「公益のまち」を自任する酒田市で、「公益の祖」と称される江戸期の豪商本間光丘(みつおか)(1732~1801年)ゆかりの市の図書施設「光丘(こうきゅう)文庫」の建物が利用されずに放置されている。2017年に所蔵資料を移して長期休館に入って以降、利用のめどの立たないまま立ち入り禁止が続く。市は「活用策を検討中」と強調するが、具体的な進展は見られない。 光丘文庫は1925(大正14)年、本間家8代当主光弥が蔵書2万冊や土地、建物、維持費を提供し、酒田港脇の高台の公園周辺に完成した。 3代当主光丘が、最上川の渡し場に寺院と経蔵の建設を申し出たが、江戸幕府の新寺建立禁止令で果たせず、その遺志を継いだ宿願の事業だった。光丘は砂防林整備などを進めた功績から「公益の祖」と呼ばれる。 建物は酒田初の鉄筋コンクリートブロック製。2階建ての社殿造りの本館と3階建ての書庫から成り、家具や室内装飾と合わせて市の指
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