オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
![はてなブログ | 無料ブログを作成しよう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)
NIFTYのフォーラムがうまくいった理由! http://d.hatena.ne.jp/fuzzy2/20061015/p1 一時期、ユーザのグループといえば(作家のFCとか)、Forumだったり、パティオだかHPだか、だったような気がする。いわゆる草の根BBS、個人宅にPCと電話回線を備えて、というのは、結構負担が大きいものだし。そのまま、ニフティーからForumとかそういうものが移行するのかと思っていたけど、そういうわけではなかったみたい。きっちり移行すれば、Mixiみたいなものになっていたかも、とさっき思った。 非ネット環境での情報の調べ方→Web 2.0の先 http://d.hatena.ne.jp/fuzzy2/20061015/p2 昔と違い、今は講演会で、聴講者がその場でぐぐるって質問をしちゃったりする時代、と聞いたことがある。IT系なんて特にそうだろう。それどころか、講演
いじめというのは太古の昔から存在する。動物にだっていじめが存在するのだから、人間がまだホモ・サピエンスに進化する前からいじめは存在したのであろう。多くの人が理想化してやまない「昔の日本」にもいじめは存在していたのに、なぜ最近になって大きく騒がれるようになったのか。 確かに教師がいじめに加担するという話は最近になってよく聞くし、鹿川君事件以前はあまり聞いたことがない。これについてはいじめの質的変化が指摘される。昔はいじめる側がいわゆるクラスの「ワル」で、むしろバランスの悪い優等生的な生徒*1がいじめられる傾向があった。 最近はどちらかと言うと優等生的な生徒がクラスの問題児をいじめるという形のいじめが増えているという。先生にとっても問題児に苦虫を噛み潰す思いを日々している訳さから、結果的にクラスの中のいじめの形に迎合してしまうことがある。また先生の口から出た問題児に対するホンネが、いじめの構造
福岡の中2男子の自殺事件が教師がいじめに加担していたこともあり話題だ。いじめの原因はいろいろあるだろうが、いじめられて自殺するのは100%自殺した本人に責任がある。教師が殺した、いじめた同級生が殺したなんて言うのは、死者への冒涜である。いじめられた上、自殺すら自分の意志ではないと否定されたら、本当に生きていた意味がないではないか。死んでまでいじめることはないだろう。 子供は自分の事は耐えられる。しかし親の事は耐えられない。 虐めで自殺ってやるせないなあ。家族って気付かないもんなんだよなあ。僕の姉も小学生の頃、虐めにあっていたらしいんだけど、僕は全く知りませんでしたから。一歳違いで同じ学校に通っているのに、ずっと知りませんでした。家族の誰も、虐めについて知りませんでした。 被害者って、家族に心配をかけないように、虐めの事実を隠すんだよね。 確かに彼は、付き合っていた彼女に「男やけん、大丈夫、
http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20061025/p2を見ての思いつき。 見下し病は優越感を満たしたいという本能的欲求に基づいた自己中心的行動の暗喩。自戒も込めて記事化。 安直な発想なので先に考えてる人がいそうだなと思って検索してみたら案の定。それどころかその先を行っている人までいました。 http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/746 「そんなことも知らないのかよ病」、それです、それ。自分も危ないなあと思っているビョーキ。特に歴史修正主義関連。なんかコテコテの歴史修正主義のサイトを見ると実はわざとネタとしてやっているのではないかと思ったり。 さておき、優越感を満たしたいという欲求はかなり本能的なものといっていいでしょう。配偶する異性を選択できるような生物社会においては、異性に自らの優越性を示せない個体は子孫を残
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
これまで「正しく」生きてきた人であればあるほど、自身が不快であることと、正しくあることとを無自覚に混同しがちなのかもしれない。 なるほど、あなたの感性は多数派のそれかもしれない。なるほど、あなたは真っ当に生きてきたかも知れない。だからこそ、あなたが不快に感じたこれまでの数々は道理に照らしても正しくないものであったかもしれない。けれども、あなたはその結果として、自身の不快感覚を原則に従って照合し、それが社会的に正しいか正しくないかを考えることを怠ってきたのではないか。 あなたがこれまで遭遇した不快な事柄というのは一つ残らず、誰に尋ねても「それは社会的に正しくない」というものであったかもしれない。けれども、それ故に道理と快/不快とを混同していないだろうか。それがいつでも合致するものでないくらい、落ち着いて考えれば分かる人であるだろうに。 不快であることを頼りに人を批判するならば、それはすぐさま
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
はてブるとき、私は自分にひとつの決まりを課している。それは他人のコメントを決して先に読まないことだ。まず自分のファースト・インプレッションをコメントに書き、ブクマする。それからおもむろに、同じ記事をブクマしている他人のコメントを読むのである。なぜそうするのか? 先に人の意見を聞いてしまうと、影響されて自分の視点がブレるからだ。 仮にこれを、はてブにおける松岡メソッドと名づけておく。さて松岡メソッドにはメリットもあればデメリットもある。まずメリットから分析していこう。 ひとつめは冒頭にあげたように、他人の意見に左右されずに素の自分を引き出せることだ。 たとえば読後の意見が分かれるような記事を読んだとしよう。あなたは直感的に「AはBである」と感じ、ぜひその考えをはてブっておこうと考えた。もしそのとき、同じ記事をすでにブクマしている他人のコメントを先に読んだとしたら? 「ん? AはCであるって書
idを埋葬して日記を静的テキストにしてくれるサービスがあったら、いくら払うだろう。 わたしは、このidで、ここに、3年以上日記を書いている。毎日好き勝手に書いているつもりではあるが、過去に書いたものに無意識に縛られて、その人格や、人格にくっついた人間関係を破壊しないよう書いている部分も、あるだろう。そのことが自分の自由を奪っていると感じることもある。 日記を書くことじたいは、自分の業だと思うから、やめないだろう。はてな記法で日記を書くのにも、慣れすぎてしまった。ならば、はてなの中で、もう一度、idを取り直してしまおうか、と思ったりする。 しかし、アカウント登録を抹消すると、これまで書いた日記は消えてしまう。それは望むところではない。日記のURLにあった文書を消したいわけではないのだ。 「はてなダイアリー」には、サブアカウント制度というものがある。3つまでのidを同時に使って日記を書いてよい
http://blogs.itmedia.co.jp/arc/2006/10/post_0735.html?ref=rssall 確かにブログは書き溜めて悪いわけではない。 しかし、世の中のブロガーってストックをもっているものなの?? 私の場合、基本的に「ストック」というものはないですね。ニュースを通じて考察する、という手法をとっていて、日々、いろいろなニュースを見ながら、気がついた点などを書き留めていますから、予め何かを書いて用意しておく、ということはしていません。 ただ、興味を持った点について、これは今度ブログで書いてみよう、と思ったり、そういう意識でしばらく考えてみたことを、考えがまとまった時点でブログに書く、ということは時々あります。 人それぞれだと思いますが、あまり重く考え始めると、ブログは続かなくなるような気がします。
question:1161939397(開催場所) 発表 入賞(200pt&いるか) 「秋色の教室」 佳作(20pt) 「声」 「正義のナース」 次点(10pt) 「神無月の出張」 「マグロ女と純白の堕天使」 「すべては医学の進歩のために!」 期待賞(5pt) 「清らかなる慈愛」 「体温計」 「廃校舎の霊退治」 「世界一の名医」 参加賞(1pt) 残りの参加者10名 選評 参加賞 「敗戦の理由」、「憧れの職業」、萌えをメタに見たりネタにするのは上位にいかないんですね。メタ・ネタ萌えそれ自体には萌えない、という素朴な理由が大きいです。「ある兄妹のデレデレ」、「緋色の記憶」、「鏡の夜」、「もっと好きに、なってくれるのなら。」、「ぺいんしふと」、講評でも述べたように、分かりにくい部分があって損した作品ですね。400字しかない中で説明不足にも説明過剰にもならないようにするのは難しいと思いますが、少
「念力ブログ」と言えば、一日一回、念力でキーボードを叩いて更新するという画期的な企画で有名になったblogですが、昨日のエントリによると、 次回より、このサイトは「黒魔術ブログ」となって生まれ変わります!それに伴い更新手段も変わり、一日一回、悪魔を召喚してブログの更新を命じることになります。 だそうです。悪魔? 具体的なことはよくわかりませんが、更新を楽しみにしておきましょう。
最近モヒカン族についての話がよく話題になるのはやっぱり無断リンク禁止問題と絡めてなんだろうなあと思うのです。今に始まったことではありませんが、原理主義者の主張が通りやすいという点で、無断リンクはモヒカン族の好むところの話題と言えましょう。僕も含めて。ところではてブのお気に入り経由でちょっと古いエントリ(なのであえて挙げない)ですが、ネットでの儀礼的無関心が可能かどうかの議論を読んで思った。参照先が見れなくてその当時どんな議論がされたかよく分からないのですが構わず。 伝達力・保存力の違いが不幸の元 その場で見たものは、とりあえず見て見ぬふりをして自分の胸にしまっておきますが、あまりにどうでもいいことでない限り、その後の会話のネタにされることが多いと思います。日記に書いたりクラスで友達に話したり、お昼時の話題になったり。しかしその話題は現実の世界では周囲の関心を引き、噂が噂を呼びという自体が発
というのは、いわゆるあぼーん機能を使っているからなんですが。最近さっぱりその存在すら忘れていて、たまたまさっきはてブトップに行ったときに、人気ブックマークのところに【はてなブックマーク - それPlaggerで】を見つけて思い出しました。 で、タイミングのいい?ことに、今日のもう1つのエントリで【好奇心と怠惰の間 - 無意味化していく「注目エントリ」】を参考にあげたらブクマしてくださった方がいて、そのコメントに思わずうなずいてしまったのでした。 # 2006年10月27日 papaopao papaopao はてなブックマーク ノイズが手に入る環境も必要だと思うのだ。 完全に見えなくしてしまうと、ほんとにその存在すらを忘却してしまいます。今回のb:id:j708の件で実感しました。では、もし「あるタグを含むブクマを表示しない」なんて機能*1を愛用しはじめたら…、と思うと、少しゾッとするので
ネットイナゴさんや粘着君からブログ主を守る気がさらさらないブログ事業者は、入会登録時に、「当社のブログサービスを利用してブログを開設した場合、匿名の者による悪意のコメントに継続反復的に晒され、ときには精神的に傷つけられて社会との交流を断ったり自殺に追い込まれることもありますことを予めご承知おき下さい。当社のサービスにおいては、利用者が「匿名でなければいえない」ような誹謗中傷が多数浴びせかけられますように、悪意のコメント投稿者の匿名性を手厚く保障することとしております。匿名の者の執拗な誹謗中傷コメントにより精神的な苦痛を味わいたくない方は、当社のブログサービスのご利用をご遠慮下さいますようお願いいたします。」くらいの注意書きを大きめのフォントで表示した上で、「あなたは、匿名の者による執拗な誹謗中傷を受けて精神的な苦痛を味わいたいですか? Yes/no」というダイヤログで「Yes」ボタンをクリ
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 奈良県の母体死亡事例。 どうして止血剤を使わなかったのか どうしてCT スキャンを撮らなかったのか 医療者側と、患者側、一方が「意味がない」と断じ、もう一方が「絶対そんなことはない」と信じる、 そんな断絶の考察。 魔法使いは杖を持つ 古代ケルト魔術のドイルドをはじめ、魔法使いの多くは杖を持った姿で登場する。 杖は老人が使う道具。年長者の知恵と経験を象徴している。 杖を持つということは、知恵や権威を身にまとうという象徴的な行為だから、科学的には意味がない。 それでも、この状態でかけた魔術は効果が高くなる。 魔術も科学も、対象に「納得してもらう」ための技術という点では、そんなに変わらない。 単純に投げるとか、あるいは火薬で吹き飛ばすとか、どんな方
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く