2013年11月02日16:11 カテゴリ本 機械仕掛けの天皇 アゴラで書いたように、デモクラシーは特殊西洋的な制度であり、日本に根づくとは思えない。それを何とか根づかせようと苦闘したのが丸山眞男を初めとする「革新陣営」だったが、福田恆存はそれを嘲笑した「保守主義者」として知られている。 しかし本書に収められた「近代の宿命」という長編エッセーを読むと、そのロジックは驚くほど丸山に似ている。西洋近代は中世の否定であり、「中世マイナス神」だった。中世まではキリスト教が秩序の維持と個人の救済という二つの役割を果たしていたが、その信仰がゆらいでくると、秩序を維持する政治と個人を救済する文学の分裂が起こる。 福田はこれをトマス・アクィナス(キリスト教神学)に対するルターとエラスムスの対立として描く。ルターは新しい教会を組織してカトリックに対する闘争を始めるが、エラスムスはそれを傍観し、ルターに「曖昧
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