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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (201)

  • 教養について: 極東ブログ

    教養」について、自分はあまり関心がない。いや、「教養」についての話題に自分がいつも頓珍漢な思いがする。ある意味、私にとって教養は非常に明確である。ちょっとメモがてらに書いてみたい。 まず、ヘンテコな結論から先に書く。これは誰か言っているのかどうか知らないが、どんな教養であれ、その基礎がなければなんの意味ないということ。教養の基礎とはなにか。人格か? 正義か? 美的センスか? 私はまるで違うと思う。私は単に独断なのか、私の教養の実は成果なのか、こう思う。教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。そして、その「人」というのは、すべての層の人を含む。 私は教育について、奇妙な理想を持っている。学力なんかどうでもいい。まず大道芸を一つ身につけろと。まったく異文化の町に一人放りださせたとき、誰かの気を引かせ、その人と快活な関係が持てるようにせよ。難しく言えば、「おまえはユニバーサルな人間であ

  • 最近ちょっと考えていたキリスト教のこととか: 極東ブログ

    キリスト教でも平信徒には現実的にはそれほど問題にはならないのが三位一体論だろう。難しすぎるからだ。が、これは異端排除のための信条とも関係していて、歴史を知る上ではなかなか避けがたい部分もある。まあ、こんなエントリではそれほど突っ込まないのだが、昨日エル・グレコのエントリを書いてから、映画とは別として彼は正教の信仰だっただろうかとつらつらと考えた。というか最近つらつらと考えていた。個人的には青春が残した課題でもあった。 正教とカトリックの違いは通常フィリオクェ問題(参照)として知られている。エル・グレコなども平信徒だろうし普通平信徒はこうした問題に悩むことはない。が、そういう信仰の話ではないので、ウィキペディアを借りて話を進める。 フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)は、キリスト教の神学上最大の論争のひとつである。ローマ・カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主要な

  • [書評]健康の天才たち(山崎光夫): 極東ブログ

    表題が率直に言っていまいちというか誤解を招きやすい。確かに「健康の天才たち(山崎光夫)」(参照)は、日人の健康を支えた天才たちの列伝といった趣はあるが、むしろ興味深いバイストーリーとしての日近代史だった。おもしろいという点では、最近読んだのなかでは「西遊記6 王の巻(斉藤洋)」(参照)に並ぶ。歴史に関心ある人、あるいは私より年上の人なら読んで損はないだろう。 なぜこのが近代史であり無性に面白いのか。いきなり飛躍した言い方をすると、日の近代史とは疑似西洋的な国民国家日の創出のプロセスであり、かつその意味は国民皆兵化にあったことに関係する。日近代の歴史は太平洋戦争の敗北によって轟音を立てて崩れたかに見えるがそうではなく、戦後の国家工場化にすり替わっただけで、国民を皆兵化するという道が崩れたわけではない。軍事国家のシステム従軍慰安婦は戦後も経済マシンのなかで同構造を持っていたことは

    mshkh
    mshkh 2007/11/17
    この本,本屋で見かけたけどタイトルのせいでスルーしてました.興味が出てきたので,こんど読もう
  • [書評]本は楽しい 僕の自伝的読書ノート(赤川次郎): 極東ブログ

    私は赤川次郎のをほとんど読まない。時代が時代なので何か数冊は読んだ気もするがすっかり忘れている。角川映画「早春物語」(参照)はかなり好きな作品なので(ところで今この歳で見直すとあらぬシーンでチ○コ勃ったりするかもやばそ)、原作「早春物語」(参照)も読んだのだろうと思うが記憶にない。読んでないのかもしれない。私は短いセリフの多い文芸が苦手だ。たぶん携帯電話小説とやらも読めないと思う。それでも赤川次郎についてはずっと関心を持っていた。その理由は書に関係するし、私はこのエントリに書いて、その思いにさよならしたい。 赤川次郎はあまり自身のことを語らない。特に自伝的な話をしない作家だった。このは唯一例外的に赤川が自分のことを語っている。三部に分かれていて、〔I〕青春ノート、〔II〕50歳の出発、〔III〕鶴見俊介との対談。対談は人によっては面白いかもしれないがとりあえずどうでもいいだろう。 〔

    mshkh
    mshkh 2007/09/11
    赤川次郎は数冊しか読んでないので印象が薄いんだけど,この本はなんか猛烈に読んでみたくなった.
  • [書評]中学生でもわかるアラブ史教科書(イザヤ・ベンダサン、山本七平): 極東ブログ

    かつて一読はしたが、「文藝春秋」とは異なり、74年の「諸君」はあまり図書館で保管されていないので、こうして30年以上も経って復刻されて再読すると感慨深い。この歳になって読み直してみると(つまり当時の筆者らと同年くらいの歳)、書き様がけっこう荒っぽいし不用な修辞も多く見られる。はたしてこれが「中学生でもわかる」だろうかと少し考えて、しかし生意気だった自分の中学生時代を思えば、小利口な中学生なら十分読めるだろう。さて、ここでためらうのだが、書は、冷静に評価すれば、トンデモであろう。 私は、山七平の心酔者であり、30年以上もイザヤ・ベンダサンの追っかけ読者でもあった。両者の関係についてはここでは触れない(なのであまりべたなツッコミもやめてくださいね)が、二者が同じテーマでしかもほぼ同時期に書いたものを並べてみると、考え方はさすがに同じだが、究極の部分を見つめる視線に差を感じる。単純に言え

  • [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳): 極東ブログ

    爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこのが読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接

    mshkh
    mshkh 2007/08/23
    亀山新訳は未読だ,ぜひ読まねば.私の年と人生経験で,こんな風に読めるだろうか.あと,江川卓の謎ときシリーズも久しぶりに読みたくなった.
  • そろそろ葉酸について一言言っておくか: 極東ブログ

    「そろそろ葉酸について一言言っておくか」とか、私は別にそんな偉そうなことを言える立場にはないのだが、ブログにありがちなこのタイトル形式を一度使ってみたかっただけなので許してくれ。それだけだ。というわけで、以下の内容について、一応市販書レベルの典拠は付けておくが、みなさんの健康指導ということではないので、そういう情報が必要な人は、しかるべき人にご相談くださいませ。 と言いつつ、たぶん、しかるべき人は、ヒッジョーに曖昧なお答えをなさると思う。という、あまり語られない理由もなにげ含めておくのでご参考までに。ついでに、アフィリっちゃいますが、是非とかいう意味ではありませんので、念為。 さて。 こんなエントリを書こうかと思ったのは、先日14日になるが葉酸と妊娠のこの記事、読売新聞”先天障害リスク下げる「葉酸」、進まぬ摂取”(参照)を見たからだ。 先天障害の発症リスクを低下させる効果があるとされる、ビ

  • 河合隼雄先生のこと: 極東ブログ

    直接学んだことはないが、河合隼雄先生とお呼びしたい。その思いをこのエントリに書いておきたい。19日にお亡くなりになった。脳梗塞であったという。享年七十九。昨年夏にご自宅で脳梗塞の発作で倒れたというニュースを聞いたとき、ご高齢でもあるし不安に思っていた。 先生は1928年、昭和3年の生まれ。昭和の昭坊よりは若い。私の死んだ父が星新一と同じく大正十五年、1926年の生まれ。昔見た父の同窓会名簿に戦死の文字がずら並んでいたのに驚愕したことがあるが、父は大病を得て命を得た。彼の年代が戦争中派の境目で、河合先生はそこを逸れる。 ウィキペディアの「河合隼雄」(参照)項目を引く。 1952年、京都大学理学部を卒業後、数学の高校教諭として働く。その学校現場で生徒達の心の問題に直面することとなり、その後、京都大学大学院で心理学を学び、1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UC

  • 松岡利勝農水相自殺、雑感: 極東ブログ

    松岡利勝農水相自殺について。ブログとして世の中の話題を無名の庶民である自分の心に浮かぶところから記しておくという以上の話はない。まず、哀悼の意を表したい。 私が昨日ニュースを聞いたおりにはまだ生死が不明であったようだ。経緯は、午前10時ごろまで彼は宿舎の室内で秘書と話をしていたが、その後、出かける予定なのに現れず、午後零時18分ごろ秘書と警護の警察官が部屋を訪れ、意識不明の農相を発見したとのこと。死亡が確認されたのが午後2時頃らしい。すでに人の意識はなく苦しいという感覚もないのかもしれないが、人はなかなか死ねないものだなという思いと、なぜ人は縊死を思うのだろうかと、しばし考え込んだ。類似の要人事件のようにまた陰謀論が起こるかとも思ったが、遺書がすでに8点発見されており、その筋はなさそうだ。 死亡が確認されていないまでも、一報を聞いたときの私の最初の印象は、まあ率直に言えば、日の恥だ、と

  • [書評]森有正先生のこと(栃折久美子): 極東ブログ

    大人にしかわからない上質な苦みのある、美しく同時に醜悪な恋愛小説のように読んだ。五十五歳の知的な男に三十九歳の才能のある女が十年ほど恋をする物語。さりげないフレーズに当の恋愛にはこの感触があると何度も煩悶のような声が自然に喉を突く。恋愛といっても、肉体的な交わり……少なくとも肉体の哀しみと歓びは表向き描かれていない。その契機が存在してなかったようにも読める。が、この物語の質はキリスト教のいう肉、サルクスというものの、胸引き裂かれるような絶望感にある、と思う。 小説ではない。森有正という男と栃折久美子という女の現実の物語だ。私もこの物語のある重要人物を知っていたので、この物語のごく一部だが魔法のように織り込まれたような感覚を味わった。しかし森有正という男を知らない今の日人でも、大人ならこの物語の味わいがわかるのではないか。と、自分がさも大人であるかのように書くのだが、そういう大人とは大

  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

  • 極東ブログ: 営業力かぁ

    今の若い人に足りないのは営業力という話を先日ネットで見かけ、営業力かぁ……と考えることがあった。SEとかも事実上営業だしなとか。営業の仕事って今どうなっているんだろ。 私は営業の修羅場にいたことはないが、若造だったころ短期間というか不定期にその端くれにいたことがある。年配のおっさんとペアだったこともあり、これは実地で学ぶ技術だなと思った。 営業の技術は体系的な知識にまとめられる部分もあるのだろうが、なんともうまく言葉にならない部分もある。人柄が勝負ということも多い。あるいは、そういう人柄のようなインターフェースを作る技術かもしれない。 ペアだったおっさんはそうした「人柄」を顧客には見せたが、私にはビジネスライクでそれほど見せなかった。私がとっつきにくい若造だったからだろうが、あるとき、ぼそっと「やる気があるなら君には営業の才能があるよ」と呟いた。自分がそのころのおっさんの歳になりなんとなく

  • タミフルについて世界保健機関の現状の見解: 極東ブログ

    私は医学・薬学の専門的な立場ではないので自分の意見は控えるが、いくつか最新の欧米の報道をメモしておきたい。基的には、タミフルについて世界保健機関の現状の見解が重要となるが、その前に、少し古いが少年期の子供とインフルエンザ後の精神障害についての研究を簡単に紹介しておきたい。”Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents.”(参照)より。 Acta Psychiatr Scand. 1988 Aug;78(2):176-81. Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents. 青少年におけるインフルエンザ後の精神障害 Meijer A, Zakay-Rones Z, Morag A. Department of Psychiatry, Hadassah University Ho

  • 極東ブログ: ゴルゴンゾラチーズのはちみつがけ

    「やあ、元気かいマルコ少年」 「やだな、少年じゃないですよ、三十過ぎてますよ」 「嫁は見つかったかね、バレンタインデーはどうだった?」 「そうだ、そろそろホワイトデーじゃないですか。手作りのホワイトデーのなんかレシピやってくださいよ。簡単なやつを。お願いします。」 「じゃあ、ゴルゴンゾラチーズのはちみつがけ」 作り方は簡単。ゴルゴンゾーラチーズをスライスして、くるみのチップとレーズンをぱらぱらと載せて、そこにはちみつをかけるだけ。スプーンでべる。 デザート、というか、ドルチェ。でも、赤ワインにも合う。 適当に作ってもそれなりに美味しいと思うが、人によってはゴルゴンゾーラを受け付けないので、そのあたりはちょっと好みの探りを入れておくといいだろう。でも、「青カビチーズって好き?」とかべたに聞くのはどうかな。というか、この手のものを受け付けるかどうかはの傾向を見ているとわかるものだけど。 経

  • 極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)

    ようやく読めたということに個人的な感慨がある。長いこと読めなかった。私事めくが私は村上春樹の熱心な読者で十年前までは初期の作品のほぼコンプリートなライブラリーを持っていた。後に「回転木馬のデッド・ヒート」(参照)にほぼ収録された『IN・POCKET』も全巻持っていた。が、ごく僅かを残して捨てた。彼が国分寺で経営していた喫茶店ピーターキャットにも行ったことがある(もっともそのときの店主の記憶はない)し、その他、彼が住んでいた地域や「遠い太鼓」(参照)の異国の町まで見聞したこともある。それほど好きだった村上春樹の文学がぱったりと読めなくなった。 私に二つの事件が起きた。一つは期待していたというかあまりに期待していた「ねじまき鳥クロニクル」(参照1・2・3)の第三部「鳥刺し男編」(参照)にぶっち切れしてしまったことだ。私はこの作品は二部までの力量で最低でも五部まで続くと信じていた。ひどく裏切られ

  • [書評]明暗(夏目漱石): 極東ブログ

    昨年末”極東ブログ: 漱石のこと”(参照)で漱石が、今の私の年齢である四九歳で死んだことを思い出し、うかつだった、しまった、「明暗」(参照)をまだ読み終えてないぞ、と焦り、手前が五十になる前に読まなくてはと決意していた。そんなふうにを読むもんじゃないのかもしれないが、先のエントリでも書いたように漱石の文学は自分の人生に決定的な意味をもっていたし、人生の航路に合わせて読んでいこうと決意していた。なにより今「明暗」を読まなくては。そして、読み終えた。 無性に面白かった。なぜ今まで読まなかったかと悔やまれるかというと、それほどでもない。自分と同い年の漱石と一緒に思索しつつ、対話しつつ読む実感があり、これはかけがえのない喜びでもあった。漱石先生、そうです、五十歳を前に死を覚悟して、この人間世界を見つめたとき、これだけが問題ですね、と。実際の読者の幅としては、三十代前半で読むと、夫婦関係や親族関係

  • [書評]ぶってよ、マゼット 47歳の音大生日記(池田理代子): 極東ブログ

    先日なにげなく見たテレビで池田理代子の対談をやっていた。見るつもりもなかったのだが、あまりの面白さに見てしまった。話は四十歳を過ぎての更年期のことと四七で結婚した旦那とののろけみたいなことなのだが、そういえば彼女、結婚生活一二年かと思った。たしか、私よりちょうど一〇歳年上だったはずだと確認するとそうだ(参照)。 そのあたりが気になって、彼女が四七歳で音大生になった時代のエッセイ「ぶってよ、マゼット 47歳の音大生日記」(参照)を読んだのだが、これがもうめっちゃくちゃ面白かった。面白い上に、ちょうど私は今四九歳なのだが、この年代の人間が思い感じるであろう心のありかたが痛いほどわかる。読書というのはこういう面白さもあるものだなと思う。私も学生を長いことしたしちょっとやり直しもしたりしたが、さすがにこの歳になるとやり直せない感はあるし、やるとして青年期の学問ではないだろう……といった夢想がわくが

  • 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。: 極東ブログ

    結論を先に書くと、機械は意識を持つか。イエス。コンピューターは意識を持つか。イエス。インターネットは意識を持つか。イエス。 昨日「極東ブログ: デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」(参照)を書いたおり、私は意図的に機械主義についてオートマトンから始め、デカルトとその後継の機械主義を分け、「デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」とし、けして「デカルトの考えによれば人間は機械である」とは書かなかった。デカルト自身は人間の総体については機械とは考えなかったからだ。 デカルトは、雑駁に言えば、人間の精神は別に存在し松果体によって身体と結びついていると考えていた。また、その精神こそが動物と人間との差異として考えた。このような人間の超越性についての考えの延長には現代ではチョムスキーの思想が存在する(彼はUGの構成性をピアジェが知性の基底を扱うような進化論的な獲得のプロセスモデルと

  • [書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所): 極東ブログ

    米国の有名なシンクタンクの一つであり、インターネットの生みの親とも言えるランド研究所が人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊ののリストを昨年年末に提示していた。”50 Books for Thinking About the Future Human Condition”(参照)がそれである。各書籍にはなぜそれが重要かという簡単な解説もある。 日人にしてみるとこうした書籍はできるだけ邦訳で読みたいものだ。なので、この機に邦訳があるものの対比リストをざっくりとだが作成してみた。 間違いもあるかもしれない。邦訳がないもので自分のわかる範囲については代替のを挙げておいた。 なお、米国のシンクタンクの重要性については、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文春新書)」(参照)を一読されるといいだろう。 過去 The New Penguin History of the World 図説 世

  • [書評]ワインの基礎知識(アカデミー・デュ・ヴァン監修): 極東ブログ

    一時期ワインについてちょっと凝っていたことがあり、またその関連のなどを読むのも面白かったものだが、諸処の理由で五年くらい前に人生の酒を終了することにした。そのおり、ワインについてのも酒と一緒に処分したのだが、この「ワインの基礎知識(アカデミー・デュ・ヴァン監修)」(参照)と「岩波新書『ワインの常識』と非常識」(参照)はリファとして残しておいた。ワインは飲まなくなったが、ちょっとしたおりの調べごとにも使えるし、特に「ワインの基礎知識」は資料編のリストが重宝。全体的に簡素にまとまっていて便利だ。 アマゾンを覗くと古書で買えばめっぽうお安い。現在から見ると話が何かと古いという印象もあるが、ワインの基礎は変わらない部分も多いので、ワインって面倒臭そうだけどきちんとした知識を得ておきたいという人は一冊買っておくとよいと思う。すらすらと読めるものではないが。あと「岩波新書『ワインの常識』と非常識