ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (142)

  • グーグルへの対抗意識: やまもも書斎記

    2010-03-05 當山日出夫 国会図書館でのシンポジウムとか、あるいは、京大での「文化とコンピューティング」などで、感じたこと。日では、グーグルに対する対抗意識が希薄なのではないか。 いや逆だろう。ヨーロッパの方であると、はっきりと、対グーグルアメリカ)という意識を明確に持っている。自分の国の文化遺産、文化資源は、自らの責任でデジタル化して発信するのだ、という強固な意志を感じる。 これにくらべると日はどうだろう。国会図書館の大規模デジタルライブラリ構想とはいっても、グーグルブックサーチに対抗して、自国の文化遺産(書籍)を、自国の手でデジタル化するのだ、という意識があるか、どうか。どうも、これまでの、グーグルブックサーチをめぐる日での議論は、そういう方向ではないように思えてならない。 それから、この観点から重要なこと。ヨーロッパが、対グーグルということで、自らの文化資源をデジタル

  • いつ止めるかの判断: やまもも書斎記

    2010-02-24 當山日出夫 昨日、一昨日とは、京大で、「文化とコンピューティング」。これは、これで、追って感想など書こうと思う。その前に、その前(先週)の国会図書館のシンポジウムの件。 ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム このシンポジウムの発表を聴いていて、興味深いと思ったこと、一つ書いておきたい。それは、最後の発表にあった、 講演「電子情報の長期保存計画支援ツール“Plato”による信頼できる計画の作成」 アンドレアス・ラウバー (ウィーン工科大学教授) で、語られたこと。それは、ある制度やシステムを設計するとき、「いつ止めるか」を組み込んでおかなければならない、という論点の指摘。 たとえば、あるデジタル保存の技術がある、(PDFであるとか、JPEGであるとか)、これを採用するには、まず何かの判断基準による。そして、その時に考えなけ

  • 『ARG』414号の感想: やまもも書斎記

    2010-02-18 當山日出夫 しばらく更新をさぼってしまっていた。明日(19日)は、東京に行って、国会図書館の「ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム」。 そのつぎの20日は、「「精神障害者」の呼称と表記を考えるシンポジウム」で話し。 帰ったら、京大で「文化とコンピューティング」の国際会議。これは、取材する側になってしまったので、漫然と聞いていればいいというわけにはいかない。 その後に、絶対の期限が25日という原稿の締め切り「東洋学へのコンピュータ利用」(3月19日) というようなわけで、発表の準備やら、原稿を書いたりで、おくれてしまった。 で、ようやく、『ARG』414号の感想。 連続しての「国立国会図書館若手連続インタビュー(3)」である。今回は、堤恵さん。 さて、やっぱり(?)出てくる言葉が、「インフラ」ということ。これは、別に岡

  • 『ARG』413号の感想: やまもも書斎記

    2010-02-08 當山日出夫 『ARG』413号の感想を少し。少し書こうと思っても、今回の号は、インタビューが二つもある。さて、どちらからにしようか…… で、まずは、前回のつづきで国会図書館(倉重さん)の方から。気になったところとしては、国会図書館内部が長尾館長を中心にずいぶんと自由闊達な動きができる組織だな、ということ。この基盤があったからこそ、d-laboでの連続対談が実現できている。このことがまず。 次に、ナルホドと思ったのは、次のような箇所、 >>>>> あと、国立国会図書館自身が、コンテンツをつくって発信するということができるようにしたいと考えました。そうでないと、単なる古文書館になってしまうと思ったので……。もちろん、古文書をばかにしているわけではないですよ。ただ、国立国会図書館の存在にもっとリアルタイム性を持たせたかったのです。国立国会図書館は100年後にデータを提供でき

  • エル・ライブラリー見学記(その2): やまもも書斎記

    2010-01-28 當山日出夫 日で一番のビンボーであることを自称するエル・ライブラリーであるが、当にビンボーである。なんとか、行政の方でどうにかならないものかと思う。 が、それと同時に感じたことは、資料を集めていけば、おのずと、MLA連携にいたる……ということである。労働問題関係の資料についていえば、書籍(労働問題の研究書や、会社の社史など)だけではなく、一次資料として各種の文書類が、出てくることになる。そして、労働運動という人間がかかわることであるだけに、かならず、モノがともなう。 つまり、必然的にMLAの各分野にまたがる資料をあつかわざるをえない、ということである。逆に、MLAという分け方が、そもそも、後から人間が分類してわけたものである。オリジナルの資料(文書・モノ、あるいは、書籍)が、はじめから整然とそこに、そのように整理されるべくしてあったわけではない。 ただ、資料の整理

  • エル・ライブラリー見学記: やまもも書斎記

    2010-01-26 當山日出夫 先日、2010年1月23日、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の関西地区の見学会が、エル・ライブラリーであった。(記録管理学会と合同)。そこで見たことの一端なりと記しておきたいと思う。 エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館) http://shaunkyo.jp/ 見学会の趣旨は、MLA連携にある。学会(JADS)のHPから引用しておくと、 >>>>> エル・ライブラリーは労働資料に特化した専門図書館である。この図書館の特徴は、労働問題や労働運動に関する図書や雑誌のほか、労働組合の議事録など、労働運動を研究する際に重要となる文書類(アーカイブズ)や労働運動に関連する文化財までをも集めているところにある。最近、博物館(Museums)、図書館(Libraries)、文書館(Archives)の連携、融合が注目されているが、この図書館はまさにMLA

  • じんもんこん2009覚書(2): やまもも書斎記

    2009-12-23 當山日出夫 さて、今年の「じんもんこん」は、まあ、いつもと同じ、相変わらずといえば、あいかわらず・・・である。しかし、参加する側のこころづもりとしては、去年までとは、やや違った心がまえで参加したつもり。 それは、コンピュータの利用が、どのように人文学研究の発想を変えるか、新しい人文学研究の萌芽が見られるか、ということを積極的に見ていこうという気持ちが内部にあったこと。 このようなことを考えているのには、ここ一年ぐらいのいろんな経緯がある。少なくとも、いまのままの研究会を、そのまま継続していくだけでは、新しい次の段階のことは見えてこない。何か新しい発想、新しいものの考え方がないものだろうか、このように強く考えるようになってきている。 この意味で、今回の「じんもんじん2009」のテーマ「デジタル・ヒューマニティーズ」は、確かに新しい発想へのチャレンジである。だが、それが、

  • Wikipediaと新聞:文化の階層の共存: やまもも書斎記

    2009-11-29 當山日出夫 『ARG』の読書会のようにやっている授業での学生の感想を、以下に転記しておく。Wikipediaと新聞の問題。いわれてみて、私も、なるほど、と思った。たしかに、日の新聞は、階層的に(あるいは、社会階級的に)分かれていない。地方紙と全国紙のちがいがあるぐらい。広告にまで目をやれば、週刊誌の記事(見出し、目次)まで、掲載ということになる。 以下、転記(※この転記の件については、授業のガイダンスで事前に了解を得てある。) >>>>> 外国語版のウィキペディアに比べて、日語版のそれに大衆文化に関連する項目が異常に多いという。話を欧米諸語版と日語版の違いに限定すると、私見では、日では欧米ほど上位文化と下位文化の区別を厳密にしない者が多いためではないか。この傾向は、例えば、特に発行部数の多い新聞や雑誌等に顕著であり、このことは予てから言われているが、教養のある

    min2-fly
    min2-fly 2009/11/29
    これはなるほど。
  • Twitterの本あれこれ、書いていないこと: やまもも書斎記

    2009-11-28 當山日出夫 今日は、当は、神戸大学に行って「人文科学とデータベース」シンポジウムの日なのであるが、家で休養ということにしている。神戸あたりは、我が家からは便利になった(近鉄~阪神)とはいえ、寒いだろうなあ、とおもいつつ。 ところで、今、手元にある、Twitter関係の(新書)は、次の4冊。 小川浩.『仕事で使える! Twitter超入門』(青春新書).青春出版社.2009 コグレマサト・いしたにまさき.『ツィッター140文字が世界を変える』(マイコミ新書).毎日コミュニケーションズ.2009 津田大介.『Twitter社会論-新たなリアルタイム・ウェブの潮流-』(新書y).洋泉社.2009 神田敏晶.『Twitter革命』(ソフトバンク新書).ソフトバンククリエイティブ.2009 ここで、どののを読んでも「なるほど」と思ってしまうのであり、特に、ここで、どれが

  • Wikimediaカンファレンス2009: やまもも書斎記

    2009-11-23 當山日出夫 さて、昨日は、Wikimediaカンファレンス2009。発表した立場であるので、あまり、批判的なことは書きたくない。しかし、課題も多く見えてきている、さて、どうしよう、というあたりである。 ともあれ、(最終的な人数はきいていないが)200~300名におよぶ、参加者があったことは成功であり、関係者の努力に感謝しなければならないだろう。そうはいいつつも、ここは、日においても、時代の流れというものがある。なぜ、Wikimedia(あるいは、端的には、Wikipedia)に、かくも関心があつまるのか。そして、(私の知り得た限りで)議論が、微妙にすれ違ってしまっているのか。 まあ、議論がきちんとかみ合うような、会合という方がめずらしい、というより、どこかおかしいとすべきなのであって、どのように、すれちがっていたかという観点から考えた方がいいのであろうが。 ここで、

  • 百科事典を使う教育: やまもも書斎記

    2009-11-25 當山日出夫 先日(2009年11月22日)、Wikimediaカンファレンス2009(東京大学)で、話しをして感じたこと。 端的に言えば、日には、「百科事典」をつかう教育の基盤がない。そこに、デジタルのWikipediaがはいってきたらどうなるか、その混乱と見ることもできよう。 まず、(私自信の経験からであるが)、初等教育からはじまって、高等教育にいたるまで、「百科事典」を学習に利活用するという教育をうけていない。高等教育(大学)レベルであれば、むしろ見るべきは、専門の事典である。たとえば、『国史大事典』などの類。これをみるべきであって、「百科事典」などは、ちょっと参考にする程度……というのが、一般の大学教育のでのあつかいではないのか。 なお、私は、事典・辞典の類は、買ったらすぐに箱とカバーをすててしまう。を裸の状態にして棚におく。大漢和・日国語大辞典、すべて

  • NDLのコンテンツは誰のものか: やまもも書斎記

    2009-11-10 當山日出夫 NDL(国立国会図書館)のオンラインサービスを考えていくと、最終的にいきつくところは、そのコンテンツは、いった誰のものであるのか、というあたりに行きそうである。 あらかじめ、ことわっておかねばならないのは、誰のものであるのか、ということと、何のために利用可能であるのか、ということは、とりあえず別の問題である。しかし、密接に関連する。 NDLのコンテンツという視点から見た場合、それは、国民のものだろう。少なくとも、いまの常識的判断からするならば。国家のものであるというよりも、主権者たる国民のものであり、それを集中的に管理する機関として、NDLがある……というのが、大方の理解であると考える。 ならば、誰でもが、それを使えるか。もちろん使える。利用規程によって、国民のすべてにひらかれている。 だが、これは、基的に「」に限られる。(保存が重要である貴重書もある

  • ケータイであそべるNDLサイト: やまもも書斎記

    2009-11-09 當山日出夫 昨日のつづき。 NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション NDLWEBサービスに望むこと http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/11/08/4683256> 出てくる話しは、きまってと言ってしまってよいかもしれないが、ケータイで使えるサイトの設置。 これには、賛否両論あろう。 まずは、賛成論から。いまどきの若者は、ケータイが主流になってきている。少なくとも、まずケータイ。パソコンとはつかいわけている。このような現状をふまえるならば、若い人たちをよびこむためには、ケータイで使えるサイトが必要である。 これには、強いて付け加えることはないだろう。ただ、パソコン画面(マウスの操作による)と、ケータイ画面(スクロール式のメニュー)とでは、ユーザインターフェースの設計がことなる、このあたりに配慮する必要がある。 これ

  • NDLのWEBサービスに望むこと: やまもも書斎記

    2009-11-08 當山日出夫 一昨日は、立命館の岡真さんのARGの講演会。私がたてた企画のようになってしまっているので、なんとな責任のを感じる。この感想は、おって後ほど。 昨日は、NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション、なるものに参加してきた。(ブログに書くな! と誓約書にサインしたわけでもないので、書いたってかまわないだろう。) 私の理解するところ、国立国会図書館のいろんなオンラインサービス、これがつまらない。では、どうしにかしよう。それも、できるなら、今の、長尾館長の任期の間に。まずは、いろんな人、図書館の関係者だけではなく、社会のいろんなところで活躍しいる人、あるいは、普通の人に、集まってもらって、ディスカッションしてもらい意見をあつめよう……それを、最終的に集約し、反映したシステムを構築しよう……ということ、(らしい、と私は判断する。) 中心は、慶應の原田隆史

  • 図書館の本の廃棄について: やまもも書斎記

    2009-10-30 當山日出夫 都立図書館の書籍廃棄について、最新の情報。 ポット出版 松沢呉一の黒子の部屋 お部屋1971/【必読】多摩図書館廃棄についての正確な情報 http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091030_011904493914868.html 図書館といっても多様である。1冊あればいい、というものではない、しかし、たくさんあればいいのかというと、そうでもない。 大学図書館などでは、学習用の基図書は、複数が必要。アメリカの大学院教育なみに、予習・復習をかならず、というほどでもないにしても、基的文献は、複数冊がそろえておく必要がある。でないと、学生の勉強に困る。 あるいは、公共図書館で、その時のベストセラー作品への需要が急激に増える場合など。対応のために、複数冊、必要ということもあるだろう。(この点については、図書館は、無料貸屋でい

  • Wikimedia Conference Japan 2009: やまもも書斎記

    2009-10-29 當山日出夫 2009年11月22日 Wikimedia Conference Japan 2009 東京大学で開催である。この件、すでにいろいろWEB上にでまわりはじめている。 家のURLは、 Wikimedia Conference Japan 2009 http://www.wcj2009.info/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 参考 マガジン航 Wikimedia Conference Japan 2009への誘い http://www.dotbook.jp/magazine-k/2009/10/28/wikimedia_conference_japan/#more-917 暫定であるが、プログラムも公開になっている(つまり、わたくし(當山)も話しをするという予定です)。でも、何を

  • 図書館の蔵書廃棄をMLAの視点から見ると: やまもも書斎記

    2009-10-28 當山日出夫 tanemoriさんのコメントについて、少し考えてみる。 は地域にあるべき http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/10/20/4643919 のコメントのなかで言及のポット出版のブログ http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091022_012237493914733.html http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091025_045159493914775.html http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091026_020453493914786.html http://www.pot.co.jp/matsukuro/20091027_123210493914816.html ここをざっと読んでの感想をいえば、MLAの役割が錯綜して

  • 本は地域にあるべき: やまもも書斎記

    2009-10-20 當山日出夫 多摩図書館の件、 ブログ:図書館学徒未満 多摩図書館の件 http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20091020 に、ある都議会議員からの回答が掲載になっている。読んでみて……気になるのは次の箇所。 >>>>> 今回多摩に保存してあった約15万冊の行政資料・地域資料(都・区・市町村に関するもの)を都立図書館に集約した結果、約75,000冊がダブっていたため、 <<<<< この「行政資料・地域資料」というのは、具体的にどのようなものなのだろうか。75000もダブるというのは、いったいどのような書籍・資料なのだろうか。 書庫がない……そうかもしれない。しかし、個人で、万の蔵書があるような人間はざらにいる(たぶん、私の蔵書も万にはおよばないかもしれないが、かなりある)。75000といえば、大量のようだが、ちょっとした蔵書家、7~8人分では

  • 図書館は本を棄てるな: やまもも書斎記

    2009-10-20 當山日出夫 twitter図書館関係、出版関係で、話題になっている。 #metrolib ポット出版からの情報 http://www.pot.co.jp/asayake/20091017_221422493914656.html 朝焼けの図書館員 救いたい! 以下、一部引用 >>>>> 10/9(金)に、東京都立中央図書館から都内各自治体の図書館長宛にFAXが送信された。 実際に直接そのFAXに目を通してはいないので詳細は不明ながら、斎藤さんの話から内容をまとめると、概ねこんな感じであった。 ・多摩図書館が所蔵していた多摩地域資料約7万冊と雑誌など併せて、 計約8万冊を処分することにした。 ・引き取りたい館は、10/23(金)までに直接取りにくること。 通達から2週間ということは、図書館の稼働日で言えば約10日間。 引き取る側の負担で取りに行くのだから、当然費用がか

  • 「公表したものは共有財産」について (4)公共性とは何か: やまもも書斎記

    2009-10-16 當山日出夫 この話題、Twitterでちょっと書いてみて、意外と重要と思うので、ここにも書きとめておく。 一般に、ビジネス利用と、公共利用と、対比的に語られることが多い。営利の出版社・書店と、図書館や大学、機関リポジトリなど。 だが、当の対立軸は、あるいは、考えるべきは、公共性とは、みんなで共有すべき「Cultural Digital Heritage」とは何か、どうあるべきか、という視点からの議論ではないだろうか。 営利・非営利という対立軸から、こぼれてしまうのが、NPOという存在。利益をあげてもよいが、それを自己目的化してはいけない、というもの。その継続的存在のために、経費は必要。 「公表したものは共有財産」という方向の先には、「公共性」とは何か、という問題がよこたわっているように思える。いや、そのはずである。「公共性」という問題こそ、みんなで考える問題であるは