1956年3月17日、奥野健男『太宰治論』の出版記念会に出席した三島由紀夫(31)は、初めて北杜夫(29)に会う。北は「三島さんは『てふど』と書くが、『ちやうど』とすべきだ。ちゃんと辞書くらい引いてください」と言う。怒った三島は夜中の二時に奥野に電話をかけ、「『幽霊』とかを書いた天才とかいうが、あんな無礼な文学青年を二度と紹介しないでくれ。何が「ちやうど」だ」と言う。間違いを素直に認められない三島であった。(奥野『三島由紀夫伝説』) - 『現代思想』が届いたので(これは「週刊読書人」の時評のためである)見たら、阪大時代の同僚だった大村敬一君が出ていた。大村は文化人類学専門で、私より後から来た人だが、はじめよくカナダへエスキモーの調査に行っていた。なんか小林秀雄的な物言いをする人で、面白そうなのだが時々何を言っているのか分からず難儀した。ここでも、まあ分からないことを言っている(座談会)が、