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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (28)

  • 間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 普段、仕事をしていてもそうですし、SNSやブログに書かれた言葉をみていても感じることですが、世の中にはかなりの割合で、間違えることを恐れて、自分の意見や考えを口にすることをためらい、結果としてアウトプットが大幅に遅れたり、ひどい場合はアウトプット機会そのものを失っている人がいるのだなと思います。 間違えないことより、アウトプットを早めることそういう人に対して言いたいのは、なんで間違えることをそんなに気にするの? そもそも時間をかければ正解が出せる根拠があるの? ということです。 僕は、完璧さを求めるあまり間違いを過剰に恐れ、アウトプットが遅れてしまうくらいなら、多少、間違いがあるかもと思いつつもとにかくアウトプットを出し、その上で相手の反応を見ることのほうがよっぽど重要では

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    mind 2007/10/21
    ――観察抽象の段階と、通信の段階で、共通認識の相異や過小/過剰エラーが生じ。 //完成度を高められる保証 ――「もう少しでfinish!」とか(無根拠に!?)感触を得ちゃうと、ずるずるとww
  • 人間中心のデザイン:僕がこれからやろうとしていること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ここ数日、自分が当に今やりたいと思っていることはなんだろうと考えていました。 きっかけは先日、ある方にその質問を投げかけられたからです。 お茶をしながら。 そのときは明確な答えとしての言葉が自分のなかに見つからなかったし、自分のことよりもヘンにまわりに気を使ってしまったこともあり、答えが見出せませんでした。 でも、まわりに気を使って自分のやりたいことを答えられないなんて、「情熱をもつこと、表現すること」というエントリーで言ってたことと違うので、自分のなかでとても気持ち悪かった。 めずらしく個人的なことを書いてみましたが、周囲への気配りや調整も大事ですが、それ以上に自分自身の情熱を失わないこと、そして、それを表現することは他の人にとっても大事なことだと思ったので、エントリー

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    mind 2007/05/05
    人間が何かの欲望や必要性に駆られて行う一連の行動プロセス全体をサポートする"アーティファクト(人工物)群をデザインする"発想…ルネサンス ――社会システムの創造構築という大きな話になってきそうですね♪
  • 脳は空より広いか―「私」という現象を考える/ジェラルド・M・エーデルマン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 2007年最初の書評はこれから。 『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』は、脳神経科学者ジェラルド・M・エーデルマンが、神経細胞群選択説=TNGS(Theory of Neuronal Group Selection)とダイナミック・コア仮説により、意識とクオリアの謎に迫る一冊。 年末に読んだニコラス・ハンフリーの『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』も面白かったが、こちらもより理論的な視点で「意識とは何か」というテーマを考察していて、非常に興味深かったです。 どちらもページ数にして200ページに満たないものなので、むずかしいテーマながらも最後まで一気に読める点でもおすすめ。 神経ダーウィニズムさて、エーデルマンが提唱するTNGSという理論は、ダーウィンの進化論に

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    mind 2007/02/27
    「私という現象」への変換は、統合されたC'の状態を一人称的に伝えるなんとエレガントな方法だ ――人間は「共感できる動物」として進化したらしい。 ;他人の傷を見て「痛み」を感じてしまうとか。
  • 僕たちに自由意志はあるのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前触れもなく突然「自由意志」という言葉を使っているとはいえ、なにも殊更に哲学的な考察を行おうというつもりはないのですが、こうも最近読むのなかに「自由意志」に関する記述が行われているのを目にしてしまうと、一言でも何か言わなきゃいけないような気にもなったりします。 意思決定はタイミング?特に昨日書評を書かせていただいた池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』で紹介されている、2005年の『サイエンス』に掲載されたという論文のヒルを使った意思決定のメカニズムに関する実験の結果などを知ってしまうと、果たして「自由意志」などというものは当に存在するのかと疑ってみたくもなります。 この実験では、シャーレの底にいるヒルの体を棒でつつくという行為を行います。その際、つつき方はまったく同じでもヒ

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    mind 2007/02/27
    ダイナミック・コア仮説: …しかし、C'(因果process)は違う。C'の活動は次のC'の活動を因果的に引き起こす。そのC'に必然的に伴う、伴立するのがC(意識process) ――やはり自己観察/自己言及が本質的らしい。
  • Wisdom of Crowds によって構成される自己: DESIGN IT! w/LOVE

    「インタラクションすることではじめて自身を認識できる」。 そのとおりだと思います。そして、認識できるだけでなく、同時に「インタラクションすることではじめて自己が構成される」。 認識することと自己を構成することは同時に行なわれるのであって、そう考えることで現在の脳科学、認知科学では意識を理解するのに「脳内に棲みつく小さなホムンクルス」を想定する必要がなくなっています。 この「インタラクションすることではじめて、自身を認識できる=自己が構成される」ということを、別の表現で示すなら、自己そのものが Wisdom of Crowds によって構成されているといえるのではないかと思っています。 これは昨日の「人生においてタギングは不可避」というエントリーでも書いた「あなたは誰かに記号をつけているつもりでも、それは実は、同時に自分に記号をつけているということでもある」ということにも関係する話です。それ

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    mind 2007/01/09
    神の視点から集合を見る視点は内包的ですが、逆に「主観的位置から物事の関係をプロットしていく」というのは外延的です。 ――客観的なタグを付けていくのが内包的で、経験的なタグを付けていくのが外延的?
  • 人生においてタギングは不可避:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 これ、お気持ちはよくわかります。 人というものは誰しも一言で説明が足りるような単純な像物ではないし、単純化しようとするとどうしても「記号」に頼らざるを得なかったりするものです。例えば「職業」であったり「好きなスポーツ」であったり「98年MBA取得」であったりはたまた「乗ってる車」であったり・・・。でもそういう「わかりやすい記号」で人は人を理解しようとしてしまう。そこに一番の危険な「分かったつもりの見当違い」が潜んでるのだと。 さつませんだい徒然草:タギングについて(ディスプレイの向こうには生身の人間がいる、ということ)。 確かに、僕自身、自分の書いたエントリーにつけられたタグを見て不快に感じたりすることもあります。それは自分自身の評価ではなくてもそう。たとえば、「あとで読ん

  • 間接民主主義から直接民主主義へ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「不可視な結びつき、匿名のアイデンティティ」から「Wisdom of Crowds によって構成される自己」へ、そして「岩壁に絵を描きはじめる前と後の違い、ということで」に展開したWisdom of Crowdsうんぬんの話を「間接民主主義から直接民主主義へ」という空想に落としこんでみたら、どうでしょう? いや、政治の話とかじゃなくて、もうすこし人々の暮らし全般をカバーするものとして。 代表制による知、専門家による知Wisdom of Crowds に対置されるのは、例えば、専門家による知だと思うわけ。実際、原ともいえるジェームズ・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』でも、そのようなストーリーが展開されていましたよね。専門家による知というのは、ある意味では、代

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    mind 2007/01/09
    専門家による知…は代表制みたいなもの ――普通の人々が観てる前で、専門家たちが話し合うのが議会制。 //他者の判断を参考にできること…。結果についてのmotivation/責任感も重要か。
  • 生命記号論―宇宙の意味と表象/ジェスパー・ホフマイヤー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 チャールズ・パースの記号論を下敷きとして参照しつつ、生命の世界を、生物だけでなく組織や細胞までもがメッセージを交換しあう記号圏として捉えつつ、生命の発生、意識の発生そのものを記号=意味の生成過程と重ね合わせて論じる、ジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論―宇宙の意味と表象』は、ひさびさに僕のツボにピッタリとはまってくれるでした。 何の意味もないところにどうして意味のあるものが生まれるのか?このはビッグバン時点の宇宙の話からはじまります。何もない虚空に宇宙が生まれたビッグバンの話からはじまります。 ビッグバンの時点であったゆらぎ、初期の不均一さがその後、恒星や惑星となったという説明は有名です。しかし、なぜ最初にゆらぎがあったのか、何もない虚空から星や僕たちのような生命が生

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    mind 2006/12/23
    ――「無い」という判断には、「有るべき」という価値判断が混入している。事実の純粋な観察とは言えない?
  • パースの記号学とホフマイヤーの生命記号論とブランドの関連性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先ほど「ブランド・アーキテクチャとパースの記号論」ですこし書きましたが、Dubberly Design Officeの「A Model of Brand」というブランド・コンセプトマップは、アメリカ思想におけるプラグマティズムの祖であるチャールズ・S・パースの記号学における三項論理に基づくものと思われます。 パースの三項論理パースの三項論理は、記号過程を記号(sign)、対象(object)、解釈項(interpretant)の3要素からなり、そこに成立する還元不可能な三角関係を分析することを主題としています。 例えば、よく例に出されるのは、森の中でハンターが樹に傷がついているのを見つけ、その近くに鹿がいることを察知するという三角関係です。この場合、樹の傷は「近くに鹿がいる

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    mind 2006/12/11
    樹の傷 は「近くに鹿がいる」ことを示す記号であり、対象は鹿 となります。そして、この2項を結びつけるものとして、ハンターの「鹿は木の皮をはぐ」という解釈項(interpretant)が ――ie.(わりと専門的な鑑定)経験則
  • 人間はちっぽけだけど、儚くはない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ロジャー・ペンローズ関連のが最近のお気に入りだということは、「ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」や「ペンローズのねじれた四次元―時空をつくるツイスターの不思議」で書きましたが、いまはまたもう1冊『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』というを読んでいます。 宇宙における空間スケールと時間スケールその中で、宇宙における空間スケールと時間スケールを描いたこんな図がありました。 ペンローズはこの図について、こんな風に書いています。 プランク長と比較して私たちはかなり大きいし、素粒子と比べてみても非常に大きい。しかし観測可能な宇宙の大きさと比べれば、私たちは当にちっぽけである。実際、宇宙の大きさと人間の大きさとの差は、人間の大きさと素

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    mind 2006/11/27
    わがままで自分勝手な尺度でものを見る ――メートルよりも、feetや尺のほうがそれぞれの共同体内では実用的だったんだよね。「自律系一般に普遍的なモノサシ」は発見できて、相対主義の罠から逃れられると思う。
  • 変化に学ぶ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 過去のある時点Aと現在の時点Bを比べた場合、そこに変化を見るのか、何も変わっていないと見るのか。そこに正解はないと思っています。それはどういう視点に立脚して比較を行うかに関わってきますから、測定する人の主観に依存します。 ただ、ちょっと思うのは変化を見るほうがその人にとっては有益なのかなということ。変化を見るということはそこにAとBの間に生じた違いという差に関する情報を得ることです。その人にとっては知識が増えるわけです。もちろん、有益と書いたのは、知識が増えることを有益と見た場合です。 例えば、Web2.0というものを見る場合、それが以前から変わらないと見るか、変わった点を見るかということにやっぱり正解はない。でも、後者のほうは新しい情報が得られるわけです。 例えば、僕はユ

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    mind 2006/09/23
    変化を見るということは、AとBの間に生じた違いという差に関する情報を得る。(差異に注目すれば)知識が増えるわけです。 ――パターン認識が得意な動物は、どうしても差異に注目してしまう。それが「適応」だった。
  • 還元主義の罠: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「分ける」ことは「分かる」ことだと思います。それがすべてではありませんが。 (前略)基法則とそこから派生する法則とを区別する基準には根拠がなく、数学のみで宇宙を理解できるという考え方も、戯言でしかないということだ。一般的に物理法則は、純粋な思考から得ることはできず、実験的に発見しなければならない。というのも、自然をコントロールできるのは、組織化の原理を通じて自然がそれを許してくれた場合だけだからだ。この主張を還元主義(物事はより小さな部分へと分割することで明確になるという信念)の終焉と見なす人もいるかもしれないが、それは完全には正しくない。私も含めあらゆる物理学者は、心の底では還元主義者である。 要素と全体小さな要素に分割することで物事が明確になると考える場合、要素の背後

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    mind 2006/09/09
    要素に分割することで何か自分が全体を捉えているかのように感じてしまう罠が。そして、自分が要素として絞り込んだものから大量にこぼれおちる ――人間から観た本質を捉えてモデル化すれば、当面の実用に耐える。
  • 新しい言葉が生まれる時: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さっき、バズワードについて書きましたが、そのあと、考えたことがあるので追記です。 新しい発見や発明があった時何のだったか思い出せないのですが、昔、新しい言葉が数多く生み出される時代は活気のある時代だという内容のものを読んだ記憶があります。 これは考えてみればある意味、当然で、テレビが登場すればそれを指す「テレビ」という言葉は必要だし、自動車が登場すれば「自動車」「クルマ」という言葉が必要になります。これまでなかったものが誕生すれば、それは生まれた赤ん坊に名前をつけたり、新しく発見された生物に名前をつけるのといっしょで、それを指し示す言葉が生まれるのは、自然のことのように思います。 そして、新しい言葉が生まれるのが、いままでなかった新しいものが発明、あるいは発見されることと

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    mind 2006/09/06
    1.ものや概念が発見-発明されて呼称が必要になる場合と、2.新しいアイデンティティの創出のために翻訳が必要になる場合。後者は中身をともなわない可能性 ――ジャーゴン,業界用語 ;芸能,官僚…
  • バズワード: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕は「バズワード」という言葉が実はあまり好きじゃありません。 よく「○○はバズワードなのか?」とか「あれはバズワードだから○○だ」みたいな言い方をする人がいますが、正直、その「バズワード」という表現自体がバズワードだという気がします。 ようするに、もっともらしい語り口ではあっても、実際には何も語っていないような気がするんです。 バズワードはまだ一般的なコンセンサスがとれていない言葉Web2.0にしても、ロングテールにしても、一般にバズワードとして扱われているものに、それを一言で表現できるバズワードがあることは、僕自身は便利なのでいいことだと感じています。 また、それが一般名詞の来的な使い方だとも思います。 例えば、犬という名詞にしても、企業という名詞にしても、実際にはその

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    mind 2006/09/06
    バズワードは幾多の試練を潜り抜け、一般名詞になれるかどうかの言葉の幼児です。その対象を、一般的な共通認識が得られるくらい高められるかの議論や行動を。 ――言葉と対象は同時併行的に定着識別されていく。
  • 歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化/スティーヴン・ミズン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトル: 歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化 コメント: ヒトはもしかするとヒトになる以前からマーケティングをしていたのかもしれない。 認知考古学の第一人者で、ヒトの心の進化を追究しつづけるスティーヴン・ミズンが言葉と音楽の起源について探求した『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』は、そんな感想をもった1冊でした。 Hmmmmm:言葉と音楽の起源これまでヒトの進化の歴史のなかで言葉の誕生の影に隠れて、脚光をあびることの少なかった音楽。これまでの音楽の誕生に対する主要な見解は、進化の過程で言葉の副産物として誕生したというものだったといいます。それに対して、ミズンは初期人類がむしろ音楽様の会話をしていたはずだという論を、現代の脳障害による失語

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    mind 2006/09/06
    Hmmmmmと名づけられた前言語的、前音楽的な人類の祖先のコミュニケーションは、Holistic=全体的で、multi-modal=多様式的で、manipulative=操作的で、musical=音楽的で、mimestic=ミメシス的だった ――人類最初のバズワード!?
  • 信頼の条件の1つだと考えられるもの: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「企業への信頼、企業で働く人への信頼」や「製品情報に関する一般ブログの信頼性は、米で62.9%、日では15.0%」をきっかけに「信頼ってなんだろう?」とか、「信頼が生まれる条件って何だろう?」と考えています。 いまの時点で、一般的な「信頼」の条件だと考えられるものを1つをあげるとしたら、それはいまここと同じものを将来において得られるかどうかということなのではないかと思っています。 先日紹介したスティーブン・ミズンの『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』の中にこんな一節があります。 ロバート・アクセルロッドは、1984年の著書『つきあい方の科学』でコンピュータを使った囚人のジレンマのトーナメントについて記述したとき、実社会の状況でいかに協力が促進されるのかとい

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    mind 2006/09/03
    これ、監視の問題とも…。中身(Contents)は入替わりうるので、監視対象物の自己同一性をボディとか住所,URL,IPとかに。 ――★予測可能性。 ぁー、メアド、実名,住所…も大切だよね。脳内バレバレがもっと大切。
  • ブログを書けない人に共感できる部分: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 皆さん、ご存知のとおり、僕自身はまったくあてはまらないのですが、ブログを書けないっていう人にもちょっと共感する部分があったりします。 どういう時に共感を感じるかというと、PodcastとかVideocastとかをイメージしたときです。 ブログは書けても、PodcastとかVideocastとかは自分じゃハードルが高いなって感じる。それは恥ずかしいとか、めんどくさいとか、何をPodcastやVideocastにしていいかわからないとかいうのとは、ちょっと違う。「恥ずかしい」を除いた部分はちょっとはあるんだけど、根的なのは、自分がテレビとかラジオとかを見たり聴いたりしないからなんだと思います。YouTubeすら見ないから、そもそも動画系のコンテンツにリテラシーは結構低いんだろ

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    mind 2006/09/01
    動画… /…文章はどうも苦手っていう人もいると想像できて共感もできる。…想像力ってこういう風にして使うのかな ――相手の具体的様子を観察する方向と、自分を抽象的に変換する方向と。2つのアプローチがある。
  • 制御された不完全な秩序とカオスの中に芽生える秩序: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日もWebのベキ分布を示す法則性が気になって、今度はページごとのサイト内リンクの数を調べてみました。あるページに他のページからどれだけのリンクがはられているかってことです。 結果を示す前に、何故そんなことを調べたかを説明しておきましょう。 Webのネットワークがもつスケールフリーの法則性を発見したアルバート=ラズロ・バラバシは著書『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』の中で、Webのネットワークの各ノードがもつリンク数を調査した結果をみたときの驚きを次のように書いています。 われわれはリンク数の度数分布を両対数グラフに表し、それをうまくなぞるような関数を探してみた。その結果にわれわれは度肝を抜かれた。リンク数の度数分布は、数学でいうところの「ベキ法則」にぴたりと合

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    mind 2006/08/26
    フラットな世界では扉は大きく開かれているのです。ただ、その結果がフラットとはかけ離れた(べき分布)だったとしても。これをチャンスと見るか、残酷とみるか? ――機会の平等! 結果の不平等!! ready, GO!
  • 監視社会(せめこれ7): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先の「マーケティングも1:nのトピ-スレ型からn:nのネットワーク型へ」では、CGMやソーシャル・ブックマーク、ソーシャル・ニュースなどのWebサービスの普及により誰もが情報の発信、共有が可能になった世界においては、マーケティング的にユーザーのニーズを中央集権的にコントロールしようとする従来のやり方は通用せず、企業そのものがユーザーのコミュニティの中の会話に入り込んでいく形の「Employee Generated Media(従業員による情報生産~発信の仕組み)が今後のマーケティングにおいて大きな課題となってくるのではないでしょうか?」と書きました。 また、それとは別に、以下のエントリーでは、企業や著名人のインターネット上の悪評や炎上への対応の良し悪しについて、隠すのではな

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    mind 2006/08/21
    探しやすい、見つけやすいということは同時に、探されやすい、見つけられやすい ――信頼/協力に至る前提として、open性。調査能力vs隠蔽能力の対称性、気が済むまでの調査の実行(安心手続)。ie.繰返しジレンマ
  • 情報社会は監視社会である: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 当にそのとおりだと思っていたんですけど、こうはっきり書かれると唸りますね。 情報社会は必然的に監視社会であって、新たなテクノロジーに強く依存する。だが、それに加えて、監視社会とは、統合された情報インフラのおかげで、社会生活の各部門に監視が浸透するという意味でもあるのだ。国家による監視が支配的であるどころか、監視は今や、労働の現場や消費の場面にも同様に見出される。 それどころか、監視は今や、個人が利用するブログやSNSRSSリーダーにも同様に見出される。このが書かれた2001年からさらに進化したテクノロジーによって監視の問題はさらに社会に浸透しているのだといってよいのではないかと思います。 監視の2面性監視というと、どうしてもネガティブな面ばかりを思い浮かべてしまいます

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    mind 2006/08/21
    自分の身元、嗜好…個人情報の開示によって、商品が買え、給料が貰え、健保が使え、郵便/携帯着信。外部からの管理に同意したとき、そこに監視が同時に生じる。 ――ネットにつられて、リアル社会もフラット化。