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ブックマーク / note.com/kagamihiroyuki (11)

  • 本格ファンタジーは定義できるが、ジャンルとしては成立していない|鏡裕之

    『巨乳ファンタジー』シリーズを14年間つくりつづけている企画者&シナリオライターとして、そして24巻まで刊行中の『高1ですが異世界で城主はじめました』の作者として、ごく最近(たぶん2020年代に入ってから)ごく一部のTwitter界隈でごく一部の人たちによって格ファンタジーと名指されているものが何なのか、どういう位置づけを持つものなのか、書いてみたいと思う。この記事は、壮大な格ファンタジー作品のようにクソ長くなるだろう(笑)。 ※すでに4万字を超えてます(笑)。 ■ラノベとなろう系の定義まず前提として、ラノベとなろう系小説について定義しておく。 ・キャラクターの反応がアニメやマンガの表現ベース(たとえば、殴ったら飛んでいって星になる) ・思春期的ハートの持ち主(建前上、思春期の青少年)をメインターゲットとするエンターテインメント小説(そのため主人公は高校生が多く、また読者アピールのため

    本格ファンタジーは定義できるが、ジャンルとしては成立していない|鏡裕之
  • ラノベには教条性がない? 子どもが子どものまま勝ち続けてる? |鏡裕之

    の「ライトノベル」には、ドイツ教養小説アメリカのジュヴナイル、日の学年誌小説を源流として影響を受けている部分も多々あるし、その差異がライトノベルの特徴でもある。 — 中津宗一郎 (@nakatsu_s) August 22, 2020 この差異について、三村美衣氏は、「日ライトノベルには教条性がない」「子どもが子どものまま大人に勝ち続ける。代償としてのイノセンスの喪失がない(誠意調整の拒絶とも言える)」ということを、早くから主張していて、この論理にはかなり説得力があるので、大学で早く講義してまとめてほしい。 — 中津宗一郎 (@nakatsu_s) August 22, 2020 三村氏の指摘を紹介する形でツイートしてくださった知人の方、ありがとうございます。そして3年近く前のツイートについて書くおれ、遅えよ! 「教条性がない」「子どもが子どものまま大人に勝ち続ける。代償とし

    ラノベには教条性がない? 子どもが子どものまま勝ち続けてる? |鏡裕之
    mizunotori
    mizunotori 2023/02/18
    これはこれで極端だな。
  • 本格ファンタジーが、ラノベやなろう系小説に殺されている?|鏡裕之

    ハッキリと言っておくが、あるジャンルが別のジャンルを殺すことはない。 エンタメ作品は、すべて誰かの心の受け皿だ。つまり、人の不安や苦悩や願望を受け止めてくれる心の受け皿だ。 心の受け皿のうち、最も大きなものは、社会が求める心の受け皿となる。心の受け皿は、時代や社会と結びついている。 時代も社会も不変ではない。必ず変わる。時代が変わって社会で求められる心の受け皿の姿が変われば、かつて大きな受け皿だったものは縮小・衰退し、別のものが大きな受け皿として浮上する。 つまり、まず時代と社会の変化があり、それに伴う「最も多く求められる心の受け皿」の変化があるのだ。それに追随して、流行のジャンルが変わる。 もし格ファンタジーというジャンルが成立していたらという話になるが、今の時代でいえば、衰退したのが格ファンタジーであり、新しく大きな受け皿となったものがラノベやなろう系小説だ(詳しくは言わないけど、

    本格ファンタジーが、ラノベやなろう系小説に殺されている?|鏡裕之
  • なぜエロラノベや官能小説では、エッチシーンで実況中継みたいな糞長い喘ぎがあるのか|鏡裕之

    ご返事遅くなりました。『高1ですが異世界で城主はじめました21』も『巨乳ファンタジー4 ノベライズ上巻』もようやく一段落ついて、ご返事できる時間が取れました。 実況中継というのは、商業エロゲーでは非常によく見るものです。 「○○くんのオチンチンが奥に入ってくる、凄い太いよ、奥まで突かれちゃうよ、ああっ、あっ、あぁぁっ、深い、オマンコとけちゃう、イッちゃう、イッちゃう、イク~~~ッ!!」 みたいなやつです。 自分の膣内に男性のペニスがどんなふうにあるのか、どんなふうに突いているのか、どれくらい深くに達しているのか、実況中継するものです。 オッパイへの愛撫や指マン(手マン)で

    なぜエロラノベや官能小説では、エッチシーンで実況中継みたいな糞長い喘ぎがあるのか|鏡裕之
  • ラノベに差別を見出す者こそ、実はラノベに対して差別的で、心の受け皿を破壊しようとしているところがある|鏡裕之

    あるフィクション群に対して「差別だ」と指摘する方こそ、実は差別を行なっています。そしてそれに対して無自覚です。そういう皮肉な側面があります。 トロフィー・ワイフとは、社会的・経済的に成功した男性が結婚した、若く美しいのことを言うみたいですね。 でも、欧米に行き渡っている英雄神話では、英雄は魔物を倒して英雄となり、そのトロフィー・ワイフとして王女などと結ばれるものです。欧米は英雄神話の世界なので、そもそもトロフィー・ワイフが埋め込まれているということです。トロフィー・ワイフで批判するのなら、むしろ欧米社会の根底こそを真っ先に批判しなければならないということですね。ちなみに日は英雄神話の国ではありません。日のラノベをトロフィー・ワイフだと批判する人は、この不都合な事実をまず認識していない。 それから、フランチェスコ・アルベローニの『エロティシズム』によると、女性のエロティシズムとして、名

    ラノベに差別を見出す者こそ、実はラノベに対して差別的で、心の受け皿を破壊しようとしているところがある|鏡裕之
  • ラノベの歴史や定義についての覚書~ライトノベルの定義(条件)~|鏡裕之

    ・少年少女向け市場の萌芽 1895年 雑誌『少年世界』 1906年 雑誌『少女世界』 1914年 雑誌『少年倶楽部』 1916年 吉屋信子『花物語』 以上が示すのは、20世紀初頭にすでに少年少女向けの小説市場が生まれていたこと。 大人の作家が少年少女を教導するという「教導的性格」が強かった ↓ 『少年世界』や『少女世界』などの雑誌は、1950~60年代に廃刊(教導的な性格が時代の価値観に合わなくなった) 20世紀初頭の少年向け小説の特徴 ・小学生~中学生向けだった ・教導的性格が強かった・ ・物語の架空性はライトノベルほど高くはなかった ・キャラクターは立っていなかったし、造形はアニメ・漫画ベースではなかった 後に提示するライトノベルの定義とほぼずれる。よってライトノベルの先駆とは言えない。あくまでも、少年向け・少女向けの物語の先駆。 ちなみに教導性とは、社会や世間を知っている偉大なる先輩

    ラノベの歴史や定義についての覚書~ライトノベルの定義(条件)~|鏡裕之
  • ラノベでは著者名は覚えてもらえない?|鏡裕之

    よくこう言われます。ラノベでは著者は覚えてもらえない。作品名(タイトル名)だけ覚えられて、著者は覚えてもらえない。だから、どんなに売れる作品を書いても(その売り上げが)次の作品につながらない。 次の作品につながるかどうかは今回は問わないとして、当にラノベでは著者は覚えてもらえないのか。 ラノベでは著者は覚えてもらえないことを示すためには、他のジャンルと比べてどうなのかを示す必要があります。そこで、作品名だけ覚えるのか、著者とセットで覚えるのか、 ・ラノベ ・漫画 ・一般小説映画 でそれぞれアンケートを取ってみました。 結果はこうでした。順次説明していきます。まず、大衆小説とか文学などの一般小説。 作品名と著者をセットで覚える人は38.2%。著者の名前だけ覚える人と合わせると45%。作品名しか覚えない人は15.7%です。 つづいて、漫画の場合。 作品名と著者をセットで覚える人は30.6

    ラノベでは著者名は覚えてもらえない?|鏡裕之
  • 商業エロゲーが黄金期を終え、一時的に縮小し、そして復活した理由についての推論|鏡裕之

    先に断っておく。プレイするのに30時間以上を要した往年の大作のようにクソ長いこの文章は、「商業エロゲー業界は衰退したんだ! もう未来はないんだ!」と嘆き叫ぶために書いたものではない。 ぼくは今も、商業エロゲーの世界に生きている。嘆く欲望は持っていない。この長文をものした目的は、商業エロゲーが黄金期を終え、2016年まで縮小した理由を分析し、その結果を未来に活かすことである。 ■商業エロゲーの全盛期はいつだったのか? ピークはすでに判明している。宮直毅氏の『エロゲー文化研究概論』(総合科学出版)には、 北海道のローカル経済誌「月刊 財界さっぽろ」が当地の美少女ゲームメーカーに関

    商業エロゲーが黄金期を終え、一時的に縮小し、そして復活した理由についての推論|鏡裕之
  • ラノベは「人生いかに生きるべきか」を考えていないのか?|鏡裕之

    荒川佳洋氏のあるツイートに対して、批判が殺到しているらしい。問題になっているのは、以下のツイートである。 女性の売れっ子ラノベ作家と話したおり、かつて小説が、読者にたいする役割として持った人生の指針、「人生いかに生きるべきか」といった要素は、ラノベにはあるのかという質問に、ありませんとの答え。作家が編集者とやる企画会議でも一切出ないと。この一点が60年代ジュニア小説との歴然たる違い。 ライトノベルへの批判として捉えている者が多いが、これは批判ではない。イデオロギーとして示されていないものをイデオロギーとして捉えたことによって、批判と誤読してしまっている。また、多数的傾向として記されたことをすべてに当てはまる傾向として捉えると、やはり誤読が生じる。 批判は実証性を伴うべきである。批判者のうち何人が、富島健夫氏の小説を読んだことがあるのだろうか?(ちなみにぼくは、富島健夫の『女人追憶』を全巻読

    ラノベは「人生いかに生きるべきか」を考えていないのか?|鏡裕之
  • 異世界ファンタジーの定義のずれは、こう整理できる|鏡裕之

    「『異世界ファンタジー』の定義が変わっている?」というまとめが賑わっている。「異世界ファンタジー」の定義が、今と昔とではずれてきているというのだ。 ファンタジーを議論する時に厄介なのが、ファンタジーの定義である。この定義をあやふやなままにすると、議論はぐちゃぐちゃになって、ディスコミュニケーションのまずいピューレができあがる(笑)。 拙著『鏡裕之のゲームシナリオバイブル』の中で、ぼくはファンタジーについて定義を行っている。 ・資主義成立以前の世界が、メインの背景 ・少年や少女が楽しめるように配慮されている この両方を具えたものが、ファンタジーだとぼくは考えている。かなり長くなるけど、拙著から引用する。 「資主義成立以前の世界をメインの背景として含む」というのは、「資主義成立以前の世界」が、メインの舞台になっているということだ。資主義成立以前の世界とは、具体的には古代世界や中世世界の

    異世界ファンタジーの定義のずれは、こう整理できる|鏡裕之
  • 一般ラノベのシリーズ率|鏡裕之

    一般ラノベのシリーズもの(2巻以上の作品)は、そのレーベルから出ている作品の何割を占めるのだろうか? 調べて開示しておくのは、ひとつの集合知になるのではなかろうか。 そして、プロを目指す子たちにとって、「こんなふうになっているのか」と考えさせるひとつのきっかけになるのではなかろうか。 そう思って、ウィキペディアのデータを調べてみた。 電撃文庫は巻数が記されていなかったので、リストには入っていない。他にもレーベルはあるが、とりあえず自分の個人的な感覚で選んでみた。 講談社ラノベ文庫のシリーズ率、67/82で81%。 富士美ファンタジア文庫のシリーズ率、328/417で78%。 スニーカー文庫のシリーズ率、189/289で65%。 HJ文庫のシリーズ率、119/194で61%。 ガガガ文庫のシリーズ率、113/187で60%。 ファミ通文庫のシリーズ率、276/547で50%。 一迅社文庫のシ

    一般ラノベのシリーズ率|鏡裕之
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