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食と江戸に関するmunetakのブックマーク (4)

  • 「蕎麦はつゆに3分の1だけつけるのがツウ」は3分の1しか正しくない - 醤油手帖

    6月7日に、テレビ東京系で「ソレダメ! 〜あなたの常識は非常識!?〜」という番組が放送されました。 www.tv-tokyo.co.jp 日常にある常識だと思っていたあれやそれやが、実は違う! ということを教えてくれる情報バラエティ番組です。TVerとかネットもテレ東で見られるかと思ったらうまく探せませんでした。 この中に、「ソレマル!」というコーナーがありました。 今回のテーマは「そばのツウなべ方」。NEWSのマッスーさんこと増田貴久さんがお蕎麦屋さんで蕎麦をべているところを、横にいるマナー講師の方が「ソレダメ!」「ソレマル!」とダメ出しをするコーナーです。 これが、まあひどい。 言いたいことはいろいろとあったのですが一番ひどかったのが、マッスーさんが蕎麦を箸でつかみ、つゆに半分ぐらいつけてべた瞬間に出た「ソレダメ!」です。いわく、「つゆは3分の1ぐらいをつけないと風味が飛んでしま

    「蕎麦はつゆに3分の1だけつけるのがツウ」は3分の1しか正しくない - 醤油手帖
    munetak
    munetak 2017/06/10
    ほう。まぁ、好きに食べるけど。
  • 麺類雑学辞典「そば湯」

    もりそば(蒸篭でもざるでもいいが)べた後、余った汁にそば湯をさして飲み、そばの余韻を楽しむ。そば好きには堪えられないひととき、そばの醍醐味であろう。なにかと「こだわり」を大事にするそばブームのせいか、昨今はそばのべ方ばかりか、そば湯の飲み方についての講釈も耳にする。 そば湯を飲む風習はまず信州で始まり、江戸時代中期の寛延(1748〜51)の頃、江戸に広まったとされる。寛延は、江戸市中でそば屋の数が目立って増え始めた時期でもある。そばがもてはやされるようになると同時に、そば湯も愛好されるようになったということらしい。 ただ、どうしてそば湯が盛んに飲まれるようになったのか、その理由ははっきりしない。うどんや冷や麦、そうめんの茹で湯は飲まないのに、そばの茹で湯に限り、そば湯と称して賞味する。うどんの場合は、麺中の塩分が溶け出していて塩っぱいから、というだけでは、説得力に欠けるようだ。 そばの

    munetak
    munetak 2016/04/16
    へー。『そば湯を飲む風習はまず信州で始まり、江戸時代中期の寛延(1748~51)の頃、江戸に広まったとされる。』
  • 江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog

    以前、「『居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化』飯野 亮一 著」という記事で紹介したが、居酒屋文化とともに料理文化が芽生えたのも江戸時代のことだった。特に文化化政期(1804~30年)は江戸の料理文化の爛熟期といえる。そんな江戸の文化で興味深いのが大酒大大会の開催である。色々記録が残っていて、これが面白い。 酒合戦という酒の飲み比べは古くは慶安二年(1649)、江戸大塚の酒豪・茨木春朔樽次と武州橘樹郡大師河原村の池上太郎左衛門行種との間で行われたものがあり、これが江戸時代を通じて語り継がれた。 千住酒合戦 1815年(文化十二年)10月21日、日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦は江戸の代表的な文人・大田南畝によって観戦記録が著されている。江戸文化史に名高い千住酒合戦である。参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五

    江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog
    munetak
    munetak 2015/06/20
    酔いつぶれた事実まで残ってるのか(笑)『小石川天掘屋七右衛門(73歳):五升入り丼鉢を一杯半飲み、帰りに湯島聖堂の土手で明け方まで酔いつぶれる』
  • 江戸のグルメ

    太田記念美術館にて2012年3月1日~3月24日に開催された「江戸っ子味めぐり」展の際に執筆したツイートをまとめました。 現在作品は展示していないため、ご観覧できません。また展覧会図録も作成しておりません。

    江戸のグルメ
    munetak
    munetak 2015/06/17
    『「むまさう」は「うまそう」の意。』どれもむまさう。
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