斎藤利三(さいとう-としみつ)は、1534年(1537年?)、美濃の白樫城主・斎藤利賢(斎藤伊豆守)の次男として生まれた。母は蜷川親順(斎藤親順の娘)の娘?。明智光秀の妹・明智光秀の叔母(明智光継の娘)とも? この斎藤家は、斎藤道三とは別系となる本来の由緒ある美濃斎藤氏の一族だ。(美濃斎藤氏は斎藤道三に乗っ取られた。) 明智光秀の叔母(明智光継の娘)が、斎藤利三の父・斎藤利賢の継室に上がった事で、同じ土岐一族である明智家と親戚の絆も強くなったようだ。 しかし、父・斎藤利賢の長男・石谷頼辰(いしがい-よりとき)は、実母の再婚相手である石谷光政の娘と結婚し、名門・石谷家の養子となり、将軍・足利家に仕えたが、足利義昭が織田信長に京都を追われると、明智光秀の家臣に加わっている。 この石谷光政の娘が1563年に四国の長宗我部元親(25歳)に正室として輿入れしている。(元親夫人、名は不明)この輿入れの