ブックマーク / dictionary.sanseido-publ.co.jp (36)

  • 第55回 年賀状の「様」にも点々? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    年賀状がない正月はどこかしら物足りなかった。書くのは年々辛くなってきたが、仕事の話ではない文面やほほえましい写真などには安らぐ心地がする。ある年、正月早々に出かけることがあって、暮れのうちに郵便局から届けてもらった時に、読んで不思議と興が醒めたのは、やはりまさにその瞬間のものだからなのだろう。 年末の前回に記した「」に共通するものとして、「様」という漢字の末画である右はらいにも、「〃」のような線が貫くことがある。これも、若年女性に顕著であるが、「」よりも若干年齢層が高いようにも思える。「」と同様に字面を飾ろうとする着想によるものであろう。この「様」に付される「〃」の部分も、装飾以上に明確な意味を込めたサインとして、「ハートマーク」で代行されることがある。 年賀状でも、宛名の印刷ソフトが普及し、個性の滲み出る手書きは少数派になってきた。我が家も、去年だったか、暮れの仕事の増加に追われてついに

    第55回 年賀状の「様」にも点々? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2010/01/07
    「へ」にてんてん、の続き。もう一回あるみたい。
  • 第54回 「サンタさんへ」:「へ」に点々? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    小学校高学年の男児が、平仮名の「へ」の右側の部分に「〃」を交差させて「」と書いていた。友達への手紙の宛名でのことだ。聞けば、10歳前後になるクラスの女子が手紙などでそう書いているからという。 親が教えたことがすべてであったころは、遥か昔になってしまった。子供ながらに、親や教員など大人だけでなく、友達漫画などの影響を共有する自分の文字社会ともいうべきものを持っているようだ。この宛名に付く助詞「へ」の書き方は、私が小学生の頃にも見たことがある。懐かしさが出る気がするので、今でもたまに使うという女子学生もいる。 これは、教科書にも辞書にも新聞にも、載ることはまずない。いわゆる変体仮名として位置付けられたこともない。しかし、確かに世の中には存在しているのであって、実は性別や年齢によって使用に傾向性が存在する位相文字として、気になっている。そば屋などに貼ってある芸能人や作家などのサイン色紙にも、縦

  • 第51回 島根の「腐」らない「とうふ」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    地方では、学会が始まるかなり前に、宿の外に出ることをここのところ心掛けている。島根県の松江市では、出雲大社や松江城など名所は前に行ったようにも思え、その城は遠くから見られればもうそれで十分だった。 宍道湖畔のホテルを出て、バスに乗り、また歩いてみる。そうしたことを繰り返す中で、山陰の「陰」の書きやすい異体字など、すでに知られたものが今でも看板などに多少は残っていることに気づく。 珍しくほんの少しながら予習したことを活かしつつ、白「潟」天満宮(新潟で有名な「さんずいに写」を確認)、「鼕」(ドウ)伝承館、「淞」(ショウ)北台、「附」属中学に居並ぶ「付」属小学校など、気になるところを踏査してみる。ほかにもいろいろと特色ある字が目に入ってきた。 そして、会場の県民会館に向かう途中で、昔ながらの小さな豆腐屋を見掛けた。看板には店の名前に「豆腐」ではなく、「豆富」が使われている。松江では昭和38年(1

    第51回 島根の「腐」らない「とうふ」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/11/13
    豆腐に対して「豆富」という表現を使っている地域に、偏りがある件。島根県が多いらしい。縁起字、というらしい。
  • 第50回 「宣」しくお願いします | 三省堂 WORD-WISE WEB -Dictionaries & Beyond-

    この連載も、早いもので丸2年、合計で50回目を迎えた。何とか続けてこられたのは、中身にかかわる情報や温かな感想を寄せて下さる読者の方々や、ほぼ隔週で、しかも書きたいように書くことを許して下さる担当の方のお陰かもしれない。 さて、後期が始まり、学生たちの肉筆に再び直面する。 とくに新規登録の受講者たちは、いろいろなことばで挨拶を書いてきてくれるものだが、そこにしばしば付け加えられるのが「よろしくお願いします」というたぐいの常套句的な文言である。そこでは、「よろしく」という部分に漢字を交えた場合、ほとんどの人たちが「宣しく」と手書きしてくるのである。ここのところ少なくとも10人ほぼ連続してそうなっている。 「宣」は音読みが「セン」、「宜」は音読みが「ギ」であり、両者は字体がたまたま似ているが別々の漢字である。常用漢字表では、それらの2字に対し、いずれにも訓読みを与えていない。つまり、「宣」の「

    第50回 「宣」しくお願いします | 三省堂 WORD-WISE WEB -Dictionaries & Beyond-
    mojiura
    mojiura 2009/10/30
    「ふいんき」と似た話。手書きで書くときは平仮名で書いていたので、違いに気づいていませんでした(←馬鹿)。
  • 第49回 使い込まれた「函」の形は… | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    札幌で、午前中に集中講義を入れず、時間を空けておいた日に思い立つ。「函」をよく用いる地域では、きっと「了」形が多く用いられていて、たくさん見られるはずだ、という仮説を抱き、それを確認しに出よう、と。 デジタルカメラと裏紙のようなメモ用紙を携えて、ふらりと駅へ出てみる。荷物が重いのは、ぎりぎりになっても遅刻せずに、そのまま講義に向かえるようにと考えると、やむをえない。 函館は思いのほか遠い。片道だけで8,500円以上とあり、これでは往復するだけで6時間以上、3講(東京でいう3限)までに戻れなくなる。北海道だけの地図では錯覚しそうになるが、さすがに広大だ。 そこで、札幌駅にあるJR北海道の路線図を改めて眺めたところ、「銭函」という駅名が目に入った。縁起がいい名前として聞いたことがあったと思う。函館ほどではなかろうが、そこでも必ずや「函」があちこちで使われているはずであり、生活の中で人々が用い、

    第49回 使い込まれた「函」の形は… | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/10/19
    賛成→「『正誤』の基準を独自に設けて、そういうことだけを気にするよりも、もっと考えるべきことが漢字には数多く残されている」
  • Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » 『三省堂国語辞典』のすすめ その88 「せいせいしゅくしゅく」に市民権を。

    政治家用語は不思議】 計画を予定どおりに、静かに行うことを、政治家などが「せいせいしゅくしゅく」と言うことがあります。最近も、与謝野財務・金融相(当時)がこう発言していました。 〈せいせいしゅくしゅくと、静かに努力をしていくと。それが、今自民党に求められている。〉(NHK「ニュース7」2009.7.21 19:00) テレビの字幕では「静かに努力をしていく」とだけあって、「せいせいしゅくしゅく」の部分が抜けていました。無理もないことで、じつは、「せいせい」を漢字でどう表記すればいいか、国語辞典や、放送局のハンドブックなどには説明がなかったのです。 【大臣談話を取る報道陣】 「せいせいしゅくしゅく」ということばが大きく取り上げられたのは、1992年10月29日付『朝日新聞』の指摘がおそらく最初だろうと思います。その前日、自民党の有力議員たちの発言にこのことばがあり、各紙の夕刊で「整々粛々」

    Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » 『三省堂国語辞典』のすすめ その88 「せいせいしゅくしゅく」に市民権を。
    mojiura
    mojiura 2009/10/09
    言葉はあっても、漢字がないケースが、あったりなかったりする件。
  • 第48回 「函」の形 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    北海道出身の学生、とくに函館で生まれ育った学生は、「函館」の「函」という字の最初の2画を「了」という形、つまり「」という字体で手書きする傾向があるようだ。何年か前から、北海道の人々の筆跡を見るにつけ、気になることであった。 この夏の終わりに、北大で20名弱の受講生に、「函館」と「投函」を書いてもらった。この2語で字体が分かれることはなかった。北海道に住み続けている学生・院生、それ以外の学生・院生ともに「了」形も「函」も出現した。改まってふだんと違うように書いた者もいたことであろうが、函館出身の人は「了」形で記した。 道外の学生も同様に書く者があるのだが、似た構成要素を有する「極」も合わせて書いてもらうと、道外の者には、「極」も「」と「了」形に書く者がかなりいたのである(*1)。 その函館を地元とする方に聞いてみると、印刷物で見ることはもちろんだが、小学生の頃から年賀状などで皆が書くようにな

    第48回 「函」の形 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/10/02
    あ、本当ですね。今まで意識したことありませんでした。JIS の包摂規準はないらしい。
  • 第47回 「肌」で感じること | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    この夏、休みはほとんど取れないまま過ぎようとしている。子供のころにテレビで見た大学教授は、何だか気楽そうでいいなあと思ったものだが、だいぶ時代は変わってしまったようだ。各種の会議は容赦なく入り、さらに引率、集中講義、講演会などそれぞれ複数の場所に出向く。むろん、行けば必ず面白いものに出逢える。 その一つとして、中国は杭州に、院生たちと出かけてきた。そこで見掛けたあか抜けたテレビのCMや、おしゃれな化粧品のポスターなどに大きく記されている「雪肌精」という漢字が気にかかった。教え子の院生が口頭発表した中に、「肌」という字は中国では古くは筋肉・肉の意であって、遅れて皮膚の字義が広まったという話があったためである。日のKOSÉの商品名がそのまま中国で用いられているのだ。 さて、中国の人々は、日の女優さんとともにある、ロゴマークにもなっているこの商品名の意味を、どのように解釈しているのだろうか。

    第47回 「肌」で感じること | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/09/18
    中国では「肌」は肉の意味で使われるのだけど、日本の化粧品「雪肌精」がこの品名のまま中国で売られているらしい件。
  • 第46回 漢字を使わないことで起こる語の意味の変化―「猟奇」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    韓国では、漢字を廃止しようとすることによって、漢語の発音は残っても、語義が不分明となる例も生じている。韓流ドラマとして一世を風靡した「冬のソナタ」は、原題は「キョウル・ヨンガ」であった。キョウルは、冬を意味する固有語で、韓国の人ならば当然、語義は理解される。しかし、「ヨンガ」とは何かを正確に理解している人となると非常に少ないようだ。漢字で「戀(恋)歌」と記してあっても、漢字を読めなくなっている一般の人々の間では、それは飾りに過ぎないのだそうだ。 韓国では、他の曲名や「…カ(ガ)」という熟語の例から、「ヨンガ」も何となく「歌の一種なのかな」と類推はされるのだそうだ。しかし、たとえ固有名詞であっても、語義が気になって、辞書で確かめてみないものだろうか、などというのが日の人々に見られる意見である。それは、日では、仮に「れんか」と仮名で書かれていれば、(カタカナによる明らかな外来語と思えば、無

    第46回 漢字を使わないことで起こる語の意味の変化―「猟奇」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/09/07
    韓国で漢字が使われなくなったことによって、微妙に語義が揺れ始めているかもしれない件。逆の例(「性癖」の例←文中にリンクあり)との対比。
  • 第45回 漢字が引き起こす語の意味の変化―「性癖」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    「性癖」の意味や用法が変わってきた、と活字を見たり、話を聞いたりする中で感じてきた。元より、この語は、「性善説」という場合の「性」と同様に、人の性を意味する「性」を含んでいて、性質や癖といった意味であった。しかし、近ごろ、別の意味での「性」にかかわる、人と変わった趣味を指す人が増えてきているようだ。 性的な嗜好という意味にじわじわと特化されつつあるのは、「癖」という字の醸し出すイメージもかかわっているのであろうが、この「性」という漢字が「性格」よりも、「男性」「女性」「性欲」「性的嗜好」などの意味として多くとらえられるようになってきたことと関係するのであろう。ちなみに、韓国語で、性格といった意味をもつ「性味」(ソンミ)という語について、日人学生に意味を推測してもらうと、その字面から、とてもここでは記せないような解釈が次々と飛び出す。 つまり漢字は、表意性を強く帯びている文字であるため、

    第45回 漢字が引き起こす語の意味の変化―「性癖」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/08/24
    「性癖」のという語の中心的な意味が、性的なものに変化しつつあるらしい。なるほどそう言われてみると確かにそうかも。
  • 第44回 幻の「数字」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    銀行を目指して「就活」する学生は少なくない。めでたく就職していった卒業生の話を聞くと、銀行員になると、研修でまずは「行員としての数字」が手できちんと書けなければならないと教わり、お手の数字を元に、何時間もひたすら書き取り練習をさせられ、その数字の形が身に付くのだという。やっと前期を終え、1000名を超えた受講生の採点のために、数字を自己流に、それさえも乱れがちな形で書いている身には、耳が痛い話だ。 ここまでの2回(第42回、第43回)で、子供のころに見て以来、失われていた記事との巡り逢いについて記したが、もう二度と見つけることはできないだろう、と諦めているものもある。その一つが、銀行の数字の形に関する1、2ページの記載である。切り取っておけば良かったと後悔しているが、それを見たのは小学生のころだったのかもしれない。 新聞社か銀行の広報誌やパンフレットだったか、無料で配布される薄く小さな冊

    第44回 幻の「数字」 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/08/06
    銀行ごとに(信用金庫ごとに)数字の字形が異なる、という話。そう言われてみると、文字裏太郎もどこかで見たような気がします。あのころは文字なんて全然意識してなかったなあ。
  • (2) 談話の構造と「文頭・文中・文尾」 | 『英語談話表現辞典』覚え書き(内田 聖二) | 三省堂 ことばのコラム

    前回は辞典(以下、『談話表現辞典』)で用いている「語用論的情報」について概説をしました。今回はより具体的に談話の構造について述べてみたいと思います。 『談話表現辞典』が記述の対象とするのは「会話で頻出する表現」ですが、一般の学習辞書では成句の一部として取り上げられている場合がほとんどです。学習辞書では主にスペースの問題から、見出し語の語義の定義に比べ簡潔な記述とならざるをえません。『談話表現辞典』はそこに焦点を当てて詳しく説明していますので、いわばニッチ的な特徴をもっており、一般の学習辞典と単純に比較することはできませんが、『談話表現辞典』の特徴を理解していただくために、改訂版を含め、最近出ました、G(2007年第4版)、W(2007年第2版)、O(2008年発行)の3つの辞書に適宜言及することにします。 口語表現の代表のひとつとして、いろいろな使い方のあるyou knowをとりあげてみ

    (2) 談話の構造と「文頭・文中・文尾」 | 『英語談話表現辞典』覚え書き(内田 聖二) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/08/03
    これが欲しい。語学学習は会話量が重要と考えるなら、こういった「会話表現」に関する情報こそが必要。会話中心の場合は、普通の「辞書」は、むしろ邪魔と思う。
  • 第43回 懐かしい字を掘り起こす | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    不可思議な「字」に関する想い出が確かに残っていた。それは、前回引いた「新聞切り抜きデータベース」にも収められていなかった記事についての記憶である。 年月さえもあやふやなそれは、「馬」という漢字を左右逆に記す縁起物「左馬(ひだりうま)」についての記載であった。紙を回転させて字画を書き上げるという、異例な筆順がとくに印象に刻まれ、その後もずっとどこかで気になっていた。 それを目にしたのがいつのことだったのか、また何新聞であったのかも明確でない。大学や地元の図書館で、各種新聞の縮刷版を手に取り、殺伐とした文言ばかりが目立つ記事の山の中に迷い、またその書架の前に何度か立ちつくす。新聞各社に問い合わせても、小さな記事であるためか、手作業で探すしかないようで、見付からないとの返事ばかりである。 漢字に関する実状を記述していらした国語学の先生方にも、無謀にも恐る恐る質問の手紙を出してはみたが、残念ながら

    第43回 懐かしい字を掘り起こす | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/07/27
    共感。文字裏太郎も同じようなことを思ってしまって、よく写真を撮り損ないます。→「そのころは、『これは面白いが漢字ではない、遊びのようなものだ』と判断したようにうっすらと覚えている」
  • その77 いつまでも〔俗〕ではないぞ。 | 三省堂国語辞典のすすめ(飯間 浩明) | 三省堂 ことばのコラム

    『三省堂国語辞典』は、いわゆる俗語であっても、広く使われていることばは、できるだけ載せようという方針を採っています。語釈の冒頭には〔俗〕と表示します。今回の第六版の新規項目で言えば、「過去問」「地頭(じあたま)」などがそうです。 【「地アタマ」のいいヤツ】 また、改訂の時点で俗語の意識が薄れているものは、〔俗〕の表示を削ります。「(首相の)続投」「丸投げ」などは、もうなじんだと考えて、〔俗〕を削除しました。 ということは、改訂の際に〔俗〕の表示がなくなったのはどの語かを調べれば、俗語が一般化していく時期が分かりそうです。事実、第六版が刊行された時、「〔俗〕を削った語にはどんなものがありますか」というご質問をいただきました。 ただ、新旧の『三国』を比べて俗語の一般化について調べようとする人は、思い通りの結果が得られないかもしれません。というのも、改訂時に〔俗〕を削るのは、必ずしも、その時点で

    その77 いつまでも〔俗〕ではないぞ。 | 三省堂国語辞典のすすめ(飯間 浩明) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/07/23
    俗語の話。「ふんだん」は、本来「不断」であったらしい。当初は俗語だったらしい。
  • 第42回 珍しい字との再会方法 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    小さいころから皆と違ったことを好む、変わった子供であった私は、漢字に関心を抱いてしまってからは、気になることが増えはじめた。 それだけに、漢字に関して、目にとまった面白い情報であっても、「こんなものは保存しておく必要がない」と、否定的な判断を下し、読み捨ててしまったものがいくつもあった。今となっては、それらの情報となかなか再会しがたく、悔いの残ることである。 それでも、それらの記載と再び巡り会える奇跡が稀に起こる。 数字の区切り方で、かつて新聞で、アラビア数字の表記法について、「10,000」のような3桁区切りでは日人にとっては読み取りづらい、「1,0000」のように4桁区切りにしないと日語にはふさわしくないとし、3桁区切りに合わせた新しい単位を表す語を設けようといった主張を含む投書を読んだ。それに応えた投書のやりとりもあり、それらには新しい単位として「サウザンド」「ミリオン」「ビリオ

    第42回 珍しい字との再会方法 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/07/13
    共感。「文字の裏通り」を始めたのは、まさにこういう感覚から。「文字の裏通り」に出てない文字たちも、いつかどこかで整理したい。
  • その3 頭に刷り込まれた「之」 | 四字熟語と太宰(円満字 二郎) | 三省堂 ことばのコラム

    世の四字熟語辞典を見ていて、いつも気になることがある。たとえば、「漁夫之利」。あるいは、「蛍雪之功」。こういった「之」を含むものは、“四字熟語”だと言ってよいのだろうか? これらは、古典中国語としては「○○之○」と書くのだろう。しかし、現代日語としては「○○の○」と書き表されるべきものではないだろうか。だとすれば、漢字4文字ではなくなる。“四字熟語”というものが、日語の中で熟して用いられる漢字4文字の語なのだとすれば、「漁夫之利」や「蛍雪之功」はちょっと外れるように思うのだ。 中には、「華燭之典」とか「犬猿之仲」「高嶺之花」なんてのを収録している四字熟語辞典もある。ここまで来ると、なんだか無理して収録語数を増やそうとしているんじゃないかと、げすの勘ぐりをしてみたくもなるというものだ。 * しかし、今回、太宰の用いた四字熟語について調べてみて、ぼくはちょっと考えを改めさせられることになっ

    その3 頭に刷り込まれた「之」 | 四字熟語と太宰(円満字 二郎) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/06/29
    四字熟語の境界。「浩然之気」は四字熟語で「浩然の気」は違う? 「その善し悪しは別として」とある。やはり国語の「正解」は一般の人々の慣用の中にある、ということでしょうか?(悩ましいところ)。
  • Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » 『三省堂国語辞典』のすすめ その73 「第1ページ目」と言ってもよさそう。

    【重複表現なのか?!】 この連載の中で「第1ページ目」という表現を使ったところ、編集部から「第1ページ」または「1ページ目」ではないかとお尋ねがありました。たしかに、新聞社のスタイルブックでも「第~目」は〈重複〉とされており、新聞記事の文にはほとんど出てきません。 ただ、迷った末に、「第1ページ目」という原文はそのままにしてもらいました。これはこれで、一種のニュアンスをもつ表現だからです。 ある表現が認められるためには、昔から使われていること、また、その言い方が理屈に合っていることが確かめられれば十分でしょう。「第~目」はどうかというと、まず、古い例としては、江戸時代(18世紀)の『仮名手忠臣蔵』に出てきます。 〈先づ一番に打ち上ぐるは大星由良助義金。二番目は原郷右衛門。第三番目は大星力弥。〉(岩波文庫版 p.114、文字遣い改める) 明治になると、二葉亭四迷『浮雲』に〈開巻第一章の第

    Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » 『三省堂国語辞典』のすすめ その73 「第1ページ目」と言ってもよさそう。
    mojiura
    mojiura 2009/06/29
    「第 1 ページ目」は重複表現?(「第 1 ページ」or「1 ページ目」?) 権威ある書籍に用例があれば正しいのか?(悩ましいところ)
  • 第41回 「都」が変化する意義 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    「都」は、常用漢字であり、かつ教育用漢字でもあるため、日中でこの字体をしっかりと習うはずだ。「者」は「土」にある下の「亠」のような部分の右よりの箇所に「ノ」が長く交差するという、やや珍しい形態を持つ。「ナ」に近いともいえるが、「ノ」の起筆は微妙な位置から始まり、しかも長く伸びる。つまり「ノ」という線は一般に書きにくいものなのであろう。それを書きやすしようとした結果、書体によっては、「者」の「ノ」が「一」を挟んで切れて、水面を貫く光線のように、右と左とで離れている、そんな極端な例も見受けられる。それは、伝統的な楷書にも見られるのである。 そうした字体の特性から、この字を用いる人々は、少しでも省力化を目指す。実は中国でも伝統的な隷書や楷書、とくに行書に、写真と同様の「都」の字体が使われることが起こっていた。字体を簡易化すべく図って、この形が筆記で生じ、あるいは歴史的な書写体から選ばれ、日常的

    第41回 「都」が変化する意義 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/06/29
    伝統的な楷書にもあるとは!? 引用→「『者』の『ノ』が『一』を挟んで切れて、水面を貫く光線のように、右と左とで離れている、そんな極端な例も見受けられる。それは、伝統的な楷書にも見られるのである」
  • 第40回 「都」に流行るもの | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム

    京都での気な会合の前に、市内を散策してみる。さすが千年のみやこ、「都」という漢字がどこにでも書かれている。東京からの新幹線の車内で座席を立とうとする時点で、その電光掲示板に、次の停車駅は「京都」と表示が出る。これがドット文字ながら、明朝体風であり、やはり日を代表する車両に出るその地名にふさわしく、惚れ惚れするような実に見事なバランスに仕上がっている。 前から京都を歩くたびに、気になっていることの一つが、その「都」という漢字のとある姿だ。それは、「東京」は昔、「東亰」と書かれ、トウケイと読まれた、という通説とは関係がなく、「都」に点のある、いわゆる旧字体かどうか、ということでもない。 その「都」の気に掛かる姿とは、「都」の「者」の部分の「ノ」の起筆位置の低さである。今回は、2時間くらいの間に、10種類以上の品々で、その字体と邂逅した。それは、街中の看板や自動車のナンバープレート、はては路

    mojiura
    mojiura 2009/06/11
    京都には「都」の右側の「者」の斜め画が突き抜けない字形がたくさん見つかる話。この斜め画は文字裏太郎も気になってて見つけたら収集していたのですが、京都に行けばたくさん生息してたのですね。興味深いです。
  • 第5回 読解力の問題と素材文 素材文はひとつ 解釈もひとつ? | 明解PISA大事典(北川 達夫) | 三省堂 ことばのコラム

    フィンランドの教育がそれほど有名ではなかったころの話である。 私はフィンランド中西部の人口800人ほどの村にいた。「国際理解週間」ということで、村の唯一の小学校に招かれたのである。その村に外国人が来るのは10年ぶりのこと。しかも珍奇なる日人である。てんやわんやの大騒ぎとなった。 一連の行事の途中で長大な空き時間ができた。なにごともユルユルのフィンランドではよくあることである。そこで中学年の複式学級で物語を語ることになった。語ったのは『スイミー』。小さな赤い魚のきょうだいの中で一匹だけ黒いスイミー。きょうだいをみな大きな魚にべられてしまったスイミー。大きな魚をみんなで追いはらったスイミーの物語である。そのときは特に思惑があったわけではない。いきなり日の昔話を語っても理解しにくいだろうと思った程度のことだ。 語り終えたとき、ひとりの男の子が手をあげた。 「スイミーは指揮官なんだね」 「な

    第5回 読解力の問題と素材文 素材文はひとつ 解釈もひとつ? | 明解PISA大事典(北川 達夫) | 三省堂 ことばのコラム
    mojiura
    mojiura 2009/06/05
    なるほど。部分的に引用→「スイミーは指揮官なんだね」、「でも、あんまりいい指揮官じゃないよ」、「『外に出ると楽しいよ』なんて軽薄な理由でみんなの命を危険にさらしたから」。