ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う『中心をもたない、現象としてのゲームについて』。いまやアジアの共通言語になっている「異世界転生」について考察した前回に続き、さらにそのストーリーテリングの本質を掘り下げます。 日本でのその隆盛の発信源となった「なろう系」の作品傾向で突出する、異世界で「2周目」の人生をやりたい放題に生きるという物語。たとえば2000年代には同じ人生を何十、何百周もやり直す「ループもの」が流行したのに対し、なぜ圧倒的に「2周目」なのか? ゲーム体験の掘り下げから、その疑問を分析します。 井上明人 中心をもたない、現象としてのゲームについて 番外編 なぜ異世界は、100周目ではなく2周目なのかやたらと多い「2周目」の転生の物語 なぜ、異世界はやたらと「2周目」が多いのだろう。 3周目や、100周目の話も存在はしているが「2周目
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