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戦争と平和 -1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義 『社会を守れ』(八) (中山 元) ★ブーランヴィリエの戦争論 ブーランヴィリエによる戦争の最初の一般化は、権利と権利の基礎についての一般化である。ブーランヴィリエ以前の一六世紀のフランス・プロテスタントの宗教戦争や、イギリス議会の国王に対する戦争では、既存の法が中断され、覆された。戦争は、新しい法状態への移行をともなったのである。しかしブーランヴィリエが主張する「戦争」は、既存の法体系の転覆を目的とするものではない。ブーランヴィリエの戦争は、法の全体を回復するものであり、一つの自然法を復活させるものである。 しかしブーランヴィリエが自然法を信奉していたわけではない。逆にブーランヴィリエの戦略は、ローマ法由来の自然法の抽象性を暴くことにあったようである。この自然法は、法として提示されるともはや適用できないものである。ブーラ
この辺の話みながらなんかいろいろ思ったり、いま読んでる本にリンクしたりしたので 王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死 | Kousyoublog http://kousyoublog.jp/?eid=2529 聖以前の無縁状態の頃、王は人々のケガレを背負って死ぬ象徴的な存在であった、って話 それが変異したのはタタリを中心とした信仰が利益中心になった頃かな? ということでこれなんか思い浮かんだ(未読) 松岡正剛の千夜千冊『アマテラスの変貌』佐藤弘夫 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0668.html 「日本の神はもともとはタタリ神だったのに救い神的な性格も備え「賞」と「罰」を与える神に性格を変えていった。 「天照の性格の変化にそれが表れている」というのは新興宗教が教義を変えていく流れを想わせる。(新興宗教の多くは最初のころは哲学・思想的教義であっ
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