togetter.com ちょっとこのまとめに数字の話が全然ないので何が起きてるのか判然としないのだけど、このYoutuberが言っている「PCエンジンでNECパソコンが普及したという事実を絶対に認めたくない自称古参オタク」みたいなコメントが実際に多いので、そうではなくて事実から確認しようぜという趣旨です。 適当にWebで探した範囲で参考文献を貼っていくけど、まず大事なのはこの辺。 http://web.econ.keio.ac.jp/staff/hk/semi/paper/Asai07PC.pdf P4当たりにある「NECの市場シェア」を見ると85~87年に掛けて35%→45%と10ポイントも伸長している。これはPCエンジンでNECの知名度が上がったからと言えるだろうか。 おそらくそうではなかろう。PCエンジンの発売日は87年の10月30日であり、残り2が月で爆発的に「シェアが上がる」と
年名称概要463年吉備氏の乱雄略天皇が吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。479年星川皇子の乱雄略天皇と吉備田狭の妻のあいだに生まれた星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。527年磐井の乱朝鮮半島へ出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州の豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。587年丁未の乱仏教の布教を巡って、大臣・蘇我馬子と、大連・物部守屋が対立し、戦に発展した。蘇我氏が勝利した。645年乙巳の変中大兄皇子・中臣鎌足らが、朝廷を壟断していた蘇我入鹿を暗殺、続いて蘇我氏を粛清した。672年壬申の乱天智天皇の後継者争いが発生し、皇太子・大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子が挙兵した。大海人皇子が勝利して天皇となった。729年長屋王の変皇族の長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王は
1994年に発売された家庭用ゲームハード「セガサターン」。つい先日、その開発機を入手したというユーザーの記事を掲載しましたが、その流れで当時開発環境に関わっていた大岡良樹さんと話す機会に恵まれました。 開発機についての誤った情報(初代開発機と紹介していたものが実は三号機だった)を指摘いただくという形での出会いでしたが、これはある意味思いも寄らぬ事態。 せっかくなので、開発機の詳細な説明や、当時の開発環境等について聞いてみたいと思い、インタビューを申し込んだところ、快く承諾いただいたので、色々質問してみることにしました。 その前に、大岡さんとやりとりをするきっかけとなった「開発機」について簡単に説明しておきますと、前回記事で紹介したものは本体に「PROGRAMMING BOX」と書かれた、開発機として三代目にあたる機器でした。 前二代は貸し出しで管理されていたことに対し、三代目は売り切りでリ
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[インタビュー]SC-3000&SG-1000発売40周年! セガハードを支えた石川雅美氏,奥成洋輔氏,堀井直樹氏がセガハード史を語る 編集部:早苗月 ハンバーグ食べ男 本日(2023年7月15日)は,セガ・エンタープライゼス(当時)からホビーパソコン・SC-3000および家庭用ゲーム機・SG-1000が発売されてから40周年を迎える節目の日となる。 今日の4Gamerには赤くて白いゲーム機の記事が何本か載っているはずだが,そんなことよりセガハードである。ドリームキャスト,セガサターン,メガドライブ……それらの始祖たるSC-3000&SG-1000こそ,我らが本日の主役。7月15日はセガハード記念日であり,それ以外の大抵のことは些事である。あっちの記事の機材提供も筆者だったりはするが,それはそれ,これはこれだ。 これを機に,改めてセガ8bitハード時代の裏側を探るべく,SG-1000IIか
「ファミコン互換機」は,なぜそこにある? 世界初の本格的な非公認ゲーム互換機データベース「アノウソライズン」が伝えるもの ライター:hally 巷にあふれるファミコン互換機。「手軽で助かる」という人もいれば,「再現性がいまいち」とお嘆きの人もいることと思うが,何にしても互換機のある風景は今やすっかり珍しくなくなった。かつては知る人ぞ知るマニアックな商品であり,もっと遡ればそもそも公に言及することすらはばかられる“海賊版”だったりもしたわけだから,隔世の感がある。 では,これらの互換機を作っているのは,そもそも何者なのだろうか。一体いつ頃,どこで,どのようにして互換機が生み出され,どういう経緯で広く流通するようになったのだろうか。私達はいまだ多くを知らずにいる。 ゲーム史の裏側で,決して讃えられることなく成長してきた鬼子たち。偉大なゲーム機が発売40周年を迎えた本日,改めて彼らの歴史について
かつてアメリカの国民食であったハンバーグ・ステーキとホットドッグ。しかしながら現在では、その地位をハンバーガーとピザにゆずってしまいました。 ハンバーグ・ステーキからハンバーガーへ、ホットドッグからピザへの主役交代は、1980年代以降に起こった現象と思われます。 1968年から77年にかけて、アメリカの食生活と健康問題を検討する上院特別委員会United States Senate Select Committee on Nutrition and Human Needsが開かれました。 委員会が当初問題としたのは、貧しい人々の不十分な栄養摂取問題でしたが、1970年代後半になるとむしろ、過剰な栄養摂取による健康問題に焦点が当たるようになります。肥満による慢性疾患が問題となったのです。 この上院特別委員会の報告は、主導した上院議員マクガバンにちなんで、マクガバン・レポートという名で日本で有
日本の国民的洋食ハンバーグは、アメリカにその起源があります。アメリカにおいてもかつては、国民食といえるほどにハンバーグ・ステーキが愛されていたのです。 カメラマンの名取洋之助は、1936年にフォーチュン誌の企画でアメリカ横断撮影旅行に挑みます。その道中の食事は“普段はだいたいハンバーグ・ステーキかホットドッグ”というものでした(『アサヒカメラ』1950年9月号所収「アメリカ撮影旅行の思い出」名取洋之助)。 雑誌『主婦と生活』1950年9月号には、ハンバーグ・ステーキを頻繁に食べていたころのニューヨーク食事情がレポートされています。 “ニューヨークの人達は、今とてもハンバーグがお好き。例の挽肉のおだんごを、ジュッと燒いたもの” 「ほんとにアメリカ不思議なお国(その六)」 外交官の妻としてアメリカ滞在経験のある料理研究家・飯田深雪は、1960年の『世界の家庭料理 5』において、当時アメリカで人
──そのころは集英社の会議室に堀井さんが夕方6時ごろに現れて、夜の10時から原稿を書き始めていたとか……。 堀井氏: そうなんです、エンジンがかかるのが遅くて(笑)。 鳥嶋氏: でも、いざ書き始めると1時間くらいで書き上げちゃうんですよ。で、素晴らしいのは書き上がった原稿はほぼ直しが必要ないところ。 ──鳥嶋さんいわく“天才ライター”と。 鳥嶋氏: 僕と知り合うまでの堀井さんは、少女誌の「セブンティーン」というところでお仕事をされていたんですよ。で、少年誌の「ジャンプ」に来たらすぐにこっちの文体にパッと切り替えられるの。本当にすごいですよね。 堀井氏: 根がお子様だから……(笑)。 ──いや、でも最初から「物を書く」才能がお有りだったということではないでしょうか。 堀井氏: 僕はもともと、マンガ家志望だったんです。それからマンガの原作とかをやって、その後に雑誌のライターとして働き始めたとい
「世も末じゃな」という言葉に隠された秘密が解き明かされます。 米国のハーバード大学(HU)とコロンビア大学(CU)で行われた研究により、「世も末じゃな」という言葉に代表される道徳的荒廃は錯覚に過ぎないことが示されました。 2000年前の歴史家から現代の政治家まで、人々は「道徳が日に日に低下していく」という感想を持ちます。 実際アンケートをとっても、圧倒的多数の人々は時代が進むほど道徳的荒廃が起きていると答えます。 しかし研究では膨大なデータを使って、道徳的荒廃という錯覚がいかにして人間の心理から発生しているかが示され、一部の不誠実な独裁者や政治家たちが、この錯覚を利用して利益を得ていると警鐘をならしています。 いったいなぜ人類はいつの時代も「世も末」という言葉を口にし続けたのでしょうか? 研究内容の詳細は2023年6月7日に『Nature』にて掲載されました。
[インタビュー]日本テレネットとは何だったのか。「テレネット シューティング コレクション」を記念し,3スタジオ+αの元スタッフが当時を語る 編集部:早苗月 ハンバーグ食べ男 エディアから2023年6月8日に発売された「テレネット シューティング コレクション」は,かつて日本テレネット(※1)から発売されたメガドライブおよびPCエンジン向けのシューティングゲームを4タイトル収録したものだ。 ※1 1983年から活動し,2007年に事業停止した企業。「夢幻戦士ヴァリス」シリーズや「天使の詩」シリーズなどで知られる。なお,読みは“にほんてれねっと”であり,MSX用のパソコン通信サービス「THE LINKS」などを提供していた現存企業・日本テレネット(にっぽんてれねっと)とは別。 日本テレネットは,8〜16bit PCユーザーを中心に知られたメーカーだが,特定のタイトルや在籍していた個人はまだし
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) 本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など 1981(昭和56)年秋、サンフランシスコから成田に向かう機中で西和
【注意】この記事は筆者の誤解と思い込みが入って一部考証がおかしなところがあります。補足版を確認ください。 0.前振り 1996年、任天堂は自身の取引先問屋集団、初心会を一度編成しました。 ゲームをあまり扱っていない取引先の問屋に抜けてもらい、ゲーム中心の組織へと新たに再編しました。とはいえゲーム機戦争まっただ中の1996年の出来事ですから、これはちょっと遅すぎる構造改革で、あまり意味がありませんでした。結果、1997年の初心会解散へと繋がっていきます。 そのためあまり私はこの改革を深掘りしていないのですが、いくつかの資料でこの時、初心会の名称が「新・初心会」になった、という説や「一心会」になった、という説がちらちら見え隠れします。こうした名称の不安定さはまさしく当人たちの立場が透けて見えるようにえます。 ところでこう思いませんでしたか? なんでこう、初心会といい、一心会といい、ヤクザっぽい
武田騎馬隊の「旧戦法」対「新戦法」の信長という通説 長篠合戦とは、いったいどのような意義がある戦いだったのだろうか。このような問いをわざわざ立てたのは、今も、歴史教育の分野で、長篠合戦は教科書において「(信長は)三河の長篠合戦で多くの鉄砲隊を使って武田氏の騎馬軍団を破った」(『改訂版高校日本史・日本史Β』山川出版社)と記され、それは、鉄砲3000挺を揃え、その連射(いわゆる「三段撃ち」)により、騎馬攻撃という旧来の戦法を撃破したという構図で語られているからである。 そこには、先見性に富む軍事的天才織田信長が、保守的な武田勝頼の軍勢(兵農未分離で後進的な武田軍)に対し勝利した、という暗黙の理解が横たわっているといえるだろう。 だが、この10年ほどで、織田権力や戦国大名の軍隊編成に関する研究は飛躍的に進んだ。その結果、兵農分離という概念そのものが再検討を余儀なくされ始めている。織田も、武田も、
この記事の文章は日本語として不自然な表現、または文意がつかみづらい状態になっています。文意をわかりやすくするよう、修正が必要とされています。(2021年4月) この項目は内容が専門的であり、一般の閲覧者にはわかりにくくなっているおそれがあります。専門用語をわかりやすい表現にするための修正をして下さる協力者を求めています。(2023年7月) 椿井文書(つばいもんじょ[1]、別名:木津文書)とは、旧山城国相楽郡椿井村[2]や明治時代の木津町のある旧家[3][4]、あるいは、江戸時代後期に椿井政隆(1770-1837)によって作成、販売された[5][6]とされる神社仏閣の縁起書[7]、由緒書[8]や境内図である[9]。 概要[編集] 椿井文書が作られた背景には国学思想の隆盛と神社合祀政策と社格制度などがあったと考えられるが[10][11]、中には神社の伝承を加味したものもあり、一概に切り捨てがた
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2008年8月) 『武功夜話』(ぶこうやわ)は、戦国時代から安土桃山時代頃の尾張国の土豪・前野家の動向を記した覚書などを集成した家譜の一種。1959年(昭和34年)に発見され、1987年(昭和62年)、活字化された[1]。成立年代や史料的価値には問題が指摘されている。 前野家屋敷跡(武功夜話発祥地) 概要[編集] 『武功夜話』は、「前野家文書」と呼ばれる古文書群のうち、最も代表的な記録である[2]。3巻本、21巻本などいくつかの異本が存在している。前野家文書は、愛知県江南市の旧家(旧庄屋)吉田家に、先祖であると称する前野氏の歴史をまとめた書物として伝わっているもので、1959年(昭和34
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