上田駅(長野県上田市)で新幹線を降りると、真田信繁(のぶしげ)(幸村)騎馬像が旅人を迎えてくれる。真田氏の家紋「六文銭(ろくもんせん)」の旗に導かれて着く上田城では、信州上田おもてなし武将隊の真田幸村と十勇士が待ち、本丸には真田神社が建つ。まさに上田は城も町も真田氏一色である。 1583(天正11)年に信繁の父、真田昌幸が上田城を築いた。このとき昌幸は徳川家康に従って上杉景勝と対決していた。景勝が軍事的圧力をかけると、昌幸は徳川の領地を守る拠点として、家康の助力を得て強固な上田城を築いた。ところが上田城完成後に昌幸は家康を離れて景勝に臣従した。激怒した家康は家臣に命じて1585(天正13)年に上田城を攻めた。しかし、巧みに城を用いて戦った昌幸に翻弄され大敗してしまった。 当時の古文書に昌幸は「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」と評された。これは知略・謀略に優れた武将という意味で、同時代の武
![【千田嘉博のお城探偵(11)】難攻不落の上田城 真田の「表裏比興」精神、徳川を手玉に(1/3ページ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5d90de659a08a51cb88c078b0ee0d6c4daeaec44/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fresizer%2F3mLcq3sglP4_3DKwkYxEKO6sVpc%3D%2F1200x630%2Fsmart%2Ffilters%3Aquality%2850%29%2Fcloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com%2Fsankei%2FE3KGTNS5BJMVLJVL6OPSYFOIMI.jpg)