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6日土曜の午後、大阪で開催された日本小児科学会の倫理委員会公開フォーラム「子どものいのちの輝きを支えるために ー重度障害をもった子どもの人権と尊厳をどのように守るかー 」という催しに参加してきた。午前の外来を終えてNICUを一回りしてから京阪で大阪へ出たので拝聴できたのは後半だけだったが、それでも、さいきん薄れかけたモチベーションを持ち直すのにはよい機会だった。 重症児の医療の歴史は、まったく医療の対象とすらされなかったという先史時代を経て、何が何でも救命延命するという黎明期があり、それはちょっと非人間的にすぎないかというアンチテーゼが公に語られるようになった革命の時代を経て、今に至るというのが私の理解である。 このアンチテーゼ、もう気管内挿管とか人工呼吸とかでやれる治療行為をすべて行って延命一辺倒の生涯を送らせるのではなく、治療行為の内容を選択してでも(その結果として計測される生涯時間は
良い死 立岩 真也 筑摩書房 2008-09 売り上げランキング : 54890 Amazonで詳しく見る by G-Tools この10月、共同通信のために書いた立岩真也『良い死』の短い書評を転載します。いくつかの新聞に配信されたはずですが、確認はしていません。 重度の障害や難病とともに生きる人たちの傍らで、望ましい社会のあり方を粘り強く模索してきた社会学者による、「尊厳死」に対する透徹した批判の書である。 誰かがひどい苦痛にさいなまれながら生きているとき、周囲の人間がなすべきは、その人の苦痛をできるだけ軽減し、より健やかに生きられるよう助力することであるはずだ。それはむしろありふれた常識ではないか。だが全く反対のベクトルをもつ主張、すなわち「不治かつ末期」の病者に速やかな死を与えよとする「尊厳死」の思想が勢力を広げつつある。それは「自己決定」や「自然」といった、聞こえのよい修辞
うちの場合、娘の父親は(最近少し何かに目覚めたようだけど)ずっとあんな風だったし、義実家も同じくだし、実家に至っては息子の顔すら見たことがないという風。皆が一抜けたをやったので、同じように自分も抜けたらどうなるだろうと想像するときもある。本心ではない。だけど周りの者達があまりにも軽々と逃げてしまったので、自分も同じように逃げても許されるんじゃないかと錯覚に陥る瞬間がある。家庭の基盤が脆弱。存続は私の意志だけにかかってる。発達障害児を抱えるそんな家庭は少なくないと思うのだ。でも子どもは社会の子どもだ。そして私には子どもを生きて育てて社会に返す義務がある。社会の力を借りてできるところまで頑張りたいと思っている。頑張れないへなちょこな自分が情けないけど、いけるとこまではこのままいって、だめになったら終わりにするんだと思うと少し気が楽になる(基本的に自殺衝動はない)。もうだめだと思ったときは私は一
ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。 福岡・小1殺害事件について、 こうした発達障害を持つ子の親は、 「たいしたことなくても現実以上に考え込んでしまう…」 と言った言葉で、 そうした悩みが「親の思い込み」であるように語られています。 本当に「発達障害のある子」を育てることは 「たいしたことがない」ことなのでしょうか? 軽度発達障害の子は、スーパーなどに行くと、商品の色や形が洪水のように目に入って、突然走り出したりします。パニックを起して暴れる子もいます。 食品を買いに行く…という 生活に必要な最低限のことをするだけで、 周囲からしつけのなっていない親という冷たい視線をあびたり、 子どもが危険なことをしてヒヤヒヤしたり、 実際怪我をして病院に行かなくてはならなかったり、 子供同士ぶつかって相手の子を怪我させたりするの
色々な事件の報道を見聞きして心が痛む今日この頃。 一般的には「何でそう考えるの?」「どうしてそこに結び付けるの?」といった不可解に思えることでも、起こしてしまった過程やその人が動機として語ることについての理解(肯定ではないのよ)は出来るけれど、共感は一切ありません。 ただ、コメンテーターやら心理学の専門家やら、学校関係者や近所の人たちが分析したり受け止めていたりする内容とは違っているだろうことが沢山あるはずで、今回の件での色々な人たちのコメントも「そうかもしれない・・・でも、そうじゃないこともたくさんあるのよ・・・」と、メディアに出て公に発言する人たちの無知ぶりを、こんな事件の後には思い知らされたりするのじゃ。 あるコメンテーターたちは、「おそらくほんのちょっとだけ手のかかる子供だっただけのはず」「行動の自己コントロールはこの年齢の子供なら皆出来にくいんですよ」といった発言をしていたし・・
年々、増加の一途をたどる県内の教職員の精神疾患。目まぐるしく変わる学習指導要領、対応が難しい子どもの増加、父母との関係など、昨今の子どもたちと同様、「職員室」もゆとりをなくしている。教職員の悩みに長年耳を傾けてきた県立南光病院(一関市)の山家均院長は「精神疾患の大多数は仕事の悩みや対人関係のストレス。日々、人間的対応が迫られる教職員の特徴だ」と背景を語る。 山家院長によると、教職員の精神疾患は1999年ごろから予兆があり、2002年ごろに急増したという。「地方公務員全般にそうだが、機構改革や大合併など、さまざまな社会的変化が影響しているのではないか」とみる。 山家院長が相談を受けた教職員の悩みは@教科指導A生徒指導B校内外の雑務C保護者対応−の順に多い。本県においては、へき地勤務による単身赴任の問題もあるようだ。 「頭痛が続き、眠れず、体もだるくなり、まったく意欲がわかなくなってしまった」
昨日のフレンチはおいしかった。 バタくさくてクリームでこねくり回した調理方法が好きでないため、ちきりんはあんましフランス料理は得意でないのだが、 昨日のとこはお魚系がとても上手に素材が活かしてあって爽快な舌心地でスタートでき、かつ、お肉もフォアグラとか使ってるのにもかかわらずあっさりしあげてあって、とてもちきりん好みでした。 フルコースだったのに全部しっかり平らげたです。結構珍しいことだ。 ただ、平日とはいえあんなに客が少ないと(たぶん私たち入れて全員で5名のみ)、長くは存在し得ないかも。 割り勘で一人 1万 7千円。ってか、高過ぎてお互い「おごるよ」と言えない・・シャンパンから食後酒まで飲んでるから、んなもんか。 まあ、また行ってもいいかな、というレベル。 ちなみに今までちきりんが自腹で食べた食事で一番高かったのはホテル西洋銀座ができたばっかりの頃に食べたメインレストランのランチ。 ひと
秋葉原通り魔事件は、2008年6月8日日曜日午後0時半ごろ、秋葉原の中心に位置する神田3丁目交差点付近で発生した通り魔殺人事件である。7名死亡、10名が重軽傷を負った。 6月11日以降、「秋葉原無差別殺傷事件」とも報じられるようになっている。 事件の概要 12時30分ごろ、加藤容疑者はレンタカーのトラックで神田明神下交差点方面から神田3丁目交差点にジグザグ走行で突っ込む。通りは当時、歩行者天国だった。ここで通行人を次々とはね、轟音とともにタクシーに衝突。約30メートル先で停止した。 加藤容疑者はベージュのジャケット姿。トラックから降りて、はねられて路上に倒れ込んでいた男性に馬乗りになり、サバイバルナイフで何度も刺した。 再び交差点に向かって走り出した。「飛行機のように手を広げて、蛇行しながら走って行った」という。 交差点で制服警察官に話しかけるような様子で近づくと、平然とした様子で腹部を刺
原油高に伴う派遣社員切捨てがその背景にあったのでは、といういっしゅの内部告発でもある次の記事。 【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610#1213114352 加藤某が働いていたトヨタの自動車工場の劣悪な労働環境は同じ青森県出身の鎌田慧さんの潜入ルポで有名になった話である。トヨタが敵、というのはわかりやすい。その先に原油高があるならもっとわかりやすい。でも、敵をそこに収斂させてしまうのはどうなのかな、と思う。原因をより詳細に吟味する上で、特定の名前を挙げることには確かに意味があるが、もうすこし問題を広く捉えたままで、考察をすすめていく必要もある。トヨタが消滅しても問題は解決するわけではない。トヨタに限らずあらゆる方面で鎌田慧的な言葉で使えば「人間の疎外化」は進行しているのだから、トヨタという名前を挙げることで
本日の演者は村上智彦・夕張希望の杜理事長と伊関友伸・城西大准教授。 特に村上医師の話が大変面白く、かつ共感するところも大きかった。 最近、医療界の中のアウトサイダーとして閉塞感・違和感が募る一方だったのだが 風穴が空いて新鮮な空気を吸い込んだ感じがする。 村上医師本人が「詳しくは6月1日のETV特集を見てほしい」と言っていたので 逐一報告ではなく、特に感銘を受けた部分をいくつかピックアップしたい。 共感したところ1 ・健康保険は相互扶助。制度には義務と権利がある。 健康保険を利用する者の義務は「健康に留意すること」と、法律に書いてある。 義務を果たすから権利も生じる。 権利だけ主張する人ばかりになったら制度が壊れる。 医療者からは、この先言いにくいことだと思うが 私も最近強く思うようになった。 自堕落な生活をして生活習慣病になった人間が 健康保険を使って最高の医療を要求するのはおかしくない
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