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ブックマーク / kaoriha.org (41)

  • 中里一日記: 自己責任教は合成の誤謬

    自己責任教は合成の誤謬 近頃ネットで流行るもの、「自己責任教」について。 自己責任教について知りたければ、私の日記など読まずに笙野頼子を読め、と言いたいところだが、つまらないものはつまらないがゆえに必要とされる面もあるので、必要に応じてみることにする。 あなたがある日、「自分の暮らしをもっと豊かにしたい」と思ったとしよう。そのとき黙って「自分が貧乏なのは政府のせいだ」ということにして、そのまま何もしなければ、あなたの暮らしは何も変わらない。黙って座っているだけの人間が、願いをかなえるはずがない。 願いをかなえたければ行動すべし――これは妥当である(命題A)。 あなたは行動を決心したとしよう。自分の願いをかなえるためには、政府に働きかけるのと、雇い主に働きかけるのと、どちらが効率がいいか。後者である。 もっとも効率のよい行動を取るべし――これも妥当である(命題B)。 もし全国民が、命題A・B

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    miruna 2017/09/10
  • 中里一日記: これから五輪に起こること

    これから五輪に起こること 1. 状況は見た目より悪い 最初が一番辛い。だから、こちらに来て、我々からのハグを受け、座ってほしい。我々自転車界は今から、大切なことを君に伝えよう。 これは氷山の一角だ。 (Seven things track and field can learn from cycling) これまでのあらすじ:ロシアは国家の総力を挙げて、アスリートへのドーピングとその隠蔽を行っていた。問題の発覚を受けてWADAは、リオ五輪におけるロシア選手団の排除をIOCに勧告した。しかしIOCは勧告を受け入れず、「各競技団体が問題なしと判断した選手は出場可」「ただし、過去にドーピングで処分されたことのある元ロシア代表選手は不可」という決定を下し、全世界(ロシアを除く)に非難されている。 上に引用した記事は、2016年1月、問題がまだロシア陸上界にとどまっていたときに書かれた。半年という期

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    miruna 2016/07/29
  • 中里一日記: ジョン・ロンスン『実録・アメリカ超能力部隊』(文春文庫)

    ジョン・ロンスン『実録・アメリカ超能力部隊』(文春文庫) ジョン・ロンスン『実録・アメリカ超能力部隊』(文春文庫)を読んだ。 超能力研究は馬鹿げた行為だが、戦争ほどではない。「我々には戦争ができるのだから、超能力研究もできるだろう」と軍が考えるのは、ある意味では理にかなっている。 超能力研究も戦争も、昔はまだ、今ほど馬鹿げてはいなかった。ユリウス・カエサルはガリアでの戦争に勝ちまくって財を成した。16世紀に至っても、コンキスタドールはアメリカ大陸で同じことをした。19世紀の医学・生物学は、感染症なるものをついに人類に理解させ、地上の全面を塗り替えた。感染症のように単純かつ重大なことを、どういうわけか人類がずっと理解しないでいたのなら、心霊や超能力をいまだに理解しないでいる、ということもありうるのではないか――と、1900年の人々は考えただろう。 感染症は、おそらく人類にとって最後の、でかい

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    miruna 2014/06/03
  • 中里一日記: よかった探し

    よかった探し STAP細胞事件はまだ始まったばかりだが、事件の性質はすでに確定した。 O氏の手際の杜撰さは、ファン・ウソクやヘンドリック・シェーンと共通する。捏造したのが画期的業績(=必ずバレる)であることも同じだ。ある種の精神構造は、捏造が発覚することを気にかけないらしい。 共通点が目立つのと同じくらい、それぞれの事件の個性も目立つ。ファン・ウソク事件はナショナリズム抜きには語れない。ヘンドリック・シェーン事件は、共同研究者の責任という問題を提起した。では、STAP細胞事件の特徴はどこにあるのか。 私が思うに、それは「過剰」であることだ。 ファン・ウソクが2004年に捏造した業績は、2007年にほぼ現実のものとなった。ヘンドリック・シェーンの業績はこれよりは大げさだが、権威ある賞を複数受賞した、つまり学界でいったんは「ほぼ確定した話」と見なされた。STAP細胞事件に比べれば二人とも、もっ

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    miruna 2014/03/12
  • 中里一日記: TVアニメ版『天元突破グレンラガン』

    TVアニメ版『天元突破グレンラガン』 今頃になって『天元突破グレンラガン』(TVアニメ版)を見た。 面白い。と同時に、「でもいいの? 当にそれで?」とも思う。 ここは私の日記帳なので、この違和感について書き留めておく。 面白さについて: ・登場人物の造形 ニアの瞳。ヨーコの奇妙な立ち位置と演技。カミナの勢いと無能さ。 カミナの勢いについては説明を要さないだろうが、無能さについて少し述べる。 第1部の戦いを通して、「カミナの虚勢にシモンが内実を与える」という構図が描かれている、と私は理解した。が、よく思い起こしてみると、カミナの死の直前の戦いはこの構図に収まらない。カミナを単なる英雄とみなす読解にも説得力がある、と言わざるをえない。 が、最終回直前の、多元宇宙の罠の世界で描かれた盗賊カミナの姿は、カミナの無能さを裏付けるものだと読める。また、カミナの父親が地上に出てほどなくして死んでいた、

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    miruna 2013/07/03
  • 中里一日記: 本田和子『子どもが忌避される時代』(新曜社)

    田和子『子どもが忌避される時代』(新曜社) 書には大きな違和感を覚えたので、途中で読むのをやめた。 著者はあまりにもしばしば、自分の「感覚」「体感」のみを根拠として、その自分の「感覚」「体感」を書いている。人間のすることはみなどこかで必ず人の「感覚」「体感」につながっているが、それ以外の根拠を持たない行為はたいていが個人的なものだし、公の行為としては胡散臭い。著者の主張が間違っているとも的外れとも思わないが、なにしろ根拠がしばしば人の「感覚」「体感」だけなので、「それは間違ってさえいない」という次第である。 というわけで以下は私の「感覚」「体感」を書く。 「子ども」の出生に関しても、またその養育に関しても、徹底した自己決定権が行使可能だとすれば、「産まれてきた子ども」もまた、両親の意志と決断の産物として、「親に属す者」とされざるを得ないからである。眼前にいるこの「子ども」は、自分た

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    miruna 2013/06/29
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第10回 今風の恋愛

    百合だからコラム百 第10回 今風の恋愛 フェティシズムと恋愛い合せが悪い――とは自明のようですが、さてこの自明感は、今風の恋愛を知らない人、たとえば2世紀前や2世紀後の人に通じるでしょうか。 私の知るかぎり、恋愛は物語と同じくらい普遍的で、文字よりもずっとありふれたものです。が、今風のものとなると、印刷技術よりも珍しい、と言っていいでしょう。 今風でない恋愛とは、どんなものか。 近世日における売買春では、サービスのグレードが高いほど、擬似恋愛の装いが強まることになっていました。たとえば遊郭のトップグレードでは、初見の客には性交を提供しないことになっていました。現実には、金を積めばどうにでもなったようですが、そんな無粋な真似をするために最高級の粋なサービスを買うのは矛盾している、と考えられていたようです。またトップからミドルグレードでは、たとえ馴染みの客でも、性交の提供を保証しませ

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    miruna 2013/03/11
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第9回 絵が「わかる」こととフェティシズム

    百合だからコラム百 第9回 絵が「わかる」こととフェティシズム 昔、戦前戦後の少女雑誌を調べていたら、手塚治虫の少女クラブ版『リボンの騎士』第1回(1953年)に遭遇しました。 あのときの感触を無理やり言葉にすれば、「神を見た」となります。掲載誌の他のページとは、文明レベルが数段違います。いつか、掲載誌ごと復刻すべきでしょう。もっとも、国会図書館でスキャンされて公開されるほうが早いとは思いますが。 この隔絶ぶりを、別の絵で喩えるなら、 ↑『リボンの騎士』のページ ↑『リボンの騎士』以外のページ くらいの開きがあります。 手塚治虫の衝撃を言い尽くすのはもちろん不可能なので、ここでは焦点をひとつに絞ります。「フェティシズム」です。 「『リボンの騎士』以外のページ」として挙げた例の絵(アン・ブーリンの肖像画です)を、もう一度ご覧ください。真珠のついた髪飾りの形が不自然だとか、目の描き方が手抜き

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    miruna 2013/03/04
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第8回 融け合うような皮膚感覚

    百合だからコラム百 第8回 融け合うような皮膚感覚 どこの誰の言葉だったか、あいにく忘れてしまったのですが、百合作品における恋愛関係の魅力を、こう表現した文章を読んだことがあります――「融け合うような皮膚感覚」。ジェンダーという障壁のない世界でふたり融け合う、というイメージは、確かに百合の大きな魅力です。 この魅力を強く打ち出している作品として、慎結『バラ色の人魚』(『ROSE MEETS ROSE』所収)を挙げたいと思います。文字どおり皮膚の上に模様として二人の恋愛感情が現れる、という作品です。水泳というモチーフとあわせて、まさに「融け合うような」イメージが表現されています。作者はこの作品に限らず、「融け合うような皮膚感覚」をしばしば描いています。 少し話が飛びますが、『ROSE MEETS ROSE』の表紙をご覧ください。この二人は、収録作品の登場人物ではありません。前髪の長さ、瞳の

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    miruna 2013/02/25
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第7回 制度としての売買春

    百合だからコラム百 第7回 制度としての売買春 権威ありげなお堅い雑誌で「思想」として取り上げられている主張のなかには、「言ってみただけ」という種類のものが多く含まれています。「まあ、そう言って言えなくはないか」というリアクション以外のものを最初から期待していない主張です。ただしこれは周囲の受け取り方の話で、言っている人は大マジで体を張っていることもあるので、ご注意ください。 これからご紹介する「思想」も、そういう種類のものです。 「現在の社会のもとでは、すべての男女間の性行為は強姦であり、すべての結婚は売買春である」。理屈はこうです。 1. 男性全体が社会制度のありかたを自分に都合よく仕切っている 2. 性行為や結婚は制度的なものである 3. よって、性行為や結婚には、男性全体からの押し付けが多く含まれている 「まあ、そう言って言えなくはないか」くらいに受け取っておくのがいいでしょう

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    miruna 2013/02/19
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第6回 年の差カップルと性的虐待

    百合だからコラム百 第6回 年の差カップルと性的虐待 「年の差カップル」というとき、ここでは仮に、中学生以下と18歳以上ということにします。 皆様のお手元にある、志村貴子『青い花』(太田出版)1巻38、39、65ページをご覧ください。「でも どのみち 無理なんだもんね」(39ページ)、「ふみちゃん 私じゃ いや? こわい?」(65ページ)。 またこれも皆様のお手元にある、玄鉄絢『星川銀座四丁目』第3話をご覧ください(どうしたことか私は今、棚から単行を探し出せないので、『つぼみ』を見ています)。「…乙女がよくて 私がよくても この国の法律が 許さないの…」。 百合における年の差カップルはしばしば、こういう「不自由」をモチーフにします。 まんがを読む目でなく、ニュースを読む目で眺めれば、先に掲げた2つの人間関係は「性的虐待」という単語を呼び起こします。 作品というのは日常生活と違って便利

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    miruna 2013/02/11
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第5回 セクシュアリティと善悪とヒエラルキー

    百合だからコラム百 第5回 セクシュアリティと善悪とヒエラルキー 2007年、アメリカでのことです。保守派の(=非常にゲイに優しくない)上院議員(男性)が、空港のトイレでおとり捜査中の警察官(もちろん男性)を性的に誘ったとして現行犯逮捕され有罪を認めた、という事件がありました。 事件そのものは、見てのとおりのものであり、私から言いたいことはなにもありません。私がここで問題にしたいのは、この事件に対してどんな態度を取るか、です。 「自分自身もゲイでありながら、政治家になるために保守派に媚びた」とその議員を批判するのは、よくある態度であり、立派な態度でさえありうるでしょう。が、作品を読む・書く態度ではありません。 もうひとつの例を見ましょう。 1980年代のHIVパニックが収まってから現在に至るまで、欧米におけるゲイの権利運動というと、同性婚がもっとも注目されています。外野から見ると、ゲイの

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    miruna 2013/02/04
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第4回 姉妹こそ人類の理想

    百合だからコラム百 第4回 姉妹こそ人類の理想 姉妹という関係は、人類の理想を託すのに最適――そんな思想が、この世にはあるようです。 この思想は、特に20世紀前半に盛んだったようです。たとえば、小杉天外『魔風恋風』。主人公の初野(女学生)は軽薄な陰謀家で、ほとんど誠実さを感じさせませんが、唯一、妹に対してだけは深い情愛を見せます。また、吉屋信子の家庭小説。姉妹の仲がいい、を通り越して、天国にしかありえないような理想的な人間関係として描かれている作品を散見します。 戦前の女学校における「エス」関係では、しばしば年上の相手を「お姉様」と呼んだとされます。事実がどうだかは知るよしもありませんが、呼んだと「される」のには、それなりの理由があるはずです。 姉妹という関係は、批判的な検討を免れる特権的な関係であり、姉と妹はまるで天使のような汚れのない無条件の愛を互いに抱く――そんな思想が、この世には

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    miruna 2013/01/28
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第3回 字余りとしての男

    百合だからコラム百 第3回 字余りとしての男 21世紀最大級の愚問を思いつきました。「百合に男性の登場人物は必要か?」。 これではあまりにも愚問なので、もう少しマシな形にしましょう。「男性の登場人物を活躍させれば、百合は面白くなるか?」。 多くの場合、その逆が正解です。よい作品の基礎となるのは、よい制限です。「字余りにすれば、短歌はよくなるか?」。答えは自明でしょう。 しかし、字余りの傑作、字余りであるがゆえの傑作が存在することも事実です。 この比喩でいえば、前回取り上げた『海の闇、月の影』は、自由律ということになるでしょう。百合と言われなければ百合とは思わないかもしれない、というわけです。 今回は、いわば字余りとしての男について考えてみます。 TVアニメ版『神無月の巫女』が傑作かというと、否です。が、なにかしら悪くないもの、捨てがたいもの、見るべきものがあります。野心作、という評価が妥

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    miruna 2013/01/22
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第2回 成長

    百合だからコラム百 第2回 成長 篠原千絵に『海の闇、月の影』という作品があります。あらすじを一行にまとめれば、「双子の姉妹が愛憎の超能力バトルを繰り広げるアクションサスペンス」。 もう少し詳しく説明しましょう。 非常に仲のいい双子の姉妹(主人公と敵役)が、同じ男(彼氏役)を好きになり、彼氏役は主人公を選ぶ。その直後、天変地異の影響で、姉妹はバトル系の超能力を得る。同時に敵役は性格が一変して、支配を好み殺人をためらわないようになる。主人公の性格は変わらなかったのに敵役だけがこうなったのは、敵役が彼氏役に選ばれなかったことが影響している。敵役は多くのものを支配しようとするが、とりわけ彼氏役に執着し、そのために主人公を殺そうとする。敵役を止められるのは主人公だけであり、主人公は超能力バトルで敵役の行動を阻む。しかし主人公は敵役を殺そうとはしない。敵役が天変地異の前に戻り、再び仲良くなれること

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    miruna 2013/01/14
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第1回 はじめに

    百合だからコラム百 第1回 はじめに 百合が流行ったり廃れたりする今日このごろ、読者諸氏はいかがお過ごしでしょうか。ずっと廃れっぱなしの日々が長かった身としては、流行り廃りも悪くないものです。 私は最近、きらら系四コマの隆盛を追いかけるべく、きらら系まんが誌を全部読むという挑戦をしています。挑戦です。「間違ってさえいない」というのは疑似科学に対する批判ですが、この伝で言えば、「駄作でさえない」作品があまりにも多いように思えます。私が根的にわかっていないのではないかという恐れが強いので、こまごまとした感想などはまだ言えません。 そんな私が今日から始めるのが、この連載コラムです。『百合だからコラム百』。毎週日曜日、百合のあれこれについて考察します。二年ほどかけて百書く予定ですが、ネタ切れの際にはなにとぞご容赦ください。 社会性。 「そういう感情は一過性のもので大人になれば」というあのお

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    miruna 2013/01/07
  • 中里一日記: 声明

    声明 シラカタシノ様から、こんなお知らせをいただきました。 @nakazatomitsuru 突然すみません。富士見ファンタジア大賞の一件で、あなたを騙る人物が2chの文芸書籍サロンという板で発言し、住民とのちょっとした論争を起こしていることはご存知でしょうか。私はファンとしてこの事態を心苦しく思っています。何か対応を考えてはいますか? 私こと中里一(別名・中里十)には、匿名掲示板でコテハンを名乗るような特殊な性癖はございません。たとえその名前が「中里一」や「中里十」であってもです。 とはいえ、そうした特殊性癖の持ち主がカミングアウトすることも珍しいと思います。「いや中里は当はコテハンにちがいない」と言い続けるかたもおられるでしょう。そういうかたもコテハンと同様の特殊性癖なのだと思います。 性癖はそれぞれ異なれど、同じ変態同士のこと、仲良く共存したいものだと思います。すべてを生温かく見守

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    miruna 2012/12/09
  • 中里一日記: コミケに出ます(土曜日東Q02a)

    コミケに出ます(土曜日東Q02a) コミケに出ます。土曜日東Q02aで皆様のお越しをお待ち申し上げております。

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    miruna 2012/12/06
    マネタイズしやすいかどうかはともかく紅茶ボタンが傑作じゃないとかありえないから
  • 中里一日記: ライフハック:原稿を完成させる方法

    ライフハック:原稿を完成させる方法 の原稿を完成させる方法について。 1. 締切を作る プログラマの世界では古来、「締切のないプログラムは完成しない」と言い伝えられている。 近い将来、同人誌が基的に電子書籍になっても、即売会はなくならないだろう。原稿を完成させるには、締切が必要だ。 2. 先に金を動かす 「事件は現場で起きてるんじゃない、銀行口座で起きてるんだよ!」。 財・サービスが動いたことの対価として金が動く――というのは会計学の世界の話であって、現実の人間行動を捉えていない。現実の人間行動はこうだ――金が動いたことに対する反応として、財・サービスが動く。なぜか? 財・サービスよりも金のほうが、圧倒的に簡単に動かせるからだ。 だからまず、金を動かさなければならない。金を動かせないのに、財・サービスを動かせるわけがない。 たとえば、印刷所に印刷代を先払いする。あるいは、出版社に原稿料

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    miruna 2012/11/30
  • 中里一日記: 受精卵に思い入れる価値観

    受精卵に思い入れる価値観 「全てのことには、わけがある」とはTVアニメ『絶園のテンペスト』第5話のサブタイトルだが、物事が重要になればなるほど、その理由はアホらしく理不尽になる。 たとえば、なぜ不公平はよくないのか。答え:おそらく人間の遺伝子がそうなっているから。 サルは不公平を理解する。もし十分な技術があれば、人間の遺伝子を書き換えて、不公平な扱いを受けてもなんの苦痛も感じないようにすることができるだろう。どんな差別を受けても、デモどころかモチベーション低下さえ起こさない、理想的な労働者を作り出せるわけだ。 さて、それは望ましいことか。 もし答えがNOだとしたら、根拠はなんなのか。遺伝子の定めたことを、神の命令のように有難がるのか。もしYESだとしたら、技術の使い道としてそれは適切なのか。持続可能性のきわめて怪しいこの産業文明の発展に尽くすよりは、出アフリカ以前の暮らしに無限の幸せを感じ

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    miruna 2012/11/16