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歴史と沖縄に関するmshkhのブックマーク (5)

  • 『沖縄01外人住宅』岡本尚文(ライフ・ゴーズ・オンinc.) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 沖縄に花開いたコンクリート文化 はじめて沖縄に行ったときに驚いたのは、目にする住宅のひどく武骨なことだった。コンクリートの塊と呼びたくなるような、飾り気のない四角い建物が多かった。 壁が湿気で黒ずんでいたり、どぎつい色のペンキで塗られていたりする。看板代わりに壁に直に店名を書いている建物も目を引いた。沖縄タイムスの古いビルもそうで、筆にどっぷりとペンキを含ませて書いたぶっとい文字に迫力があった。 強い日差しを遮るルーバーとして、透かし模様のあるコンクリートブロックが使われているのも物珍しかった。花ブロックと呼ばれ、ブロック塀が一斉を風靡した時期には土でも飾りに使われたが、いまはあまり見かけない。沖縄の花ブロックは種類が多く、新築の家にも用いられて現役だった。 よく見ると墓もコンクリート製が多かった。家の形をした破風墓、蛸のあたまのような形の亀甲墓……。どれもコンクリ

    『沖縄01外人住宅』岡本尚文(ライフ・ゴーズ・オンinc.) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 若い時は日本なんか逃げちゃえと思いましたよ - finalventの日記

    たまたま日で生まれただけだし。 日への愛国心なんてないし。 けっこう自分だけハッピーならいいし。 なにより、日的な空気って重いじゃないですか。 っていうか、適当に、中間的な沖縄に逃げちゃいましたけどね。 で逃げられたかと思ったらダメでしたね。 オレはダメね。 外国とかに逃げられる人は逃げたらというのもいいんじゃないの、とは思いますよ。 日にいて、そういう道もあるみたいにフカしているのは意味ないとは思うけど。 っていうか、実際に体ごと逃げてみて、ああ逃げられないじゃんという、日を見つけたら、あまり愛国的というかナショナリスティックにならなず、自分の大切なものとして、それはそれなりに受け入れればいいんじゃないですか。 日ってそんな悪い国じゃないですよ。 っていうか、いい国でしょ、他の国の人も日人になったらぁ、とか開いて言えるといいと思いますよ。大声で言うと嘘になるから。身近なとこ

  • 対馬丸メモリアルデー: 極東ブログ

    1944年の8月22日、那覇港から出た学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷により撃沈された。氏名判明者に限定すれば、学童775人を含む1418人の民間人がこの攻撃で殺された。僅かに59人の学童は救出された。この殺戮については日では当時機密ということになったが、県民の多くは戦中この惨劇を知っていたようだ。 それから60年を経た今日、この惨事を追悼すべく、那覇市若狭の遭難学童慰霊「小桜の塔」近くに「対馬丸記念館」(参照)が開館されることになった。 なぜこれほどの惨事になったのか、なぜ米軍は民間人を大量殺戮したのか。しかし、冷徹に歴史を見ればそれほど不思議はない。当時187隻の疎開船により約8万人にもが安全に疎開できていた。また、米軍はすでに商船も攻撃対象としていた。対馬丸は商船と見られていた。 当時、潜水艦ボーフィン号で魚雷発射任務に就いていた米海軍下士

  • 毎日社説 社説:沖縄戦学習 力合わせ実りあるものに - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    沖縄戦は実際に現地で自分で調べた範囲ではかなり重要なことが依然わかっていない。古老の証言からは、通説と違う証言もある。 部分によっては右派左派にとっても都合の悪いさまざまなディテールがあり、こうしたイデオロギー的な枠組みをいったん除いたほうがいいと思うのだが、そうもいかないのだろう。 学童疎開船「対馬丸」撃沈の惨劇。そして今の中学、高校生の年代に相当する男女学徒らを「鉄の暴風」と呼ばれる戦場に動員した沖縄戦は、学校教育の場で児童生徒の心をより深くとらえ、考えさせる。 一般住民を巻き込み、犠牲を強いる総力戦。土決戦準備のための時間稼ぎをする「捨て石」とされた沖縄戦は、最後は住民も見捨て、集団自決にも追い込んだ。さらに戦後の米軍統治、復帰後も続く広大な基地の圧迫。今もあの戦いの延長上に沖縄はある。 対馬丸には以前少し触れた。 ⇒極東ブログ: 対馬丸メモリアルデー このころはまだ自分は沖縄生活

  • 朝日社説 米兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記

    これ社説で扱ったか。今回の事件だが、やはり現地にいないせいか、どうもディテールがわからない。広義に基地被害としてもいいのだが、犯罪が確定していないふうにも見える現状、この個別の問題への言及は控えたい。 思い出されるのは、95年に起きた米海兵隊員3人による少女暴行事件である。この事件をきっかけに米兵による犯罪や事故に対する県民の怒りが大きなうねりとなり、抗議の県民集会には8万5千人が結集した。 このとき私は沖縄に暮らしていて、事件後数日でこの事件を知った。タイムスも新報も報道したがそれほど大きな扱いではなかったかと思う。ただ、連日報道し続けたので経緯を見ていた。その間、私は土大手紙の情報もワッチしていたのだが、当初時事に流れただけで、その後、二週間くらい空白があった。その空白があまりに奇妙だったので、こういう事件があるというのをパソコン通信に書いたり、知人とも話をしたりした。沖縄の知人とも

    朝日社説 米兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記
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