ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (31)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    あれはいつのことだったか、状況から推定すると高校二年の時か、今の家に越す前の、まだ小さい家に住んでいたころだ。昼間から父親がいて、郵便が配達されたのだから土曜日か。その当時、アメリカンエキスプレスあたりから、「××に当選しました」などという触れ込みで、何のことはない入会の勧誘の封筒が届くことがあった。それが私あてに来たのだが、どういうわけか両親が、何か当たったのかと気で思って、私を呼びに来て、父親など、にこにこしながら「何か出した?」と言っている。 分厚くて豪華そうに見えるから勘違いしたのだろうが、開けてみて、正体が分かった。私は高二として、最初からうすうすそんなことだろうと思っていたので、両親のはしゃぎようが恥ずかしかった。父は46歳、母は40歳、今の私より若く、それにしても世間知らずで学がなかった。だが、それこそ「何かいいことないか」と思いつつ生きていたのだろう。 (小谷野敦) -

    ■ - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2015/05/09
    「若く、それにしても世間知らずで学がなかった。だが、それこそ「何かいいことないか」と思いつつ生きていたのだろう。(小谷野敦)」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    ひでお先生の日記で知って、東野圭吾の『悪意』を読んだ。面白かったがいつもの通り、現実にこんなことするやつぁいないだろうと。 最初のほうで、ヴァンクーヴァーへ移住する作家が、「気温は?」と訊かれて、「緯度が全然違うからねえ。でも夏が涼しい」(大意)と答えるのだが、緯度は関係ないだろう。英国なんてカムチャツカ半島と同じ緯度である。大陸の西岸はだいたい暖かい。トリックとは何の関係もないところなだけに引っかかった。 ヴァンクーヴァーは世界一住みやすい町とも言われ、温度湿度に関しては、冬場に雨が多いのを除けばその通りで、その雨も気分的に嫌だが慣れるとそうでもなく、濡れてもすぐに乾く。ただまあ、退屈な町ではある。

    ■ - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2014/10/25
    「ヴァンクーヴァーは世界一住みやすい町とも言われ、温度湿度に関しては、冬場に雨が多いのを除けばその通り」
  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2014/05/24
    「へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連載していたエッセイで、落語について書いた時、「右朝が先にやったと李建志君から聞いた。違っていたら李君の責任である」と書いた。」
  • ノートをとる - jun-jun1965の日記

    よく大学生が、試験の前に「友達からノートを借りて」といったことを言うが、私にはこの「ノート」がよく分からない。借りたこともなければ、とったこともない。いや、授業中に一応ノートは広げていたのだが、まともにとれたことがない。 なんでかというに、大学の教師がしゃべることは、に書いてあるからである。教養学部時代にとった授業と言えば、村上陽一郎、折原浩などがいるが、これは著書があって、そこに書いてあることをしゃべっている。井上忠は、著書を読んでも何が書いてあるのか分からない(今でも分からない)が、しゃべっていることも、何を言っているのか分からなかったから、ノートがとれるはずもない。延広眞治先生だけは、『柳多留』の講義だから、これだけはいくらかメモはとった。村上陽一郎は、いくらかノートはとったのだが、あとで見たら、著書に書いてあることだった。 英文科へ行くと、渡辺利雄のアメリカ文学史、これは『総説ア

    ノートをとる - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2013/02/10
    「大学でノートをとるというのは、明治期、まだろくに入門書とか概説書がない時代の遺物である。だから、現代において、本気で「ノートをとる」などと言っている大学生は、バカか、教科書や概説書が買えないか、」
  • 流浪の民(シューマン) - jun-jun1965の日記

    小学六年生の時音楽の授業で聴いて以来好きな曲。この訳詞はドイツ文学者石倉小三郎(1881-1965)が東大独文科在学中に作ったもの。

    流浪の民(シューマン) - jun-jun1965の日記
  • 本の作り方 - jun-jun1965の日記

    なんで間違いのないを作れないかということである。 一般的な商業出版物だと、時間をかけることができないのである。仮に私がしめきりないし刊行予定の半年前に原稿を渡しても、すぐに校正刷りにはしてくれない。してくれるのは刊行の二か月前くらいで、それから校閲にかけるのである。 学術書の場合は原稿段階から入念にチェックしたりするのだろうが、こちらはそうはいかない。もし間違いのないを作りたいと思ったら著者が自分で校閲者を雇うしかないが、自転車操業の文筆家にそんなことはできない。 - 齋藤孝が『ざっくり! 世界史』で、自分が東大へ入った時には左翼的な雰囲気が強くて、天皇制を批判しなきゃいけないようだったと書いている。齋藤は私の二つ上だが、私の時にはそんなことはなかったなあ。もしかしたら教育学部がそうだったんじゃないか。あそこは当時共産党の巣窟だったし。

    本の作り方 - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2012/06/05
    「なんで間違いのない本を作れないかということである。一般的な商業出版物だと、時間をかけることができないのである。仮に私がしめきりないし刊行予定の半年前に原稿を渡しても、すぐに校正刷りにはしてくれない」
  • わびしさ - jun-jun1965の日記

    十年ぶりくらいで大宅壮一文庫へ行ってきた。前に行ったのは三鷹在住の頃だから当然八幡山駅から歩いたが遠かった。今回は自宅から自転車で三十分ほどか。労力はあまり変わらない。晴れた土曜日だというのに利用者が少ない。あと、八幡山駅から大宅文庫へ行く途中に、昔のヌード・アイドル雑誌を扱っている店が二つある。これも十年前に何度か寄った。今回も帰りに一件寄ったが、妙に物悲しさばかりが募った。まあだいたいが、昔のアイドル雑誌というのは、物悲しいものなのだが、今はそれに加えて、こういうのはオークションで簡単に入手できる。十年前はまだそれほど発達してはいなかったが、一般の古書店なら、中身が確認できるという点で、ネットでの入手に優るが、こういうところはビニール袋入りなので、懇願すれば確認させてもらえる(事実、昔したことがある)が、だからまあ存在意義はだいぶ薄れているからである。 大宅文庫にしたところが、果して維

    わびしさ - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2012/03/05
    「 大宅文庫にしたところが、果して維持できるのかといくらか不安になったことであった。」図書館なくして民主主義なし。
  • 2012-02-23

    のウィキペディアというのは、海外のそれと違って責任主体がはっきりしない。いわば無法地帯だ。誰がやっているか分からない。しかし今回やっと、実態のある者にめぐりあった。東京経済大教授の山田晴通というやつだ。しかもこいつ、東大博士課程中退だが、単著もない。ウィキペディアに立項する特筆性などないのに、まあ麗々しく、ウィキメディア財団での写真まで掲げて立項されているよ。著書などとして載っているのは論文集に寄稿しただけの、共著とは言えないもの。 http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%AD%A3%E8%B7%AF ウィキペディアで「著作権に問題あり」といちゃもんつけるやつ、いっぺん正体を知りたかったのだよね。基的に、記者が書いた報道記事は、創

    2012-02-23
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2012/02/23
    この先の展開があるのでしょうか。
  • 国会図書館OPACの壊滅状態 - jun-jun1965の日記

    国会図書館は年末年始にOPACの入れ替えをやった。その結果、ひどいことになった。 図書から雑誌記事まで全部検索するのがデフォルトなので、いちいち全解除しなければならない。それはまだよろしいが、スラッシュを入れての検索ができなくなったのである。 たとえば「文学」という雑誌を検索しようとして、普通に「文学」と入れたら、膨大な「文学時代」や「文學界」まで全部出てくるから、以前は「/文学/」とすればよかったのに、その機能が消えてしまったのだ。これはとんでもないことである。 電話して訊いたが、どうやらこの重大事態を全然理解していないらしく、私が「たとえば林秀雄という人を検索しようとすると、小林秀雄まで引っかかってくるわけでしょう」と言うと、「それはnot検索をすれば」と言う。分かっていないのである。そこで、「じゃあ林光って人はどうするんですか。小林光雄とかそういうのがみんな引っかかってくるんですよ」

    国会図書館OPACの壊滅状態 - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2012/01/11
    図書館なくして民主主義なし
  • 締め切りの問題 - jun-jun1965の日記

    昭和7年に横光利一の「母」を評した森田草平の文藝時評(朝日新聞)には、「昔の大谷崎君を思はせるやうな」という一節がある。これを見ても「大谷崎」が、弟精二との区別のための「だいたにざき」であることは分かろう。偉大な「大谷崎」に「君」づけはなかろうからだ。なおこの文章は川端康成の文藝時評に引用されている(『川端康成全集』第31巻、59p)。 - 太宰治と心中した山崎富栄は、美容師として成功した山崎伊久江(初代)の親戚だという。そこで調べてみた。松侑子『恋の蛍』によると、富栄の父・山崎晴弘は、三輪家に生まれて山崎家の養子となり、黒川信子と結婚、理髪の研究所を設立。富栄は奥名修一と結婚するが奥名は戦死、三鷹で美容院を開いていて太宰と知り合うという流れだ。 一方伊久江のほうは、『真昼を掴んだ女』という自伝があって、それによると、福島県安積の三百年続く地主・遠藤家に生まれ、初名をナミ。三人の姉と四人

    締め切りの問題 - jun-jun1965の日記
  • アインシュタイン・ショック - jun-jun1965の日記

    翻訳のひどさがニュースにまでなるというのも珍しい。私も、いくつかの、ひどい翻訳というのを見てきたが、まあそれはいいとして、 『アインシュタイン その生涯と宇宙』は、 監訳:二間瀬敏史(ふたませとしふみ、1953- ) 東北大学理学研究科教授、東北大理学博士 訳者:松田卓也(1943- ) 神戸大学名誉教授、京大理学博士 訳者:関宗蔵(1944?- ) 東北大名誉教授、天文学 訳者:松浦俊輔(1956- ) 元名古屋工業大学助教授、翻訳家 であるが、上の二人は「アインシュタイン」ないし宇宙物理学の専門家である。松浦は「駒場学派」で、多くの科学系の翻訳を出している。二間瀬、松田も、翻訳は出している。ただし、松田は単独でも出しているが、二間瀬は松田と一緒か、誰かと一緒である。関は、一冊も翻訳はない。著書もない。国内で論文は英文のものが三あるが、まあ海外で発表したものがあるのだろう。なんで翻訳し

    アインシュタイン・ショック - jun-jun1965の日記
  • 大学の裏シリーズ - jun-jun1965の日記

    前からいろいろ書いているのだがなかなか浸透しないのでまた書く。 学者の履歴で「博士課程修了」と書いてあっても、それが1995年以前のものだと、嘘であることが多い。というのは、それ以前は人文系で、大学院にいて直ちに博士号をとるということがあまりなかったから、「単位取得満期退学」のことを「修了」と通称していたからである。 戦前の場合は、帝国大学は年齢的にも大学院相当なので、卒業の後大学院にいても、それはいわば腰かけである。博士号は、文部省から与えられることもあれば、論文を書いてもらうこともあった。戦後は、修士課程、博士課程というものが出来、学者になるなら普通は修士号はとり、博士課程を中退する。 だから、履歴を見ても「博士課程修了」をにわかに信じてはいけない。厄介なのは「大学院修了」と書いてあるもので、果たして修士修了(で助手とかになった)のか、博士課程満期退学なのか、これだけだと分からない。じ

    大学の裏シリーズ - jun-jun1965の日記
  • パヴェーゼに挫折する - jun-jun1965の日記

    パヴェーゼの『故郷』が岩波文庫に入ったのを買っておいたのを読もうとしたら、冒頭から、大変読みにくい文章であったから、先に訳者の解説を読んだ。すると、こちらも読解不能であった。パヴェーゼがファシズムの下で苦しんだことは分かった。だが、そのことと、「ネオレアリズモ」という技法がどう関係するのか。「責務の文学」だというが、その意味は何か、説明がない。「叙事・叙情の手法」というが、それはいったい何なのか、理解不能である。パヴェーゼは戦後1950年に自殺しているが、その状況については説明しつつ、その理由について何も書いていない。「パヴェーゼの英米文学作品への傾注は高校時代に始まったが」とあるのは「傾倒」の間違いだろう。さらに訳者はこの作品の最初の一文の訳を十年間考えたと言っている。日語がまともに書けない人が訳しているというのでは、普通に読めない。もしかすると翻訳より原文で読むべきものなのかもしれな

    パヴェーゼに挫折する - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/07/03
    妖精の町宇都宮
  • 大学の階級 - jun-jun1965の日記

    以前、弘兼憲史の『人間交差点』で、大学の話を読んだ。非常勤講師の女性二人が助教授の座を争うというものだったが、どうもこの原作者は、大学の仕組みが分かっていないのではないか、と思った。 大学教員の階級は、 教授 准教授 専任講師 (専任助手)(大学によってはある) ここまでが「専任」である。 あとは、 助教 助手 非常勤講師(兼任講師) があるが、助手は専任ではあるが、多くは数年で他の大学へ行かなければならない。ただし、助手から准教授に昇進するとか、50近くまで助手をしているとかいう例はある。これに対して専任助手は、いずれ専任講師や准教授に昇進することが約束されている。 「兼任講師」というのは、「非常勤」という響きを嫌って使われている婉曲表現で、別にどこかと兼任していなくても、言われる。 ある大学の非常勤講師から准教授になるということは、ないではないが、あまり一般的ではない。国立大学の場合、

    大学の階級 - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/05/28
    猫猫先生の正体はいったい誰なんだろう。
  • 言うに忍びないが - jun-jun1965の日記

    言わないと私の精神状態が危機に陥るので。 塾に来た男子。某私大を出てかなりいい大学の院に入ったという子で、論文も活字にしている。先日、夏目漱石から話が正岡子規になって、俳句歴史を訊いたら、何も知らなかった。俳諧連歌の発句が独立したということさえ知らず、私が連歌以来の歴史を説明して、菟玖波集は日古典文学大系にも入っている、と言ったら、日古典文学大系を知らなかった。そのくせ、子規の「俳諧大要」なんかは読んでいるらしい。 別に某私大だからというのではない。近代日文学を専攻していて、古典について何も知らないという学生が増えている。それで大学院まで行ったりする。これは教員が悪い。「日文学史」の授業で、自分の専門だけ教えていたりする。これは、教員自身も無能で知らなかったりするからである。 デリダやフーコーは読んでいるが古典文学について何も知らない(レトリックではなくて当に)というのが、

    言うに忍びないが - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2011/05/14
    「『日本古典文学大系』を知らない日本文学の院生、ということが、いかに私にとってショックであったか、ということは、はっきりさせておきたい」
  • チケットの払い戻し - jun-jun1965の日記

    演劇などのチケットをいったん買うと、買った側の都合でキャンセルはできない。どこかに書いたような気がするが、私は大学四年の頃、池袋西武のセゾンへ行ってよく切符を買っていた。だからセゾンカードは持っていた。ある日、『キャッツ』のチケットを払い戻そうとした女子がいて、拒否されたのを、追いかけて私が買い取ったことがあった。ちょっとかわいかったが、訊いてみたら藝大の学生だというので、私は音楽をやる女性に憧れていたから、何とかする手立てはないかと思ったが、なかった。 ところが、そのチケットの払い戻しをしたおばさんを、あれは三越だったか、で見たことがある。いきなり売り場の店員を怒鳴りつけるのである。 「あんた、これこないだ買ったけど、平日じゃない! 娘と一緒に行くんだから、平日になんか行けるわけないでしょ! あんたそれ言わなかったでしょ!」 と、凄まじい剣幕なのだが、普通に考えたらこのおばさんが悪いので

    チケットの払い戻し - jun-jun1965の日記
  • 会社の名前が長くなる - jun-jun1965の日記

    一時期、銀行の合併で、太陽神戸三井銀行とか、長い名前の銀行ができた。だいたい整理されたが、三菱東京UFJだけは長いまんま。こういうのは統合で長くなった例だが、近ごろは子会社を作ったり改名したりして長くなる出版社が多くて、何か不快感がある。角川学芸出版とか角川ホールディンググループとか、冨山房インターナショナルとか集英社インターナショナルとか、南雲堂フェニックスとか、PHPエディターズ・グループとか、改称したのや元の会社があるのとか、いろいろだが、これは、文献として書く時に面倒である。大学の場合、四天王寺国際仏教大学が四天王寺大学になるとか、覚えやすいように短くする傾向があるのだが、この、出版社がやたらと長く、かつ片仮名をくっつけるのは何か亡国的でもある。福武書店がベネッセコーポレーションにしたのがそのはしりではあるまいか。なんで「右翼」とか「保守派」の人たちは「エディターズグループとは何ご

    会社の名前が長くなる - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2010/11/05
    出版社にも、何とかホールディングスなんて会社名が増えた。「これは、文献として書く時に面倒である」
  • 本が書けない人たち - jun-jun1965の日記

    金×淳×も、『ユリイカ』などに著書の広告が出てはや二年。今私たちの興味関心は、これが三周年を迎えるか、どうかである。 私は三十歳の頃から、周囲の人たちを、編集者に紹介して著書を出させようとしてきた。今思えば、親切なようで、恩に着せようとしていたのだろう。だが、うまくいかないことのほうが多く、うまく行ったのは、既に著書を出している人の例であった。 さる英文学者が、今はなきカッパブックスで、シェイクスピアのソネッツに関するを書きたいなどと言っていて唖然としたことがある。まあそれはそれとして、初めてを出す時は、一冊分原稿を揃えて売り込まなければまず問題にならない。金×のようなのは、上×千×子だか誰だか知らないが、よほどの大物が押し込んだ結果としか思えないのである。その上×が、90年代初めに、日で初めて男性同性愛について博士論文を「書いた」と言って興奮していたように記憶する古××は、実際は博

    本が書けない人たち - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2010/08/07
    「 本一冊分を書けない奴というのは、これは本当に書けない。十年かかっても書けない」
  • 草間平作の壮絶人生  - jun-jun1965の日記

    ヒルティの『幸福論』『眠られぬ夜のために』は草間平作が岩波文庫に訳して版を重ねているが、この草間平作がどういう人か、ほとんど知られていない。草間は小説も書いており、唯一の著書である創作集『夢と燕』には、草間自身による、驚くべき生涯が描かれていた。以下、年譜を掲げる。 草間平作(1892−1985) 1892年7月、長崎県平戸生まれ。名・牧田正彦。 1906年、北九州の東筑中学校入学。14歳 1912年、中学卒業、父のいる東京へ戻り海老名弾正に会いキリスト教に親しむ。 20歳 第七高等学校造士館卒業。 1919年、東京帝国大学法学部独法科卒業、父の勧めでS子と結婚  (27歳) 有島武郎の援助で京都帝大哲学科に学ぶ。 1921年、ケルレル『村のロメオとユリア』を新潮社から訳出。  29歳 父の病気のため両親を京都に引き取る。二児ができる。 1922年‐23年 同志社大学予科講師をする。  

    草間平作の壮絶人生  - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2010/03/30
    ヒルティの翻訳者草間平作の極貧壮絶な人生
  • 小説の登場人物が間違いを言うとき - jun-jun1965の日記

    小説の登場人物が、間違った知識を口にするということがある。阿刀田高が書いていたと思うのだが、作者としてはそれを放置してはいけない。いちばんいいのは、そこでの別の登場人物に訂正させることだ。 「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て引力を発見したわけだし」 「いや、それはまあ後世の作り話で」 といった具合である。 しかし逆に、登場人物がものを知り過ぎている、という例のほうが実際には多い。『1Q84』で川奈天吾が、森鴎外の『山椒太夫』と聞いてすぐ、「大正時代の作品」などと思うのもその一例だ。ここは、「明治時代の作品か…いや、大正に入っていたかな」くらいにしておくのがベター。

    小説の登場人物が間違いを言うとき - jun-jun1965の日記
    mori-tahyoue
    mori-tahyoue 2010/01/23
    放置してはいけない