離を持っており、日海軍最高の秘密兵器といわれた。この能力は、アメリカ西海岸のアメリカ艦隊への攻撃や、パナマ運河への攻撃を企図して持たせられたものであったが、完成した頃には土周辺の制海権・制空権すら完全に失われており、艦が活躍する余地は残されていなかった。 2013年8月にハワイ諸島オアフ島南西沖の海底からハワイ海底研究所(英語版)が伊号第400潜水艦の残骸を発見した。この発見はアメリカ海洋大気庁によって米国国務省と日の政府関係者に確認され、同年12月2日に公表された[2]。2015年5月にはNHKがハワイ大学と共同で2014年10月に

    伊号第四百潜水艦 - Wikipedia
  • 伊号第四百一潜水艦 - Wikipedia

    1945年(昭和20年)1月8日竣工したが、既に日の敗戦は色濃くなりつつあった。それでも終戦直前の7月20日、アメリカ海軍機動部隊の泊地であるウルシー環礁を攻撃すべく舞鶴を出港、23日に大湊を出撃した。指揮官として第1潜水隊司令有泉龍之助大佐が座乗した。潜水艦長は南部伸清少佐が務めた。もともと設計時に想定された通常の攻撃ではなく、3機の『晴嵐』は特攻機として使用する予定であり、搭乗員に特攻隊員としての短刀が渡され、出撃時に特攻の別れの杯の式が執り行われていた。 僚艦伊号第四百潜水艦と途中合流の予定だったが合流できなかった。攻撃開始の直前に終戦となり、降伏の命令を現地で受ける。艦内では自沈か攻撃かで激論となったが、結局は艦長の判断で帰還と決し、艦載機を機密保持のため海上にて処分し、帰還途上の8月29日にアメリカ海軍により海上で接収される。有泉司令はこの2日後司令室で自決した。ただし自決日は

    伊号第四百一潜水艦 - Wikipedia
  • Mc.OKAZAKIのミリタリーよもやま話

    (写真は上から『高雄』『愛宕』『摩耶』『鳥海』) 今年初めての軍ネタは、Mc.専門分野のストライクゾーンど真ん中である太平洋戦争の日海軍。とりわけ造詣が深い重巡洋艦を取り上げます。 今日取り上げるのは4隻の『高雄』級重巡洋艦。太平洋戦争では重巡部隊の主力として、緒戦から連合艦隊の終焉であるレイテ沖海戦まで縦横無尽に働きまくった、いずれも武勲の誉れ高い艦です。排水量14,838㌧、速力34.25ノット、全長203.76m、全幅20.73mと大型の巡洋艦で、20.3cm連装砲5基10門、12.7cm連装高角砲4基8門、25mm連装機銃4基、13mm連装機銃2基、61cm魚雷4連装発射管4基16門、水上偵察機3機搭載と、対空兵装を除けば重巡として世界最強クラスの戦闘力を誇ります。また、大型の艦橋は艦隊旗艦として司令部の要員約100名を収容できるスペースを持っていました。 そうそう、一般に船は女

  • サン・マルコ (揚陸艦) - Wikipedia

    サン・マルコ(イタリア語:San Marco, L 9893)は、イタリア海軍のサン・ジョルジョ級強襲揚陸艦2番艦。艦名は聖マルコのイタリア語読みに由来し、この名を受け継いだイタリア軍艦としては4代目にあたる。 艦は内務省の予算で建造され、海軍が運用を担当する。 艦歴[編集] 「サン・マルコ」は、フィンカンティエリリヴァ・トリゴソ造船所で建造され1985年3月26日に起工、1987年10月10日に進水、1988年5月14日に就役し第3海軍管区に配備される。 1992年12月から「L9892 サン・ジョルジョ」およびサン・マルコ連隊(英語版)と共にソマリアへの人道支援(アイビス1号任務)のために派遣される。1993年、第24海軍グループを「C550 ヴィットリオ・ヴェネト」、「A5329 ヴェスヴィオ」、「F571 グレカーレ」で、第25海軍グループを「C551 ジュゼッペ・ガリバルディ」

    サン・マルコ (揚陸艦) - Wikipedia
  • サン・ジョルジョ (揚陸艦) - Wikipedia

    サン・ジョルジョ(イタリア語:San Giorgio, L 9892)は、イタリア海軍のサン・ジョルジョ級強襲揚陸艦1番艦。艦名は聖ゲオルギウスのイタリア語読みに由来し、この名を受け継いだイタリア軍艦としては3代目にあたる。 艦歴[編集] 「サン・ジョルジョ」は、フィンカンティエリリヴァ・トリゴソ造船所で建造され1985年5月27日に起工、1987年2月21日に進水、1988年2月13日に就役し第3海軍管区に配備される。 3番艦「L9894 サン・ジュスト」が就役する1994年までは士官学校の練習艦任務を務め、1999年に水陸両用戦部隊司令部に配備される。 1992年12月から「L9893 サン・マルコ」およびサン・マルコ連隊と共にソマリアへの人道支援(アイビス1号任務)のために派遣される。1993年に艦隊が編制されたが、その編制は次の通り。 サン・マルコ連隊 揚陸艦:サン・ジョルジョ、サ

    サン・ジョルジョ (揚陸艦) - Wikipedia
  • フィンスタビライザー - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2015年5月) 出典検索?: "フィンスタビライザー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL フィン・スタビライザー 左右のビルジ付近に取り付けられ、両者が船体の揺れを抑えるように左右逆向きに翼面が向きを変える。 フィンスタビライザー(Fin Stabilizer)は船の航行時の揺れ(ローリング)を抑える減揺装置の一種である。 概要[編集] 船底近くの両舷に魚のひれ(Fin)のような金属板が突き出しており、船の揺れに対応して航行時の水流に対する角度が自動的に調整され、この時生じる揚力によって揺れを最小限に抑えるよう働く。船体に沿って流れる水流を利用しているため、船

    フィンスタビライザー - Wikipedia
  • ジュゼッペ・ガリバルディ (空母) - Wikipedia

    AN/SPS-52C 3次元式×1基 SPS-768 対空捜索用×1基 SPS-774 低空警戒×1基 SPS-702 CORA 対水上 1基 SPN-749 航法×1基 SPN-728 着艦誘導×1基 RTN-30X 短SAM射撃指揮×3基 RTN-20X 砲射撃指揮×3基 ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア語: Giuseppe Garibaldi, C 551) は、イタリア海軍の航空母艦[1][2]。イタリア海軍史上初めて戦力化された空母であり、法的制約のために当初はヘリ空母として建造されたが、後にハリアー II攻撃機を搭載して軽空母として運用されるようになった[3]。また後継艦の「カヴール」が就役すると、ヘリコプター揚陸艦に転用された[4]。 艦名は、イタリア王国統一に貢献した19世紀の軍事家ジュゼッペ・ガリバルディに由来する[3][注 1]。 来歴[編集] 空軍の成立と大戦での

    ジュゼッペ・ガリバルディ (空母) - Wikipedia
  • カヴール (空母) - Wikipedia

    カヴール(イタリア語: Cavour, C 550)は、イタリア海軍の軽空母。艦名はイタリア王国の初代首相カミッロ・カヴールに由来しており、その名に因んだ艦はコンテ・ディ・カブール級戦艦一番艦「コンテ・ディ・カブール」に次いで2隻目である。 艦名の由来になった、イタリア王国初代宰相カミッロ・カヴール 「ジュゼッペ・ガリバルディ」の竣工直後より、イタリア海軍は2隻目の軽空母の保有を計画した。「ジュゼッペ・ガリバルディ」が「ヴィットリオ・ヴェネト」などヘリコプター巡洋艦の延長線上で開発されたのに対し、この2隻目の軽空母は揚陸艦任務も重視してウェルドックを設置するなど、強襲揚陸艦に近いものとして構想されていた[1]。 90年代中ごろになると、この計画はNUM(Nuova Unità Maggiore: 新型大型艦)として具体化した。96-97年版のジェーン海軍年鑑で掲載された設計はスペイン海軍の

    カヴール (空母) - Wikipedia
  • おじか型巡視船 (2代) - Wikipedia

    おじか型巡視船(おじかがたじゅんしせん、英語: Ojika-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPL(Patrol vessel Large)型、公称船型は1,000トン型[1]。 ネームシップが配置替えに伴って改名したことから、2000年以降はえりも型とも称される[1]。 設計[編集] 設計面では、昭和62年度計画で建造された「のじま」(1997年以降は「おき」と改名)の発展型となっている。「のじま」では船首楼甲板よりも1層高めて船尾甲板上に架するかたちとなっていたヘリコプター甲板は、強度甲板と面一とされた。また「のじま」ではベル 212までとされていたが、型では、より大型のシュペルピューマ・ヘリコプターの運用にも対応した[2]。減揺装置としてフィンスタビライザーを備えるのは「のじま」と同様である[3]。 またその直前の煙突も、「のじま」では船

    おじか型巡視船 (2代) - Wikipedia
  • のじま (巡視船・2代) - Wikipedia

    のじま (JCG Nojima, PL-01) は、海上保安庁の巡視船である。分類上はPL型、公称船型は1000トン型[1][2]。 就役時は横浜海上保安部に配属されていたが、1997年に境海上保安部に配属替えされ、これに伴っておきに名称を変更した。 2017年1月24日の解役後、船はマレーシア海上法令執行庁に供与されアラウ (KM Arau 8704) となった。 来歴[編集] 1970年代、200海里排他的経済水域制定など新海洋秩序時代の到来に伴い、海上保安庁は、昭和52年度補正計画から55年度計画にかけて1000トン型PL(しれとこ型)28隻を整備した。これはワークホースとして、警備・救難業務のいずれをも実施できるように設計されていたが、ハードが状況に対応しきれず、乗員に負担がかかる面も多かった。このことから海上保安庁は、ある程度振り分ける業務指定船制度を開始、昭和59年度からは救

    のじま (巡視船・2代) - Wikipedia
  • しれとこ型巡視船 - Wikipedia

    しれとこ型巡視船(しれとこがたじゅんしせん、英語: Shiretoko-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPL型、船種は1,000トン型[1]。 来歴[編集] 新海洋秩序の確立を目指して1973年に開幕した第三次国連海洋法会議を通じて、沿岸から200カイリ以内に所在する資源の管轄権を認める排他的経済水域の概念が提唱された。1974年の同会議第2会期において排他的経済水域概念は会議参加国間でほぼコンセンサス形成に成功し、海洋法条約第5部(第55条~第75条)に排他的経済水域制度に関する規定が設けられるにいたった[2]。日では元々、海洋資源活用の観点から、領海は3海里とするよう主張してきたが、この趨勢を受けて姿勢を転換し、1977年に領海法および漁業水域に関する暫定措置法を施行、領海が沿岸から12海里に拡張されるとともに、200海里の漁業水域が設定

    しれとこ型巡視船 - Wikipedia
  • はてるま型巡視船 - Wikipedia

    はてるま型巡視船(はてるまがたじゅんしせん、英語: Hateruma-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。分類上はPL(Patrol vessel Large)型、公称船型は1,000トン型[1]。また令和5年12月に1番船(ネームシップ)が配置替えに伴い改名したことから、だいせつ型とも称される。 予算要求時の名称から拠点機能強化型とも称される[1]。建造費は49億円[2]。 来歴[編集] 海上保安庁では、常に複数の大型巡視船を尖閣諸島周辺海域に派遣して領海警備にあたっているが、巡視艇の常時展開は行われておらず、通常は大型巡視船による連絡を受けてから石垣島や宮古島を出港することになる。しかし尖閣諸島までの距離は90海里以上に及ぶため、比較的堪航性に優れた30メートル型PCであっても、現場到着まで、最低でも3時間はかかることになる。従って、これらの巡視艇が到

    はてるま型巡視船 - Wikipedia
  • くにがみ型巡視船 - Wikipedia

    くにがみ型巡視船(くにがみがたじゅんしせん、英語: Kunigami-class patrol vessel)は、海上保安庁の巡視船の船級。区分上はPL(Patrol vessel Large)型。公称船型は1,000トン型[1]。また配置替えに伴って1番船(ネームシップ)が改名したことから、くにさき型とも称される[6]。 来歴[編集] 従来、海上保安庁のPL型巡視船は、いずれも排水量型の船型を採用してきた。しかし不審船事案や尖閣諸島問題対処の必要から平成14・15年度では高速高機能大型巡視船(あそ型)、平成17年度以降は拠点機能強化型巡視船(はてるま型)と、いずれも警備能力を重視した滑走船型の高速船が建造された[7]。これらの高速巡視船は高速航行時の運動性は優れていたものの、特にフィンスタビライザーの効果が落ちる低速・停船時の動揺が大きく、また船殻軽量化のため船型を切り詰めたために船内容

    くにがみ型巡視船 - Wikipedia