私は沖縄県那覇市で生まれ育ちました。以前仕事で、米軍基地の近くに住むお年寄りの方々の戦争体験や基地被害の聞き取り調査に携わる機会がありました。 事務所にいると、「書けないから、代わりに書いて」と言って、何も書かれていない質問票を持ってくるおじぃ、おばぁたちにたくさん会いました。私はその頃、「書けない」ということがどういうことか分かっておらず、単に高齢だから、文字が見えづらかったり、手が動かなかったりするのかな、それとも、戦争体験を思い出したくないのかなと考えていました。 もちろん、そのまま帰すわけにはいかないので、こちらが質問票を読み上げ、一問ずつ聞き取っていきました。そうすると、おじぃやおばぁは、過去の経験や、今の気持ちが溢れてきて話し出すと止まらない。ゆっくりと空白を埋めていきました。 それから数年が経ち、31歳になった私の中でおじぃやおばぁとの経験が遠い記憶になりかけていた頃でした。