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新聞とか終わりだ終わりバカモノ!!!!!みたいな話があって、なるほどなぁとか思わないでもないんですけど、新聞がなくなった後で、文化のある分野を誰が支えていくんだろという感じの素朴な疑問もあったりします。 新聞は今でこそニュースが書いてある紙みたいになっちゃっていますが、かっては印刷やら販売網などといった最新技術の結晶でした。なんでインターネットに乗り遅れたのか、意味が分からない感じがしますが、それはまた少々違うお話なので置いておきましょう。 とにかく新聞は最新鋭の技術を取り入れると同時に、優秀かつ新しもの好きな人材を集め、どんどん成長していき、その余力で様々な文化を地方に普及させたりしています。わかりやすいものだと、こういうのがあります。 読むのが面倒な人向けに要約すると、今でいう通販販売です。 なんでこんなことを始めたのか、理由は様々ですが、もともと広告として掲載した商品を、新聞社で販売
昔の農家の人は一升飯を食ってたみたいな話があって、一升というと1.8リットル分の米です。 肉体労働をしてない人はというと、年間一石(180L)あれば、生きていけるとされていました。いやいや1石というの180Lではなくてだなぁみたいな話もあるわけですけど、その辺りのことは興味もないので詳しいことは知らないです。 現代だと1人あたりの消費量は60キロ弱くらい、それでは明治あたりだとどのくらい食べていたのかなと気になりましたので、少々調べてました。 まずは調べやすいところから調べてみますと、日露戦争の頃の日本兵は、1日に6合の米を食べていたそうです。 飯盒というのがありますけど、あれで米を4合炊くことが出来る。1回の炊事で2回分の米を用意できる設計になっているというわけです。どこで読んだんだか忘れちゃいましたが、1日6合でも量が少なくて腹を減らしてる人がいたそうですから、食べる人はもっと食べてい
ただし鯨は自然界に存在する生物であり、これを怪獣と呼ぶのは厳しい。お化けは恨みを晴らすという理由はあるが、実体を持たないのだから怪獣ではない。それなら妖怪はというと、彼らは存在する理由も登場する理屈も持っていない。妖怪退治は、もともとそこにいたものに、ヒーローが遭遇するというようなパターンがほとんどである。 これが明治だとどうなるのかといえば、実はあまり代わり映えしない。しかし巨大怪獣に関して、明治時代になんら進歩することなく、江戸と同じ感覚で人々が過し続けたというのは理屈に合わない。 宍戸源八郎という怪力の武士がロシアに渡り、エリザベス女王の前で、象を一本背負い(正確には二本背負い)で転がした後に、寝技を決め日本刀で一刀両断にしている。この作品に出てくる象は、次のような特徴を持っている。 体重は550kgあるインドで捕まえたものである宍戸源八郎を殺すために登場した鼻を使い相手を取って投げ
イギリスの劇作家バリーは1904年に、ピーターパンという空想劇を書きあげます。この物語は、1911年に作者自身によって小説化されてもいる。 この物語は今も日本の子供たちに大人気で、大正四(一九一五)年にはすでに翻訳されている。その名も「万年太郎」です。 どう見てもピーターパンじゃないんだけど、こいつはピーターパンで、なんで万年太郎なのかというと、翻訳した奴が適当に名前を付けたからです。 そんなことが許されるのかッ、当時の日本ではバリバリ許されていたのである。 ピーターパンはとても繊細な感覚というか純粋な感覚というか、とにかく物語全体が細やかな感覚で満されているんだけども、万年太郎からはそんなものは排除されている。 まず名前がとにかく雑で、ピーターパンの宿敵のフック船長はというと片手五郎で、片手五郎のテーマソングはこういう感じ。 もちろんフックの仲間たちも雑で荒い名前である。 ウェンディーは
総理大臣が靖国神社参拝したら外人がすごい怒って、ヤッベーみたいになっている。 こういう時に感情的になってはならない。大切なことは過去から学ぶということです。そんなわけですから、本日は明治二年に起きた靖国問題をひとつの事例として紹介したいと思います。 靖国神社っていうのは元々は招魂社っていう名前で、明治の二年七月に東京九段坂に設けられ、その時には五日間の大祭が施行されました。 大祭ですからいろんなオッさんが、様々な物品を奉納するわけですけど、残念なことにその中で熱血すぎるオッさんがいた。 このオッさんは熱血すぎる以外は良い人で、とにかく国のために死んだ奴らが喜ぶのもを奉納しようとすごく悩んだんだ。それは良いんだけども、いろいろ悩みすぎた結果、オッさんは武者がキリストを踏み潰している旗を奉納するという最低すぎるアイデアを思い付いてしまった。 これは再現画なんだけど、絵師が知識とか曖昧なまま描い
英霊は良いけど社畜はダメだ 俺がみている最近のインターネットでは『日本すごい』というのと『日本は糞』みたいな意見が割と出てくる。 『日本すごい』『日本は糞』というのを読んだことがない人もいると思うのでまとめると『日本すごい』というのは『英霊ニッポンすごいぞ俺ら』みたいな感じで、『日本は糞』というのは『俺ら終わりだ社畜ジャパン』みたいな感じです。 それで俺がよくわからないって思うのが、英霊は良いけど社畜はダメって点です。 社畜は本当にダメなのか? 英霊は良いっていうのは、わりと昔からある感覚というか、自分と無関係な死んだ人は褒めた方が生きてる俺らが気分良いので、それでよいとして、本当に社畜ってダメなんでしょうか? たまたま発見した『俺ら終わりだ社畜ジャパン』エントリを貼り付けてみましょう。 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015 このエントリーを読んで
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