ハンナ・アレント的、あるいは藤田省三的な意味での「全体主義」概念を軸として、自分のこれまでの規範理論的な作業を振り返ると、以下のようにまとめられる。 『リベラリズムの存在証明』においては、非常に強い意味でカント的な――「独我論者同士の相互承認と連帯」としてのリベラリズムは、アレント的な意味での全体主義に抗しうるか、と問いかけたうえで、否定的な解答を出さざるを得なかった。すなわち、いったん成立した全体主義体制を、その内側から突き崩すような力を、リベラリズムという社会編成原理は持ちえない、と。 それに対して約10年後の『「公共性」論』では、問いのレベルと方向がずらされた。相変わらず、アレント的な意味での全体主義に対して、リベラリズムは実践の原理としては無力である。しかしここでは、まさにそのことをもってして、全体主義は否定されるべき原理であることが明確とされる。逆に言えば『存在証明』では、「全体