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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (10)

  • 子育てにおける人生最後の瞬間 - 紙屋研究所

    小学6年生の女の子が誘拐され、命に別状なく戻ってきたときに母親が彼女を抱きしめたというニュースを聞く。 府警によると、母親は女児を抱きしめて号泣していたという。 https://www.asahi.com/articles/ASMCS36B7MCSPTIL001.html 小6の娘を持つ身として安堵するとともに、自分が娘を「抱きしめる」ということは、こうした娘の無事が確認されたというようなケースでもない限り、もはや自分の人生にはないな、と思った。 娘が保育園の頃、他の子のお母さんが、「この子には高3の兄がいるんですが、この前、その息子から『お母さん抱きしめさせて』というので抱きしめさせたことがあったんですよ〜」と話す話をクラス懇談会の場で聞いて、「そんなこっぱずかしい要求が」などと思ったものであったが、今になって妙に思い起こされる。 後になって思い返せば、「あれが人生で最後の子どものハグだ

    子育てにおける人生最後の瞬間 - 紙屋研究所
  • 『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』を使った献血ポスターとそれをめぐっての太田啓子弁護士のコメント・行動が炎上しているな。 togetter.com 太田は詳しくは述べていないようだが、要するに宇崎ちゃんの「巨乳」強調のイラストが「無神経」であり「公共の場での環境型セクハラ」であるからという理由で赤十字に何らかの苦情を言ったものと思われる(くりかえすが、この理由は推測に過ぎない)。 これに対するツイッターなどのネット上のコメントを見ると、「あいちトリエンナーレ」の騒動と重ね合わせて、これも表現の自由に対する攻撃ではないのか、という意見がけっこう目立った。 「巨乳強調」は女性の人権を侵すか そもそもの問題として、巨乳を強調したイラストを大勢の前に掲示するのは女性の人権を侵すこと、「環境型セクハラ」になるのか。 結論から言えば、「環境型セクハラ」=法令上の人権侵害とは思えないが、女性を性的な存在とのみみ

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所
  • 小学校の運動会は要らないなと思った理由 - 紙屋研究所

    この記事を読んで思ったこと。 news.yahoo.co.jp 特にこの点。 ●運動会の目的と目標がきちんと明確になっていない。 関係者のあいだで(保護者だけでなく、おそらく教職員の間ですら)腹落ちしていない。 ●その目的、目標に照らして適切な手段となっているかが十分に検討されていない。 ところが、なんと、指導要領には一言も「運動会」という言葉は出てこない。この事実を教職員は知っているだろうか? 正確に言うと、特別活動の学校行事のひとつとして、「健康安全・体育的行事」という記述はある。この体育的行事のひとつの例として、運動会はある。(指導要領の体ではなく、解説には運動会との文言は出てくる。) 極端な話をすると、「うちは運動会はしません」という学校があってもよいわけである。 運動会が目的に合ったものなのか、そもそもマストではないはずだ、という指摘は大事だ。 なぜなら、ぼくはつい先日小学6年

    小学校の運動会は要らないなと思った理由 - 紙屋研究所
    mikanyama-c
    mikanyama-c 2019/06/03
    保育園の運動会の話、そこではまず体を動かすことの面白さを見つけるイベントになってるんだな。運動会に代表される学校体育は暗黙のうちにゲームとしてのスポーツの面白さを知ってるのが前提になってるけど。
  • 「人権=思いやり」という洪水のような「教育」 - 紙屋研究所

    人権は道徳ではない、っていう、あの話だけどね。 fairs-fair.org 特にこの記事のこの部分。 谷口さんは「人権は道徳ではありません」と話す。 「人権啓発として『みんなで仲良くしましょう』というキャンペーンをよく見ます。これは裏返すと『仲良くできないのは市民の責任だぞ』と、政府は責任転嫁をしていると言えます。政府には人権を守る責務があり、そのための大前提として差別を禁止し、差別を受けたら救済をして、差別を未然に防止することが必要です」 マジでそう思うわ。 つうか、学校と自治体の人権教育が「人権=道徳=みんなで仲良くしましょう」で覆い尽くされていて当にヤバいと思う。その量・規模たるや洪水のようだ。 小学校の「人権学習参観」に行ってみればこれがベースでガンガン教えられているし、子どもたちに書かせる「人権標語」で最優秀に選ばれる作品はこのトーンばかりである。「広げよう えがお・やさしさ

    「人権=思いやり」という洪水のような「教育」 - 紙屋研究所
  • 関川夏央の予言は的中したのか - 紙屋研究所

    第一の見開きは突進する将兵の絵柄で、〈合戦は……〉と文字が添えられている。 第二の見開きには〈終わった……〉と文字があって、突進したはずの将兵がこぞって「ずっこけ」ている。 関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ!』(文春文庫)に出てくるみなもと太郎『風雲児たち』に対する解説である(p.142-143)。 この解説の後、関川は、「作者(みなもと)」は島和彦のアイデアに触発されたのではないかとして次のような一文をつけている。 作者は、少年マンガの島和彦が『炎の転校生』という作品で試みた最終ページの方法から、ヒントを得たかも知れない。 高校生が喧嘩へと至る経緯と喧嘩の技術に関しては克明にかきこんであるのに、喧嘩のシーンそのものはすべて省略、最終ページの「そして滝沢は勝った!!」という特大文字の一行と主人公のシルエット画だけで済ませてしまった。なんのために、どのようにして、誰に勝ったのか、

    関川夏央の予言は的中したのか - 紙屋研究所
    mikanyama-c
    mikanyama-c 2018/03/09
    『ワンダービット』以前の島本和彦の評としてはかなり的確だと思う|直前に同じログイン誌に連載されていた『インサイダーケン』の単行本を読んで関川夏央のその批評を思い出した記憶がある
  • 『史群アル仙のメンタルチップス 不安障害とADHDの歩き方』 - 紙屋研究所

    タイトルにある通り、不安障害、ADHDを抱えた作者の自伝であり、「メンタルチップス」、つまりメンタルの面でのちょっとした(自分流)対処法である。 うまく学校や社会になじめず、生活が破綻し、死ぬ直前まで追い詰められる様は『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の永田カビを思い出す。 ただ、永田カビの方を読んだときは永田の苦悩の天よりも、性が自分を解放するカギになっていて、「フーゾク」(この場合「レズ風俗」)がその解放の契機となる可能性について驚かされた。そしてそれは説得力があった。 史群アル仙(しむれ・あるせん)の書については、もっとまっすぐに、障害をもった自分がどう社会に「適応」するのか、という点が読む者に伝わってくる。 ぼくが興味を持ったのは、第29話「ADHD、働く」である。 ADHDと診断されても、「何か変わるワケではありません」(書p.129)。つまり、そのまま職場がその診断を

    『史群アル仙のメンタルチップス 不安障害とADHDの歩き方』 - 紙屋研究所
  • 『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所

    書いていたら長くなった。 先に要旨をまとめておく。 マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。 戦争小説戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。 「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世

    『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所
  • 「格差は教育費無料でも広がる」のか - 紙屋研究所

    このエントリを読んで思い出したこと。 格差は教育費無料でも広がる ぼくは無料塾で講師のようなことをやってきたが、この春、ずっと教えてきた中学生のRくんが志望する学校に合格できた。万歳! Rくんは前のエントリでも書いたけど、「偶数と偶数の和はなぜ偶数か」という説明をぼくがして、なかなか理解してもらえなかったという話に出てくるコである。 偶数と偶数の和は偶数であることの説明 - 紙屋研究所 偶数と偶数の和は偶数である・リベンジ - 紙屋研究所 Rくんのお母さんの話では「その進学しようと思っている学校の入試の過去問をきちんとやっておけばよい」と担任が言っていたとのことだった。3年分の過去問が実際に中学校から手渡されていた。そこでお母さん、人と話し合って、入試までも残りの時間は過去問をカンペキにできるようになっておこう、ということを目標にしてやることにした。ぼくは「過去問はカンペキに解けるように

    「格差は教育費無料でも広がる」のか - 紙屋研究所
  • 議事録に残るヤジのこと - 紙屋研究所

    都議会のヤジが問題になっている。 東京にいたころ、国会や都議会を傍聴した。国会のヤジは有名であるが、都議会のヤジもかなりひどかった。自民・公明がひどいという印象があって、共産が質問しているときは、聞き取れないこともしばしばあった。 ところが福岡市に来てびっくりしたのは、市議会でほとんどヤジがないことである。特に自民党・公明党は一言もヤジを発しない。きわめて「紳士・淑女」なのである。 というか、東京は総じて地方議会がヤジに寛容であった。 ぼくが初めてそのことに気づいたのは、議事録を読んでいるときだった。 議事録にほとんど残らない福岡市 実は、ヤジは議事録(会議録)に記録されることがある。 「発言する者あり」「……と呼ぶ者あり」などと記されているのがそれだ。 福岡市議会の場合は、これがほとんどない。 唯一あるのは 「異議なし」と呼ぶ者あり。 というフレーズだけである。 これが検索するといっぱい

    議事録に残るヤジのこと - 紙屋研究所
  • 屋代尚宣『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』 - 紙屋研究所

    NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の視聴率が急落だそうである。 http://npn.co.jp/article/detail/70028087/ 観てない? いやぼくも観てないけどね。娘と「ダーウィンが来た!」を観た後観ようととすると娘から「消して!」と言われる。むりやりスイッチを切られる。ドラマ一般が「こわい」からである。とりわけ時代劇は。 そもそも多くの人にとって「クロダカンベエ? なにそれうまいの?」という状態ではないのか。そういう非常識・非国民な手合いのために、おれがひとつ黒田官兵衛まめ知識をさずけてやる。 黒田官兵衛というのは、兵庫県あたりの土豪だったんだけど、中国地方に攻めてきた織田信長、その家臣だった豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の軍師、まあ参謀みたいなもんになって、その後秀吉の天下統一を大いに助けた、そういう人物だとされている。 まめ知識おわり。 「黒田官兵衛」の人生のどこにドラ

    屋代尚宣『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』 - 紙屋研究所
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