無宗教な自分が辛い タイトルは無宗教を嘆いているが、前半パートは「自分が死んでしまった後、自分自身の有意味性が確認できなくなる不安」が優勢に感じられた。 しばしば宗教は、「死後の世界」や「輪廻転生」を説く。あるいは教理に含む。だから、死後の問題や死への恐れを和らげる“手段”として宗教を求めるのはわかるような気がするし、間違ってもいないのだろう。 でも、宗教に片足 or 両足を突っ込んでいるからといって、「死後の世界」「輪廻転生」「西方浄土」を信じられるものだろうか? 例えば私は仏教を信奉しているつもりだし、浄土真宗に親しんで育ったほうだとも思う。じゃあ、私が西方浄土を信じているかというと、そんなに信じていない。「もし、信じざるを得ない境遇に追い詰められたら」すがりつくつもりでいるけれども、普段は意識していない。輪廻についても同じ。そういう考え方があるのは知っているけれども、じゃあ、本腰を入