2009年6月11日のブックマーク (4件)

  • 第40回 「都」に流行るもの | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    京都での気な会合の前に、市内を散策してみる。さすが千年のみやこ、「都」という漢字がどこにでも書かれている。東京からの新幹線の車内で座席を立とうとする時点で、その電光掲示板に、次の停車駅は「京都」と表示が出る。これがドット文字ながら、明朝体風であり、やはり日を代表する車両に出るその地名にふさわしく、惚れ惚れするような実に見事なバランスに仕上がっている。 前から京都を歩くたびに、気になっていることの一つが、その「都」という漢字のとある姿だ。それは、「東京」は昔、「東亰」と書かれ、トウケイと読まれた、という通説とは関係がなく、「都」に点のある、いわゆる旧字体かどうか、ということでもない。 その「都」の気に掛かる姿とは、「都」の「者」の部分の「ノ」の起筆位置の低さである。今回は、2時間くらいの間に、10種類以上の品々で、その字体と邂逅した。それは、街中の看板や自動車のナンバープレート、はては路

    mojiura
    mojiura 2009/06/11
    京都には「都」の右側の「者」の斜め画が突き抜けない字形がたくさん見つかる話。この斜め画は文字裏太郎も気になってて見つけたら収集していたのですが、京都に行けばたくさん生息してたのですね。興味深いです。
  • 文字と言葉の世界一周 - ziomの日記

    mojiura
    mojiura 2009/06/11
    素敵な表現→「何ともチャレンジングで何とも柔軟性のある爺だと思った」。
  • 旧字体で気にかかること_04 - なんでやねんDTP・新館

    ちょっと確認したいことがあって調べているた。 ●漢字整理案(大正8年、文部省普通学務局国語調査室) 凡例には (一)案は尋常小学校の各種教科書に使用せる漢字二千六百余字に就きて、字形の整理を行ひ其の標準を定めたるものなり。 (二)案の整理方針は簡便を主とし、慣用を重んじ活字体と手書体との一致を図るに在り。 (三)案は康煕字典の字形をとして整理を行ひたるものなり。 と記されており*1、また、解説には 一般に「漢字整理案」に掲げられている字体が小学校の国語教科書(国語読)に用いられたとされるのは、次のような事情によっている。すなわち、大正14年11月に常用漢字表の字体を整理した「字体整理案」が臨時国語調査会から発表されるが、同案の整理方針がこの「漢字整理案」におけるものとほぼ同様のものであり、それが採用されたということである。 とある(大字は標準体、小字は字典体)。 「篇」の字典体は

    旧字体で気にかかること_04 - なんでやねんDTP・新館
    mojiura
    mojiura 2009/06/11
    いろんな資料を参照して分析されています。すごい。
  • 「臼」が「旧」になるまで: ほぼ文字についてだけのブログ

    はじめまして。 ご多忙中失礼します。 旧字体の「舊」の字について悩んでおり、こちらのブログに辿り着きました。 「舊」⇒「旧」への過程で、草冠と鳥の部分を略し、「臼」一文字で「旧い」と表していた時期や可能性 や、文章での使用例は無いのであろうか?と言う事であります。 例えば、「私の鞄は、キミのより臼い(ふるい)」、「この定義はもはや、臼式(旧式)だ」と言った用例であります。 また「舊」は「臼」の部分が「旧」にくずして書かれ、次いで、上の草冠と鳥が省かれ、「旧」一文字になったのか、「舊」から草冠と鳥の部分が省略され、「臼」のみとなり、次いでこの字を崩して、現在の「旧」となったのでありましょうか? ご多忙中恐れ入ります、ご回答いただけましたら幸いです。 郡山さま。 「臼(ふる)い」とか「臼(きゅう)式」という使い方はなかったとおもいます。 もとはあくまでも「臼」を「旧」と書くことがあったというこ

    mojiura
    mojiura 2009/06/11
    前から不思議だったのですが、なるほど納得です。漢字の字体を考えるためには、草書は一度勉強したほうがよさそう。