事の始まりはここから。 https://t.co/xIR5UkpG0o pic.twitter.com/zFokRzoBNk— yuta弐拾伍時 (@yuta25) 2016年10月26日 @yuta25 pic.twitter.com/wjOkrRfwCB— kktnhrms (@xKxAxKx) 2016年10月26日 他にも探してみたら割とあったので、Jサポは各々の応援するチーム名を冠した物件に住めばよいと思います。 ヴィッセル石田、安くていいなー。静岡だけど。
月に何度か立ち食い蕎麦屋を利用するのだが、最近思うことは『良い立ち食い蕎麦屋=水が美味い』ということだ。ただ、これは水が美味いということは、蕎麦の汁とかに使っている水も良いので自ずと蕎麦自体が美味くなる、とかそういう話ではない。おれは立ち食い蕎麦で食事をする際は季節を問わず温かい蕎麦を食べる。立ち食い蕎麦屋では冷たい蕎麦よりも温かい蕎麦の方が似合うし、かの場所で冷たい蕎麦を食べるのはなんだか粋じゃないよなあ、なんて思ったりもしている。まあ、単純に温かい蕎麦の方が好きだとかそういう理由なのだが。んで、立ち食い蕎麦屋ではダラダラと食事するのではなく、ササっと腹の中に収める。汁の熱さも何もかもをすべて受け入れる。目の前にある蕎麦を片づけることを第一とする。長居は無用。まあ、そもそも通勤中の隙を見て入ることが多いので、スピーディーに食事をせざるをえない、ってのもある。 さて、そういう感じにスピーデ
こないだデイリーヤマザキのハムカツが旨いという文章を書いたのだが、その後、またデイリーヤマザキに行く機会があったのでハムカツを注文した。わくわくした気分と少しばかり不安な気分を持ちながら。前者は「また、あのハムカツを食べることができるぞ」という気分。後者は「あんだけブチ上げたのに、二回目食べたら別にそうでもなかった、みたいなことにならないだろうか」という気分。そんな感じで、おれは108円を支払った。もちろん、ソースはいらないぜ。次回からは「ハムカツ、ソースなしで」と注文しようかと思うほどだ。おれはひょろっとしたメガネの店員からそれを受け取った。 前回と同じように歩きながら食べよう。いい年こいていようがなんだろうが、気にしないぜ。紙袋からそれを取り出し、ハムっとそれを口にした。が、そこに訪れたのはハムカツの旨さではなく違和感だった。ハムカツにあるまじき、歯ごたえの無さ。口の中にはハムカツには
普通、こういうメシ系の文章には写真がつきものなのだけれど、写真はありません。なぜなら撮っていないからです。普段は写真撮ってるくせになー。なー。 昨日の帰り道に腹がすいたのでデイリーヤマザキでハムカツを買って歩きながら食べた。まるで中高生のようだが、おれはいまだに帰り道で買い食いしたりしてしまう。割とそれで腹がいっぱいになることもよくある。まあ、そんなことはどうでもよい。ハムカツの話だ。おれはハムカツに執着しているほどではないけれど、わりかし好感を抱いている存在だ。ただ、愛すべき存在であることは間違いない。そう、それは愛。そんな、愛すべき存在のハムカツがデイリーヤマザキに居た。デイリーヤマザキのレジ横のホットスナックのショウケースの中でコロッケや、メンチカツや、鶏の死骸を小麦粉で纏って揚げたやつとともに、ひっそりと佇んでいた。ところでこれは余談なのだけど、コロッケという存在に対してもおれはか
どいつもこいつも口を揃えて「おもしろい、おもしろい、サイコーだ」と、まるでおこぼれでも貰ってんのか、というくらい絶賛されているので観た。旧作は観たことは無いのだが、別に観ていなくても大体分かる、とのことだったので気にしないで行った。観た場所はマッドシティ死武夜の映画館。平日の昼間からこんな映画を観ようとするのはろくでもない奴ばかり、というのは相場が決まっている。ジャケットのポケットには時代遅れのS&Wを忍ばせる。今にも崩壊しそうな空と地上の狭間。路上は砂塵にまみれ、そこらじゅうに転がる死体を踏み分け、物乞いをかき分け、俺は映画館にたどり着いた。目の焦点の合っていないシアターのスタッフにチケットと引き換えにペットボトルの水と白い粉を渡す。カネ?今の時代、円もドルもユーロもただの紙切れでしかない。そんなゴミクズよりも必要なのは水と食糧と燃料だ。注射器が散乱した水の流れないトイレで小便を済ませ、
ウチの職場の近くには松屋とすき家はあるのだけれど、吉野家が無い。また、自宅の近くにも松屋はあるのだけれど、吉野家が無い。特別、吉野家の牛丼が好きなわけではないのだけれど、吉野家には松屋とすき家には無い良さがあって、それは「牛皿とビールが様になるか否か」という点だと思う。もちろん、松屋とすき家にも牛皿とかビールは置いている。だけど、吉野家でそれをやるのと、松屋/すき家でそれをやるのはなんとなく違うかなあ、と思う。まあ、この「なんとなく」っていうのを言語化するのがブログというメディアの一つの役割であると思うのだけれど、俺は非常に阿呆なので「なんとなく」を「なんとなく」のままにしてしまいます。 さて。俺は結構な風呂好きで自宅の風呂に入るのもそれはそれで好きなのだけれど、たまに銭湯に行って入ることもある。やはり、足が伸ばせて入れるのは良い。そんで、少しのぼせた体でちょっと一杯、みたいなことをやるの
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