日本 第1の事件(東京事件) - 東京都港区芝公園3号地(東京プリンスホテル)[2] 第2の事件(京都事件) - 京都府京都市東山区祇園町北側625番地(八坂神社境内) 第3の事件(函館事件) - 北海道亀田郡七飯町字大川164番地・路上[2] 第4の事件(名古屋事件) - 愛知県名古屋市港区七番町一丁目1番地(「株式会社竹中工務店名古屋製作所」南側路上)[2]
オウム真理教の元幹部の死刑囚13人全員の死刑執行を受け、元幹部で「ひかりの輪」の上祐史浩代表が26日午前、「麻原への執行がされた7月6日にもお伝えしましたように当団体はより一層、被害者の皆様への被害者賠償に努めるとともに、アレフの拡大抑止などの事件再発防止に努めていきたいと思います」とコメントを発表しました。
松本・地下鉄両サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件をめぐり、岡崎(現姓・宮前)一明死刑囚(57)ら6人の死刑執行を受け、上川陽子法相は26日午前、法務省で臨時記者会見を開いた。紺色のスーツ姿で現れた上川氏は神妙な表情で「本日、6名の死刑を執行しました」と述べた。 【写真で見る「地下鉄サリン事件」】 路上に設けられた救護所、警察車両…緊迫する現場 上川氏は「教団は勢力を拡大し、救済の名の下、日本を支配して自らその王となることまで空想して武装化を進めた。その妨げとなるものは教団内外を問わず敵対視し、ポア、殺害するという身勝手な教義の下、二度にわたる無差別テロに及んだ」と指摘。「被害者、遺族の恐怖、苦しみ、悲しみは想像を絶する」と話した。 本日の死刑執行については「鏡を磨いて磨いて磨ききるという心構えで、慎重な上にも慎重な検討を重ねた上で執行を命令した」と述べ、死刑執行
オウム真理教元幹部6人の死刑が26日に執行されたことを受けて、「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさん(71)は東京都内で記者会見を開いた。「13人執行され、刑事司法としては終わったことになるのかもしれないが、後遺症を抱えた人もいる。被害は続いているという状況でつらい」と語った。 1995年の地下鉄サリン事件で、地下鉄霞ケ関駅の助役だった夫・一正さん(当時50)がサリンが入っていた袋を片づけて亡くなった。被害者の会の代表となり、被害者の思いを会見や手記集で発信してきた。 今年公開された公安調査庁の特設サイトには、夫のカルテと死体検案書の写真を載せ、「23年前の事件を現実のものとしてとらえ、被害が続いていることを実感してほしい」と訴えた。 20日前の7月6日。松本智津夫・元死刑囚ら7人が執行された際は、「その時が来たなと。それだけしか思いはありません」と語っていた。26日は、
上川陽子法相は26日午前、死刑執行を受けて法務省で記者会見した。24日に執行命令書に署名。1カ月に2度、死刑を執行したのは執行について公表するようになった1998年11月以降では、初めてであることを…
上川陽子法相は26日午前、死刑執行を受けて法務省で記者会見した。24日に執行命令書に署名。1カ月に2度、死刑を執行したのは執行について公表するようになった1998年11月以降では、初めてであることを明らかにした。 「過去に例を見ない重大事件。残酷極まりなく、社会に大きな衝撃を与えた。関わった事件はそれぞれ異なるが、オウム真理教の幹部として活動するなどしていた6人は、教祖だった松本智津夫(元死刑囚)のもと、それぞれの役割を担いつつ、犯行に及んだ」と指摘。「裁判所における十分な審理を経た上で死刑が確定した。慎重な上にも慎重な検討を重ね、執行を命令した」と述べた。 これで上川法相が在任時の死刑執行は前回在任時(2014年10月~15年10月)の1人を含めて計16人となった。執行が再開された1993年以降では鳩山邦夫氏の13人を超えて最多。12年12月の第2次安倍内閣発足後の死刑執行は14度目、計
オウム真理教被害対策弁護団は26日、6人の教団元幹部の死刑執行について「非常に残念で、強く抗議する」という声明を出した。一連の事件の調査や総括のためには、元教団代表の松本智津夫元死刑囚を除く死刑囚は執行すべきではなかった、と主張している。 弁護団は声明で、「オウム真理教事件は、まじめで有能な若者が多数入信し、大きな社会的軋轢(あつれき)を生み続けたこと、その活動がオウム真理教の法的な解散の後も現在まで継続し、問題を起こし続けている点に特徴がある」と指摘。こうした点を国が調査・分析することが重要であるにもかかわらず、「全く行われていない」と述べ、松本元死刑囚を除く12人は「時代の証人として、重要な役割を果たしうる人物ばかりだった。全員死刑執行したことによって、一段落はつくものの、逆に社会的事情としてのオウム真理教問題まで、過去のものとされてしまう」と訴えた。
オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の死刑執行から、わずか20日。法務省は26日、6人の教団元幹部の死刑を執行した。今後の執行にも影響を与える、13人の「大量執行」の背景には何があったのか。死刑廃止を目指す日本弁護士連合会からは、国際社会との乖離(かいり)を懸念する声が出ている。 「法務官僚は今後、大臣に足を向けて寝られない」 法務省のある幹部は26日、こう語った。1カ月以内に13人という、過去に例のない「大量執行」を決断した上川陽子法相は、省内で高く評価されているという。 上川氏は14年10月~15年10月にも法相を務めたが、この間に執行した死刑囚は1人で、「慎重派」と評されていた。今年1月に教団関連の裁判がすべて終了し、執行に向けた手続きを進めようとした法務官僚は説得を重ねてきた。上川氏が涙ぐんだり、周囲に体調不良を訴えたりすることもあり、法務省幹部は「気持ちが揺れ
オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の死刑執行から、わずか20日。法務省は26日、6人の教団元幹部の死刑を執行した。今後の執行にも影響を与える、13人の「大量執行」の背景には何があったのか。死刑廃止を目指す日本弁護士連合会からは、国際社会との乖離(かいり)を懸念する声が出ている。 「法務官僚は今後、大臣に足を向けて寝られない」 法務省のある幹部は26日、こう語った。1カ月以内に13人という、過去に例のない「大量執行」を決断した上川陽子法相は、省内で高く評価されているという。 上川氏は14年10月~15年10月にも法相を務めたが、この間に執行した死刑囚は1人で、「慎重派」と評されていた。今年1月に教団関連の裁判がすべて終了し、執行に向けた手続きを進めようとした法務官僚は説得を重ねてきた。上川氏が涙ぐんだり、周囲に体調不良を訴えたりすることもあり、法務省幹部は「気持ちが揺れ
坂本一家殺害事件は教団が最初に、外部の人を攻撃した事件。6人が起訴され、全員の死刑が確定した。26日に執行された岡崎(現・宮前)一明(57)、端本悟(51)両死刑囚は実行役としての責任が問われたが、教団内の立場や事件後の行動は異なった。 岡崎死刑囚は山口県内の工業高校を卒業後、建設会社や教材販売会社などを転々とし、1985年に教団に入信した古参信徒。教団で3番目の「解脱者」として「大師」とされた。89年2月には、教団から脱会しようとした元信徒の殺害に関与。坂本一家事件では他の幹部と一緒に、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚から直接、殺害の指示を受けた。 事件直後の90年2月に教団から逃走し、山口県に帰って学習塾を経営。神奈川県警に送った匿名の手紙で事件への関与をほのめかしたこともあったが、警察に対して犯行を認めたのは、95年3月の地下鉄サリン事件の後だった。98年の一審判決では坂本一家事件につ
オウム真理教元幹部ら6人の死刑が26日執行され、一連の事件で死刑が確定した13人全員の執行が終了した。 坂本一家殺害事件は教団が最初に、外部の人を攻撃した事件。6人が起訴され、全員の死刑が確定した。26日に執行された岡崎(現・宮前)一明(57)、端本悟(51)両死刑囚は実行役としての責任が問われたが、教団内の立場や事件後の行動は異なった。 岡崎死刑囚は山口県内の工業高校を卒業後、建設会社や教材販売会社などを転々とし、1985年に教団に入信した古参信徒。教団で3番目の「解脱者」として「大師」とされた。89年2月には、教団から脱会しようとした元信徒の殺害に関与。坂本一家事件では他の幹部と一緒に、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚から直接、殺害の指示を受けた。 事件直後の90年2月に教団から逃走し、山口県に帰って学習塾を経営。神奈川県警に送った匿名の手紙で事件への関与をほのめかしたこともあったが、警
元教祖、麻原彰晃元死刑囚ら7人の死刑執行から20日後、岡崎(現姓・宮前)一明死刑囚ら6人の死刑が執行された。なぜこの時期なのか。 死刑囚は拘置所内で新聞やラジオのニュースを見聞きできる。関係者によると、6人は6日の「7人執行」を把握していたとみられ、法務省内では心理的負担や自殺の恐れなどを考慮し、「執行まで間を空けるのは望ましくない」(幹部)と考えられていた。 9月には自民党の総裁選が予定され、内閣改造で法相が交代する可能性もあった。法相によっては執行命令に難色を示すケースもあるため、上川陽子法相下で「平成を象徴する犯罪は平成の時代に」(法務省幹部)決着をつけた形だ。元死刑囚らの遺骨の神格化も危惧(きぐ)され、公安当局が後継団体の動向を注視してきたが、現時点で信者らに危険な兆候はみられず、2度目の執行に支障がないとの判断も働いたとみられる。 ただ、拘置所職員や13人もの執行命令書に署名する
元教祖、麻原彰晃元死刑囚ら7人の死刑執行から20日後、岡崎(現姓・宮前)一明死刑囚ら6人の死刑が執行された。なぜこの時期なのか。 死刑囚は拘置所内で新聞やラジオのニュースを見聞きできる。関係者によると、6人は6日の「7人執行」を把握していたとみられ、法務省内では心理的負担や自殺の恐れなどを考慮し、「執行まで間を空けるのは望ましくない」(幹部)と考えられていた。 9月には自民党の総裁選が予定され、内閣改造で法相が交代する可能性もあった。法相によっては執行命令に難色を示すケースもあるため、上川陽子法相下で「平成を象徴する犯罪は平成の時代に」(法務省幹部)決着をつけた形だ。元死刑囚らの遺骨の神格化も危惧(きぐ)され、公安当局が後継団体の動向を注視してきたが、現時点で信者らに危険な兆候はみられず、2度目の執行に支障がないとの判断も働いたとみられる。 ただ、拘置所職員や13人もの執行命令書に署名する
地下鉄サリン事件などを引き起こした一連のオウム真理教事件をめぐり、法務省は26日、死刑が確定した教団元幹部6人の刑を執行した。今月6日には、教団元代表ら7人の死刑を執行しており、13人全員の執行を終えた。松本サリン事件で被害者となり、捜査対象にもされた豊橋市の河野義行さん(68)は同日、市内で記者会見し「宗教はもともと人を幸せにするものだが、結果的に自分自身や自分の家族、市民の多くを不幸にしてしまった。非常に残念。死刑執行は悲しい出来事。そんな思いがします」と心境を述べた。 1994(平成6)年、長野県松本市内で発生したサリンの散布で、当時、河野さんは被害を受けるだけでなく、容疑者扱いされ、報道被害を受けた。 河野さんは「人の命はかけがえのないもの。人の手によって失われるのは反対」と死刑制度に対する基本的な考えを説明。「執行は法律だから責めることはできない」とした上で、オウム死刑囚13人全
オウム真理教が引き起こした松本サリン事件への関与を疑われ、妻も犠牲になった河野義行さん(68)が、出身地の愛知県豊橋市で、26日夕方、記者会見を開き、今の思いを語りました。 「死刑執行が行われた。 悲しい出来事。そんな思いがします」 (河野義行さん) 豊橋市出身の河野さんは、1994年に長野県松本市で発生した松本サリン事件で、一時、関与を疑われる扱いを受けたほか、サリンの被害を受けた妻を10年前に亡くしました。 河野さんは、事件の真実を知るため、元死刑囚の一部と面会してきました。 「事件の真相はその人に聞かないと心の内はわからない。 そういう意味では、本当の真実は分からなくなった。 今回、死刑になった4人と面会した。 会った時の彼らのオーラは、とても清らかなオーラ。 話してみると真面目であるし、会うことによって友だちではないが、親しみのある人になる。 そういう人たちがいなくなってしまったの
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