JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業
はてなブックマーク - もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに これは是非、corvoさんのような専門家のご意見を伺いたい所です。 私のブクマコメントはこれ↓ 守・破・離 / 勝手に、「テクニック」を「小手先の技術」と意味付けしている人がいるような。 / 「型」とかにすると、また印象が違うかもね。/ 教えずに自由にやらせるのを是とするなら、成績はつけるべきでないよね。 特に違和感を覚えた意見。 そりゃきみに才能がないだけの話だろう/近代社会において絵なんてのは「別にやらなくてもいいこと」なので、勤勉な国民を育成するための学校教育でちゃんと教えるわけがない。芸事をやるひとなんて税制上のお荷物。( y_arimさん) 絵や感想のテクニックなど全く意味が無い。そもそも正解の無い物にテクニックを求める発想自身が貧困。増田は心を伸び伸びと楽しませる事をもう少し考えたほうがいい。(xev
本論文では,国際人権法の近時の研究動向を「文化」という切り口からレビューする.(1)国際法研究において「文化」を語る意義がどこにあるか,(2)国際人権法とりわけ人権条約研究において「文化」を具体的にどのように語りうるか,という2つの課題を軸に近時の諸研究を概観することを通して,国際法学において「文化」概念が持ちうる可能性と問題点とを探究する.具体的には,これまでの国際法学・国際人権法学において,どのように「文化」が捉えられてきたか,従来の研究に批判的検討を加えた上で,「文化としての人権」や「文化としての条約」といった人権条約の重層的構築の様々なレベルに位置づけながら近時の各種研究を整理する.これらの作業を通じて,本論文は,「文化としての国際法」を語りうる方法としての文化概念,すなわち,国際法実践と国際法学を通じた法的世界像の構築を1つの地理的・歴史的な文化的営為として把握しうる再帰的な文化
ぼけの語用論 日本語における〈ぼけ〉 とは、主に加齢に伴う〈痴呆状態〉ないしは、その重い症状へといたる状況を描写する民俗医学用語である。日本語による〈痴呆〉とは痴呆状態という症状をさし、病名として呼ぶ際には〈痴呆症〉という名称が使われる。その際の〈〜症〉とは、病気ないしは疾患・疾病(disease)をあらわす接尾語である。 生物医学用語としての〈痴呆〉が国民の間に膾炙したのは、1968年の全国福祉協議会による 初の全国的な「居宅寝たきり老人実態調査」が実施され、72年の有吉佐和子のベストセラー小説『恍惚の人』(英訳書名:Sawako ARIYOSHI,"The twilight years," 1984.)が公刊された1960年代後半から70年代初頭のことである。 この時期における〈ぼけ〉の社会問題化は、〈痴呆〉という専門用語が一般的に国民に知られる につれ、俗語ないしは卑語としての〈ぼけ
Publisher to suspend cartoon sales after Muslims say it insults Islam Wednesday 21st May, 09:06 AM JST The requested article has expired, and is no longer available. Any related articles, and user comments are shown below. So please enlighten me, why do Muslims who go and get ready to go to war over a cartoon get your appeasement but those who are not Muslim, and are questioning whether the religi
エラー内容 以下のいずれかの理由により、該当するコンテンツを表示することができませんでした。 コンテンツの公開が終了した。コンテンツが削除された。 指定したURLが間違っている。その他、やむをえない事情があった。 ご不便をお掛けして申し訳ございません。 何卒よろしくお願いいたします。 イザ! イザ!トップへ戻る
晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…
大阪府立国際児童文学館とは 現在、大阪・吹田市にある大阪府立国際児童文学館の存続が危機に直面しています。 私がこのニュースをはじめて聞いた時、「もったいない」と思いました。 大阪には全国唯一の児童文学科を擁する梅花女子大学があり*1、日本児童文学学会*2・絵本学会といった大きな児童文学学会の事務局があり、国際児童文学館があるんですよ? と、いうことは、「日本の児童文学研究の中心地である」と胸を張って言えるのです。その、30年かけて少しずつ築いた地位を手放すなんて、もったいないとしかいいようがありません。でも国際児童文学館がなければ、その主張の根拠がおおはばに弱くなってしまいます。 この文章は、大阪府立国際児童文学館(以下、児文)がいかに重要な施設なのかを説明するものです。反対意見を述べるのが第一の目的の文章ではなく、存続を考えていく議論をしていくにあたって知っておいていだきたい最低限のこと
伝統文化の学習を特色に打ち出す中高一貫校がある。 音楽室で8日夕、三味線や鼓、笛の音色が響いていた。東京都立白鴎高校(東京・台東区)伝統の長唄・三味線部の活動だ。演奏は5、6年(高校2、3年)が中心だが、付属中学から進学した4年生の橘田美穂さんも、一緒に7分間近くの曲を弾き通した。 白鴎高校は2005年、都立初の併設型中高一貫校として、付属中学校を設置した。橘田さんら1期生は、1年生から3年生までの音楽の時間で全員が三味線を練習、「さくらさくら」などが弾けるようになった。 「授業で初めて三味線にさわり、西洋楽器との違いに心が引かれた。中学は三味線部がないので吹奏楽部に入っていたが、高校では絶対入部しようと思っていた」 顧問の渡辺綾子教諭は「普通、新入生には、バチの持ち方から教えるけれど、橘田さんはすぐにでも舞台に乗せられる」と太鼓判を押す。 浅草寺に代表される日本文化が色濃く残る地域にある
百万遍で某学会。だめ。わたしも含めて(ちょっと反省)あそこにいた人みんながそれぞれの立場でだめ。ある立場を批判したレポもあってあのことはあのことでもちろんだめだけど(レポ書いた人もだめ。書くならどんなにひどくても最後までいなかったのは失敗だと思う。あと、細かいけど重要な事実や文脈を排除してあるところもちょっと気になる。もちろんそんな事実や文脈を考慮しなければ誤解されるような発言がいろんな人が集まる会場でなされたのは問題)、わたしは別の立場の人たちも同じようにだめだと思う。ところで、多くの人はなんであんなに「BL」や「腐女子」に対して肯定的(というか距離が取れない)なんだろうか。自分が「リベラル」であるという振る舞いができるから? もちろん評価できるところもあるけど、わたし自身はある点が気になって、どうしても諸手を挙げて評価することができない。 というか評価を保留しているようなところがある。
さてと、今年のベストをちゃちゃっと発表する前に恒例のDis行きますかって、本当はねえ、こういう罵倒芸みたいなのもうやめたいんだけどねえ、まあ折角だから対抗言説をあげとくことにするわ。 やおい小説論―女性のためのエロス表現 作者: 永久保陽子出版社/メーカー: 専修大学出版局発売日: 2005/03メディア: 単行本 クリック: 47回この商品を含むブログ (34件) を見るいろいろとお勉強しようと思ってやおい論を読んでみたんだけど、その中でも一番前評判が高かったのが「やおい小説論」だったのね。昨今はエンターテイメントと絡めたりされてる腐女子という存在、どうも軽めのメディアとの相性が良いみたい。きっと、やおい論やってる方はヤキモキしてると思うのね。だってやおいの人々ってやおい論すごく好きよね、作品論じゃなくて、なぜ自分たちがそういうものを愛好するのかって語りたがるの。それって良いことだと思う
ぼくは、ここは記号学会である。みんなが同じ価値観を共有したり、スーパーマーケットの商品コーナーにそれが好きな人が集まって情報交換したりするようなことではなくて、異なる価値観、異なる専門領域を持つ人たちが境界を越えて行こうとする場なのだ。ぼくたちがこのセッションで試みたのもそれであり、そうではないオタク・トークはどっかよそでやってくれというようなことを言ったのだが、*1 申し訳ありません。 〈異なる価値観、異なる専門領域を持つ人たちが境界を越えて行こうとする場〉である記号学会の室井先生から見ると、 「どこに〈境界〉があるのか」 ということについては〈異なる価値観、異なる専門領域を持つ人たち〉が全員一致している、というふうに見えるのかもしれません。 室井先生から見たら、永久保・石田・私が「一味」に見えるんでしょうね。でも永久保さんと石田さんと私とでは「なにが重要な境界なのか」についてはたぶんズ
ホームページ/書き殴りINDEX / Living Will/友人のYONOSUKE君./傲慢な友人のkallikles君./ 小言 /last.fm/アンテナ ふと感じたことの書き殴り 2008/05/01 (木) 我が社は臨時休業日なる日。前々から予定されていて臨時休業とはこれいかに。 単に時に臨んで休むっていう意味なのか、それとも一時的であって倒産したわけじゃないという 表明のためか。 ごくろうさまなことに事務系は動いている。休業しているのは 教員だけみたい。火曜日と木曜日の授業回数をそろえる工夫なのだろう。 無理して14(あれ、15か?)にそろえる必要もないのではないかと思う。 14か15のどっちか、ぐらいでいいじゃんね。 東大路はバスが遅くていやなんだよな。京阪使った方が早いとかってことあるだろうか? さすがにそれはないわなあ。 百万遍。 なんか4月にはいって読書量が減ってる。連
日本記号学会第28回大会 遍在するフィクショナリティ 期日: 2008年5月10日(土) ,11日(日) 会場: 京都大学文学部 (京都市左京区吉田本町) 5月10日(土) 14:30‐17:30 シンポジウム・「すべての女子は《腐》をめざす─BLとフィクショナリティーの現在」 http://www.jassweb.jp/2008/04/post_8.html なんかすごいシンポジウムだった。参加料1500円を払って参加したのに、「オヤジ(たち)の猥談」を延々聞かされた。あ、ありえねー。別に目ざさなくたって、このシンポジウムは十二分に腐っていた。悲惨。 真面目に書くと、セクシュアリティについて論じられている、基本的な主題についてすら、踏まえられていないトークが続いたという、あまりにもレベルの低いシンポジウムだった。クィアのクの字が登場するどころか、無頓着に「普通」という言葉が飛び交う。私か
さて、3日に唐組の初日に顔を出してからそのまま水戸入り。 4,5,6と三日間のバッタ公開も最終日の青空に救われて無事終了。 いろんな人が来てくれていろいろなことがあった。が、それはまた後日。 そのまま、息継ぎする間もなく週末は京大での日本記号学会の大会。 いやあ、今回もいろいろ考えさせられた。 今回は河田学君に企画を任せていたのだが、なかなかまとまらず、四月の初めに日帰りで京都に行き、急遽決めたのが初日の企画、 シンポジウム「すべての女子は《腐》をめざす─BLとフィクショナリティの現在」 だった。 遍在するフィクショナリティということから、携帯小説やblog小説、BLなどを扱おうということになり、「腐女子」に詳しい清田友則君に電話で相談。『やおい小説論』の著者である永久保陽子さんを迎えて、BLや腐女子についてのセッションをやることにした。基本的には永久保さんに30分くらいレクチャーしてもら
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