デジモノに埋もれる日々: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない 私としては基本的には、このエントリに自分の言いたいことが全て言い尽されている気がしたけど、あえてこの先を考えてみる。 最も問題なのは、「悪意ある存在を消して、良い社会を作った」という事象と、 「あなたにとって都合の悪い存在を消し去ることで、あなたにとって都合の良い 世界が出来上がった」という事象の区別を、 区別をしようとした本人が、区別する術を持たないこと が問題なのです。それは結局、社会から自分の気に障る対象が無くなるまで、 延々と撃ち殺すことと大差ない結果を生むことになるでしょう。 善悪の区別をネットの参加者全員で合意することは不可能だから、これは正しいと思う。 しかし、2〜3人でその指標をある程度一致させることは可能であり、多くの人はリアルでは相当価値観が一致した人に囲まれて毎日暮らしている。
日本に志ある経営者はいるか 前回のコラムで、インドはサティヤム社の経営者であるラマリンガ=ラジュ氏のことを紹介した。主として欧米企業のSIとBPO請け負いで大きく業績を伸ばし、自社をニューヨークNASDAQ上場の優良銘柄にまで成長させつつも、しかし決して驕慢になることなく自国の貧困撲滅のために奮迅している立志伝中の人物である。こういう高潔な志を持った企業や経営者はインドには少なくない。 私はこのコラムで何度となく「サイバーは格差を埋めるために使うのが正しい」と書いている。確かにサイバー社会の中で、それぞれの格差は急速に開いているのは事実だ。しかしそれでいいと思ってはならない。格差を埋めるのもまたサイバーなのである、と。だからインドの尊敬すべき経営者を見るにつけ、サイバー社会の本来の在るべき姿を再認識させられる思いである。 翻ってわが日本ではどうか。いうまでもなく、これがはなはだ情
はてなブックマーク - rnaのブックマーク / 2006年3月29日 ネットを戦場にしてはいけません。もうそういう時代じゃないかと。戦士の誇りを持たない一般市民が戦う戦場は醜いだけです。 俺は「そういう時代じゃない」と言える状況に成っているとはとても思えない。 9年ほどネットウォッチャーを続けていますが、Webではますます利害関係者が立場を隠してポジショントークをして扇動したり、刑事事件や名誉毀損が何なのかも理解していない破れかぶれで危ない人が増えていると感じています。 理想論としてユートピア幻想を目指すには、セキュア思想の啓蒙がまだ足りないと思います。 id:rnaさんのそのコメントは、俺の「ネットは戦場だ」という表現( http://d.hatena.ne.jp/otsune/20051118/p1 )を「otsuneはネットを戦場にしようとしている。悪意をぶつけ合えばいいんだとトン
エントリの本筋からは外れるけど、これが気になった。 見知らぬ他人から悪意や嫌悪感を向けられて、心が動揺する心理がイマイチ理解できない。(良く思考方法を理解している身内や友人から悪意を向けられたら、別の意味で動揺はするけど。それは生活に支障が出ると言う意味での防衛反応だから別の話だ) 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ(void GraphicWizardsLair(void);) いや、見知らぬ他人の悪意を知るのが怖いっていうのは普通にあると思うけどなぁ。一般人は一般的他者への信頼で心の平安を保っているけど、otsune さんは社会を信頼することで赤の他人がどう思うかのは関係なくそうできる、ということかな? 例えば街を歩いていてすれ違った人にいきなり殴られるかもしれない、などと心配しなくてすむにはどうしたらいいか。これには (1) フツーの人は
私の場合、ニュースサイトよりもブログの方が「意見」の色が濃いことに気が付いた。 忘暮楼の老馬新聞:感想と意見にて、意見と感想の違いについての記事を読んだ。 「感想」の場合は、取り上げたある題材を、良かれ、悪しかれ、あるものの「一つの到達点」、「一つの解決」としてとらえている。その到達点なり解決なりを自分がどう感じ取っているか、それを述べるのが感想文であろう。感想文のテーマは、実は題材ではなく、その到達点や解決に接して動いた自分の心なのであろう。 一方「意見」のほうは、取り上げた題材をいわば「通過点」としてとらえなおす。この通過点は、「解決すべき問題」をはらんでおり、その解決のし方によって、いま予定されているものとは異なる「到達点」に導くことが可能だと、と見なすのである。そして、自分が望ましいの考える到達点に達するための考え(つまり、意見)を示すことになる。 ここで挙げられているように、リン
知らない人に話しかけるのは、緊張もしますし、勇気も必要です。あなたがもし学生ならば、これから社会に出て、新しい会社に入れば、多くの人には初対面です。そこでいかにコミュニケーションをしていくかは、非常に重要ですが、それだけではなく、話をしていくことが脳を鍛えていくことにもなるのです。 まったく初対面の集団に入ったとき、沈黙が続きます。エレベーターの中がいい例です。あの短い時間の沈黙でもストレスを感じるものです。しかし、そのストレスは、エレベーターから出てしまえば消えてしまいます。 ただ会合などでは、そうはいきません。1時間くらいは、見知らぬ相手とずっと座っていないといけないわけです。 そんなストレスから逃れるには、自分から先に話しかけてみましょう。ひとこと「今日は暑いですね」と言うだけで、相手もすぐに反応してくるでしょう。人間の脳は黙ってじっとしていることがもっとも苦手ですし、人とそう
……と、ここまで読んでくれた勘のイイ はてなユーザの方には、このページの真に意図するところが判るであろう。*1 以下に論ずる、 情報ネットワーク通信における意思決定リテラシー は、戦国武将の密書通信の時代から若様に教育され続けてきたことである。*2 *3 もちろん、己の こころざし を十分わきまえていれば、むやみにおそれる必要はない。*4 「誰かが何かを自分に言ってよこしてきた」 ときどうすれば良いか? ――マニュアルくんのために段取り(アルゴリズム?)を考えてみました。 ①まず、誰がそれを言ったのか、もしかして、その名前から推察される意識主体(名義人)以外の人が発言しているのかをcheckすべし。(本人確認。――なりすましじゃないか?) ②次に、その発言内容が客観的に正しいのか を、相手方が示す証拠に加えて、集められる限りの各種の補強証拠、反対証拠をもってcheckすべし。(ウラ付け
あるいは、意思決定リテラシーのジレンマ? ―― 調子に乗って、以前からやってみたかった"アイデア出願"をば。以下報告。 ◆アイデア1 http://i.hatena.ne.jp/idea/9485 注目/人気エントリーのランキング計算アルゴリズムを改良/追加する。 具体的には、 a. コメント欄記述あるブクマ数 のみでのランキング a2. コメント欄記述あるブクマ数を例えば2倍に評価して加算する a2.5 タグ記述だけなら1.5倍、引用/まとめ/コメント記述だけでも1.5倍、両記述が揃えば2倍とか。 b. (コメント欄記述あるブクマ数/全体のブクマusers数)でのランキング ……などなど。 (出願理由) 日頃の使い込みで判明したのだが、ブクマを活用するときには、 そのブクマの対象ページが(その人にとって) 重要であるほど、タグ,引用/まとめ,感想/意見 を(ひとことでも)記入する割合が
昨日のエントリ『「知の世界の再構成」が為される「ブログと総表現社会」で人類はボーグ化する!?』、あまり学術的なことやお仕事的なことを考えず、なんとなーくこんな世界とかあるんじゃない?的な軽い考察のアウトプットメモとして書いたものだったが、当の梅田さんにBookmarkして頂いたようなので少しはまじめに補足しておかないとお叱りを受けそうだ。 ちょっと真面目な言葉で書こう。マスメディアに代表される「一部の人によって(トリガーはお金かもしれないし権力かもしれないが)コントロールされるメディア」を「国家」と読み替えれば、先のエントリで「ボーグ化する人々」「考えなくなる人々」と括った人々の思想は、コミュニタリアニズム(共同体主義)であると言えなくもない。そして、2006/03現在のWeb2.0コミュニティとそれを活用している個人の思考は多分に「リバタリアニズム」に寄っており、相容れないものである予感
反国家主権主義(英語版) 反戦運動 立論倫理学(英語版) 反経済学(英語版) 暗号化された無政府主義(英語版) 紛争解決機関(英語版) 経済的自由権 自由市場 自由市場環境保護主義(英語版) 自由社会(英語版) 自由貿易 · 自由意志 結社の自由 契約の自由(英語版) ホームステッド法の原理(英語版) 個人主義 · 自由放任主義 自由 · 小さな政府 自然権 · 夜警国家 不可侵の原則(英語版) 内政不干渉の原則 非政治主義(英語版)ノンポリ (類) 無投票主義(英語版) 参与型経済 多元的法体制(英語版) 私設防衛機関(英語版) 財産権 · 自治 自己所有権(英語版) 自生的秩序(英語版) 非国家社会(英語版) 反税抵抗運動(英語版) 契約による土地財産所有権移転理論(英) 組合 · 自主管理 ボランティア社会(英語版) 方法論的個人主義
今日の日経法務面に、 「経済犯罪厳罰化」の流れの中で、その実効性を疑問視する声があることを 指摘するコラムが掲載されている*1。 特許法、商標法の懲役刑引き上げのニュースも含め、 これまで、「厳罰化」の潮流を“前向きに”伝えてきた日経本紙が、 このような“懸念”の声を伝える、というのは極めて興味深いことであるが、 そこで伝えられている危惧とは、概ね次のようなもの。 「罰則を重くして本当に違反者が減るのか、十分に検証されていない。刑罰に依存し過ぎるのは問題」 「現行の刑罰が足りないならまだしも、懲役5年の判決が出る例も少ないのに、さらに刑罰を重くする意味があるのか。まして10年間も懲役判決が出ていない特許法まで改正する必要があるのか」 (日本弁護士連合会・刑事法制委員長の神洋明弁護士のコメント) 同弁護士によると、過去10年間で知財関連の刑事事件で懲役判決を受けた者は、 商標法違反では約70
悪の哲学誌 加藤尚武 (1999年12月14日、日本学術会議公開シンポジウム発言要旨) 悪はどこから、どのようにして発生するのか。悪は、人間性そのものに由来す るのか。また、悪魔的な人間が、存在するとしたら、その性質は何らかの程度 ですべての人間に共有されているのではないか。「悪の哲学誌」という表題の もとに、特定の宗教の教義を離れて、人間の一般的な特質としての悪が、どの ように考察されてきたかを、西洋哲学のなかに見られる主要な言葉を集めるこ とによって、一つの構造的な問題を明らかにして見たい。 1. 善悪以前と善悪の彼岸との間 赤ちゃんが悪を行うとは考えられない。子どもはしばしば「汚れのないもの」 と見なされる。子どもの行為の結果が害悪ではあっても悪意がないと見なされ るからである。善悪を問うことのできない物質はいつから善悪を問うことので きる精神となるか。おそらくチンパンジーには悪が存
現象学批判 加藤尚武(京都大学文学部) 現象学者と呼ばれる哲学者が何かを書いたり語ったりする。だいたいは彼らの仕事 は文字で書かれる。たとえば「リアルな存在者であれ、イデア的な存在者であれ、あら ゆる種類の存在者そのものが、<まさに能作によって構成される、超越論的主観性の 形成物>として理解される」(フッサール『デカルト的省察』I、118)という文章を書く。 「物は意識によって形づくられる」という趣旨だと思う。この文章を書くときフッサールは 、物(存在者)とそれを構成する能作との関係を、もしかすると記述している積もりであ ろう。しかし、記述されると見なされている能作と構成物の関係は、フッサール自身の 経験から取られたにちがいない。すると、実際には自分が過去に経験したことを想い 出して書くか、あるいは現在フッサールが経験していることを書くかするのだろう。意識 が対象を構成する作業そのものを、
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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知っているおばちゃんが足の手術をした。膝関節をやられ、金属製の関節に総とっかえしたそうである。手術の派手な傷跡を俺に見せ、「手術して、たった数日で退院して歩いてんのよ、大したもんでしょう」と笑うおばちゃんは、日本人の目から見るとかなり立派な体型というか、失礼ながら普通に太った人であり、膝関節を痛めたというのも全く不思議では無い。 しかし彼女などはまだ可愛いもので、米国には異常に太った人が多い。これは俺の住んでいるところに限らず、シアトルやポートランドでもバトンルージュでもそうだった。日本で肥満とされる人の多くはここらでは「ちょっと太っている」という範疇にも入らん。別にちょっと体重があったって健康なら良いが、こっちの肥満者はただ体重があるというだけでなく、重すぎて歩けんのだ。家のドアから車までは歩けても、100m連続で歩くのはきついとか。そういう人のため、近所のスーパーはどの店も店内で買物す
ちょうど1年前に日経ソフトウエアというプログラミング雑誌の編集部に異動になって以来,「プログラミングって一体何だろう?」とずっと考えて続けている。今度,日経ソフトウエア6月号で“プログラミングをしたことのない人向けの超入門記事”を書くことになり,プログラミングの本質について考えてみるいい機会だと思った。そこでふと気が付いた。「プログラミングをしたことのない人が考えていることが,自分にはわからない」ということに。 私には職業プログラマの経験はないし,長いプログラムを書いた経験もない。いわゆる「コードが書ける」人間だとはお世辞にも言えない。自分が記事の中で書いたサンプル・プログラムをあとで見返して,不自然な部分を発見して赤面するなんてことはよくあるし,最近よく参加している勉強会(注1)では演習問題が解けなくて苦しんでいる。 注1:「素人くさいSICP読書会」といいます。SICP(Structu
ナラティブエシックス(物語の倫理)の研究日誌。毎日の研究の中から「なるほど!」と思ったことを紹介します。 亡き娘の乗車位置判明、「胸のつかえおりた」と父 「JR福知山線脱線事故で死亡した家族の乗車位置を知りたいとの遺族の声が高まる中、犠牲者の京都女子大4年、奥村容子さん(当時21歳)(兵庫県三田市)が2両目の座席に座っていたことがわかった。 そばに立っていた乗客の女性が、容子さんのコートを覚えていた。まな娘の最期の様子の一端に触れることができた父、恒夫さん(58)は「胸のつかえがおりた」と涙した。25日で事故から11か月。乗車車両さえわからない犠牲者は17人に上る。「車内で娘さんの可能性がある乗客を見た人がいます。若い女性です」。乗客の手記を集めている負傷者の小椋聡さん(36)(同県西宮市)から連絡があったのは先月。女性の手記に登場する人物が、眼鏡をかけている点と年齢で容子さんに共通すると
人間の快楽中枢には、他者承認によってβエンドルフィンやドーパミンが分泌されるようなフィードバック回路が、おそらく存在する。この回路の存在によって、他者承認が得られやすい人達は幸せな気分を味わい、それが得られない人達はいつも渇いた不幸を体感することになっている。自然淘汰と性淘汰のふるいは、他者承認が得られてβエンドルフィンで幸せになれた人のgeneだけを生き残らせたので、現代社会を生きている人は、殆ど誰もがこうした傾向を持っている。今後も、他者承認によるβエンドルフィンで幸せになれた人のgeneだけが残やすく、そうでなかった人のgeneが残りにくい趨勢は変わらないので、この行動遺伝学的傾向はいつまでもホモ・サピエンスに残存し続けることだろう。
戦争における「人殺し」の心理学 スポンサード リンク ・戦争における「人殺し」の心理学 こんなテーマだが、読む価値がある素晴らしい本である。 著者のデーヴ・グロスマンの経歴。 「 米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任。98年に退役後、Killology Research Groupを主宰、研究執辞活動に入る。『戦争における「人殺し」の心理学』で、ピューリツァー賞候補にノミネート。 」 この本は米軍学校で教科書として使われている。 人は戦争で敵を前にすると、銃を撃てないし、弾は当たらないという事実にまず驚く。 多くの戦争で銃を使う兵士たちのうち発砲したのは15%~20%であった。8割の兵士は発砲しないで戦闘を終える。理論的には命中率50%の状況で発砲しても、一人を倒すの
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