問題です。以下の文章のまちがいをさがしなさい。(制限時間1分 初級編) 平和の道標 ここは平和の社杜です。 このお社は護国神社といいます。日本の平和と美しい山河や家族を護るために戦争で亡くなられた静岡県出身の約七万六千人の方々を、神様としてお祀りしてあります。私達が豊かな生活が出来るのは護国神社の神様のおかげです。神様は仲良しの子供が大好きです。「ありがとうございます」と感謝の心をもってお参りしましょう。 平成十一年三月吉日 静岡県護国神社 解説です。 「平和の社」ではありません。 護国神社は靖国神社を頂点とする国家神道の地方拠点でした。よって、境内には「軍神」に纏わる展示もあります。人を如何にして「納得して死に追い込むか」のシステムの一環です。到底平和の社、などと呼ぶ事は出来ません。 「日本の平和と美しい山河や家族を守るために戦争で亡くなった」わけではありません。 日本は自ら戦争を仕掛け
大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日本軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住本麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム
文献:1.日韓関係を記録する会編「資料・細菌戦」一晩聲社一 2.高杉晋吾「731部隊細菌戦の医師を追え」(徳間書店〕 3.常石敬一「医学者たちの組織犯罪」(朝日新聞社) 4.「日本伝染病学会会誌」、「京都大学70年史」
日本が戦争へ突き進んだ昭和初期に川柳で反戦を訴え、当局に逮捕されて短い生涯を終えた鶴彬(つるあきら)(一九〇九~三八年)。その生き様をテーマとした演劇や映画観賞、講演会が相次いで企画されている。研究者らは、特定秘密保護法制定や集団的自衛権行使容認の閣議決定が強行された現代と当時を重ね「鶴彬のように沈黙しない勇気が必要だ」と声を上げる。 (杉戸祐子) 「日中戦争が始まるころ、草の根の文芸の広がりを絶とうとする『言葉狩り』が広まり、鶴彬も逮捕された。今、国は着々と戦争へと進んでいるが、大衆の表現を黙らせてはならない」。二十日に東京都文京区で開かれた講演会で、文芸評論家の楜沢健(くるみさわけん)さんは訴えた。
理由は簡単、圧倒的に国力の勝る国と戦争をして、いくら負けても降伏を許さなければ当然の結果として戦死者数が膨大なものになります。山本五十六は「負けるに決まった戦争するやつがいるか!」と言っていた。その「負けるに決まった戦争」を東條英機は「精神力があれば米英といえども恐れるに足りず」と始め、惨敗しました。 東條が出した戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」はもちろん御存知と思います。武器弾薬は欠乏し食糧もなくなって人肉食にまで追い込まれても、降伏して国際法が保証する戦時捕虜の保護を受ける事を禁じられていた日本兵は、死ぬのが目的の「バンザイ突撃」で倒され、あるいはジャングルの奥深くを文字通り死ぬまで彷徨して朽ち果てていきました。重傷者、重病人は自決を強要され、自決も出来ない重症のものは味方の兵隊に殺されました。戦記ものによく出てきますが、「死にたくない」と泣く戦友をこちらも泣きながら殺した、と。日
秦郁彦の『昭和史の謎を追う』は昭和の奇妙な話がいろいろと紹介されていて面白い。その中でも、下巻に収録されたブッシュがらみの話は注目に値する。 現ブッシュ大統領は親日派ではあるが、その父親となると、日本に対してあまりよくないイメージを持っていない。その理由は第二次世界大戦にまでさかのぼる。兵役を逃れるのに必至だった息子の現在の大統領であるが、父親の方はCIAの長官を務めたこともあるように、硬派な人間で第二次世界大戦にも航空兵として参加していた。その任務地が小笠原。 小笠原の父島にいた日本軍はブッシュを驚愕させるほどにかなり凄まじい集団だった。同じ航空部隊の米兵の飛行機が不時着して、日本軍の捕虜になってしまった。父親のブッシュも同じ時期に飛行機が墜落。だが、運良くパラシュートで脱出した。そこへ日本軍も近づこうとしたが、米軍の威嚇によって難を逃れた。運良く捕虜という事態に陥らなかったから大統領に
8月15日(金)、靖国神社に行った。騒々しかった。閉口した。戦争で亡くなった人々を静かに慰霊する、といった雰囲気ではない。これでは、戦争で亡くなった人がかわいそうではないか。そうも思った。 「右傾化の時代」と言われるせいか、人は多い。去年よりも更に多い。地下鉄九段下駅を降りて、靖国神社まで普段は5分もかからないのに、この日は30分以上もかかる。人、人、人で身動きができない。それに、道の両側に、ビッチリと「店」が並んでいる。店といっても食べ物やみやげ物を売ってる店ではない。いわば、「思想」を売っている店だ。いや、自分たちの「主張」を売っている店だ。「中国・韓国は許せない。10倍返しだ!」「歴史教科書はおかしい。変えろ!」「全ては憲法のせいだ! 改正しよう! 署名をお願いします」…と。 それでなくとも道は狭いし、人が多いのに、両側から叫ばれ、署名を求められる。大きなパネルも並べられている。皆、
1965年に私が沖縄に行ったのは、沖縄で米軍がやっていることを知らせるためでした。 25歳の時です。米軍占領下の沖縄のことは、本土では全くわかりませんでした。米軍が統制していたからです。 沖縄が日本でないことをまず思い知らされたのは、飛行機の中でした。沖縄本島が眼下に見えはじめると、スチュワーデスが「カメラをしまって下さい」。撮影が禁止されました。一人でも写真を撮るものがいると、フライト自体が許されないのです。 4月中旬、私は祖国復帰行進団といっしょに、本島最北端の辺戸岬に向かって歩いていました。中部の嘉手納基地にさしかかった時、行進団の人に、「持っているだけで逮捕されるし、行進団にも弾圧がかかるから」と、カメラを預けるように言われました。 4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺
[パリ五輪・新潟県関係選手紹介]フェンシング・古俣聖(26歳・本間組・新潟市西区出身)物心付いたときからフェンシング一筋、競技発祥の地でメダルへ狙い定める
大神 @ppsh41_1945 ベトナム 日本の取った凶悪な手段は、食糧を強制的に安値で徴発したことである。~中略~まさにこの凶悪な手段により、深刻な食糧難が引き起こされ、1944年末~1945年初めにかけて、北部の農民を主とする約200万人の同胞が餓死した。 ファン・ゴクリエン「ベトナムの歴史」(明石書店) 大神 @ppsh41_1945 インドネシア 日本は結局独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。 中学校用「社会科学・歴史科 第5分冊」1988 大神 @ppsh41_1945 マレーシア 日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっと酷かった。
「慰安婦」問題に焦点を当て、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」(wam)のブログです。 第12回アジア連帯会議実行委員会は、8月6日付で以下のような訂正要求書を産経新聞社に送付しました。他社のことを批判するだけでなく、産経新聞社こそ、この初歩的な間違いを早急にただし、自ら訂正記事を出していただきたいものです。 産経新聞社 御中 訂正要求書 2014.5.25付「産経新聞」の「歴史戦第2部 慰安婦問題の原点」~「日本だけが悪」周到な演出…平成4年「アジア連帯会議」の記事中の以下の記述につき、事実と異なる部分がありますので、速やかに貴紙紙面で訂正文を掲載された上で、当実行委員会への連絡をお願いします。 1.3面写真に、 「平成4年8月、ソウル市内で開かれた「挺身隊問題アジア連帯会議」で舞台に立つ元慰安婦女性ら(館雅子氏提供)」とのキャプションがつけられていますが、
明治生まれの祖父母が使っていた古箪笥を譲り受けました。 引き出しの中から昭和20年8月13日の新聞が出てきて、思わず見入ってしまいました。 終戦の2日前に、まだ「関東軍、猛迎撃」という見出しが・・・。 『大本営発表』って、何だったんでしょうね。...
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