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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (29)

  • 最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 - シロクマの屑籠

    あちこちで、以下のように主張している人をほとんど定期的にみかける。 「地方には最新情報が何にもない」 「CDを買いに行っても何も無い」 「だから地方には夢がない」 よくよく噛みしめれば、面白い話である。これは、働く場所が無いがために“地方に夢がない”と言っている人達とは、話のニュアンスがかなり違う。こういう人達は“地方には夢が無い”と言いつつも、ほとんど無意識のうちに以下のように言っているようなものである。 「首都圏には最新情報があって」 「オシャレなCDを売っていて」 「だから首都圏には夢がある」 最新情報に囲まれてオシャレなCDを購入していなければ、夢って、みれないものなんだろうか?? 首都圏で、優越感や疾走感に包まれないと干からびちゃう人達 世の中には、東京に出て、最新の情報をガブ呑みして、オシャレな音楽にうっとりしなければ夢が急速に萎んでしまう人もいれば、人口5万人ぐらいの街のJA

    最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 - シロクマの屑籠
  • 中二病っぽい自己顕示と、インターネット今昔 - シロクマの屑籠

    中二病っぽい、幼稚な万能感をいくらでも誇示できる空間としてのインターネット。 こういう雰囲気がインターネットの世界から失われて、既に久しい。 1990年代〜2002年ぐらいまでのインターネット----つまりblogやSNSが普及する以前のインターネット----には、中二病的なメンタリティを顕わにした“ホームページ”や、自己顕示の権化のようなBBS(掲示板)を、かなりの頻度でみかけることができたし、そのような、宝石箱をひっくり返したような自意識を、長期間観測しつづける機会も沢山あった。おそらく日常生活のなかでは抑圧されているのであろう、溢れるような万能感を隠すこともなく、PCのスペック自慢やら、自作ポエム自慢やら、ありとあらゆるものを披瀝してやまない愛するべき“ホームページ”達。当時、インターネットを始めて間もなかった頃の私は、“インターネットっていうのは、万能感をぶちまけても怒られにくい場

    中二病っぽい自己顕示と、インターネット今昔 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2009/05/16
    "当時のインターネット空間の未整備っぷりがバリアーとなる形で、ある種の棲み分け(ゾーニング)を成立させていたような気がする。"
  • “勇気信者”と“反勇気信者”というコインの裏表 - シロクマの屑籠

    「要は、勇気が無いんでしょ?」という説教。 この説教への反発としての「勇気が無いから俺はダメ」という絶望。 もう殆ど確認作業になるんだけど、両者はコインの裏表で、同族嫌悪的な関係にある。 「要は、勇気が無いんでしょ?」と説教たれる人も、説教に反応して「勇気が無いから俺はダメだ」と苛立つ人も、実は“勇気の効能”を魔術的に信じているという点では大差がない。一方は、勇気があればサクセスストーリーが待っていると囁き、もう一方は、勇気が無いから俺にはサクセスストーリーなんて有り得ないと嘆いているが、どちらの側も、“勇気”こそが人生の可否を握るマスターキーであると認識している、という点では価値観を共有した同胞だといえる。 この構図は、ちょっと昔にネットで流行っていた、非モテ云々を巡る議論にそっくりだ。あの頃、“恋愛しなきゃ駄目だよ”と説教する側だけでなく、“恋愛できない我が身の不幸”と嘆く側のほうも、

    “勇気信者”と“反勇気信者”というコインの裏表 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2009/04/07
    "“勇気の効能”を魔術的に信じているという点では大差がない。"
  • 低血糖を呈している人の経験談を、そのまま鵜呑みにしていいの? - シロクマの屑籠

    20年来のつらさがほぼ消えたことについて 今の日人は、過去にはあり得なかったほど多量の炭水化物に囲まれて生活している。それが糖代謝に大きな負荷をかけているという理解は、おそらく正しいのだろう。だから殆どの現代人にとって、短期間に大量の炭水化物を摂取しすぎないように事を工夫するのは悪いことではないとも思う。 否定的なタイトルをつけたけど、実は私自身の生活も、リンク先で書かれている事の内容にかなり近い*1。まあ、マクロビオティクスとかいう言葉とは縁が無く、炭水化物の摂取源としてパスタを重視している点が違うけれど。 しかし、リンク先の記事をライフハックとして鵜呑みにする前に、ちょっと立ち止まって考えて貰いたい部分があるので、三つほど突っ込みを入れてみようと思う。 1.かなりの低血糖を呈する人の体験談だという点 身体のホメオスタシスを保つうえで血糖値はきわめて重要なファクターなので、正常な

    低血糖を呈している人の経験談を、そのまま鵜呑みにしていいの? - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2009/04/02
  • 人生行路を、切符や地図だけ見つめて旅する人達 - シロクマの屑籠

    人生は、しばしば旅に喩えられる。 人生行路の行方は、誰も知らない。“ある程度まで見当がつく”ことはあるにせよ、どんな風景、どんな出会いが待っているのかをすべて予測することは困難だ。 にも関わらず、この人生という名の長い旅を、「俺の行き先はここだから」と割り切り、手元の切符や地図だけを見つめて旅する人達がいる。自分が手にしている切符を凝視し続けたり、手元の地図を広げて眺め続けることで、あたかも自分の人生の旅が切符と地図だけで完結させてしまっているような、そういう人生行路に終始している人達がいる。そして、切符や地図を凝視したまま、「オレの人生は不幸だ」とか「オレは人生勝ち組」とか、益体もないことを呟いていたりもするわけだ。 でも、それって、グーグルアースでロサンゼルスをみてロスを知ったつもりになったり、旅行パンフだけみて「東北地方って遠いんだぜ」と語ったり、高尾山行きの切符をみて「高尾山なんて

    人生行路を、切符や地図だけ見つめて旅する人達 - シロクマの屑籠
  • 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠

    21世紀が始まった頃、個性がやたらと礼賛された時期があった。 『ゆとり教育』。 『ナンバーワンよりオンリーワン』。 『自分らしさ』。 『世界にひとつだけの花』。 【個性的であること=かけがえのないこと】という夢いっぱいの観念を、老若男女を問わず、誰もが礼賛するような空気が、日じゅうに蔓延していた時期を、あなたも覚えている筈だ。 個性を礼賛した結果がこれだよ! その結果、何が起こったのか? 個性を礼賛し、個性を追求し、“自分らしさ”へと突き進んだ青少年の大半は、個性を賞賛されることもないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている。自分の個性が生かせない仕事はしたくない・働いたら負けだと思っている・自分の個性を大事にしてくれない社会が悪い・自分の才能を見抜けない上司が悪いetc…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで“当の自分”

    『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2009/02/27
  • 弾幕とシューティング史----弾幕以前、弾幕以後 - シロクマの屑籠

    シューティングゲーム=弾幕回避?? 最近は、インターネット上に『東方』や『怒首領蜂大復活』の弾幕動画がたくさん公開されていたりするので、シューティングゲームを遊んでいない人でも、弾幕シューティングのことを知っている人が増えていると思う。そういった人達の場合、「シューティング=弾幕避け」というイメージが強いのではないだろうか。 では、一体いつからシューティングゲームは“弾幕を掻い潜る”遊びになったのか?いつから弾幕に特化してきたのか?もともとシューティングゲームは「撃って避ける」ゲームだったわけで、そういう意味では、『スペースインベーダー』『スターフォース』の頃から、「撃つ」だけでなく「避ける」ゲームではあった。しかし、膨大な敵弾を掻い潜ることを快感のメインに据えたゲームというのは、果たしてどれだけあったか。昔のシューティングゲームでも弾幕を掻い潜っていたのか?その辺りについて、ちょっとまと

    弾幕とシューティング史----弾幕以前、弾幕以後 - シロクマの屑籠
  • 日本人と「自分自身の内側の価値」について - シロクマの屑籠

    生まれそこなった新世代としてのオタク|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記 およそオタクに限った話ではなく、日人の大半は、「自分自信の内側の価値」なるものをあまり内在化させず、自信や価値やアイデンティティを外部にアウトソーシングしながら生きているような気がする。「自分が自分であることを確認できる何か」「自分に価値があると思えてくるような何か」を他者や物品やコミュニティに仮託することで、それで何とか自分自身の心の均衡を維持している。 なにも最近の日だけの話ではなく、かつて、[企業とモーレツ社員][地域共同体と村人]といった組み合わせのなかでも自然に行われてきたことと回想して、ほぼ差し支えないのだろう。日人は、近代的な西洋人(のステロタイプ)とは異なり、「自分自身の内側の価値」を凝集しなくとも、コミュニティや組織全体と半ば融合した形で、外側の価値を共有しながら生き

    日本人と「自分自身の内側の価値」について - シロクマの屑籠
  • 過剰なネット承認欲求と、神経の磨耗について - シロクマの屑籠

    ネット上の人間はなぜ、pixivに絵をアップするのか?どうしてtwitterblogにあれこれ書くか?その動機のかなりの部分が、“他人からのまなざしに触れたい”“他人に認めて貰いたい”“認めて貰いたい”といった欲求に占められていることは、既に多くの人が気づいていることと思う。ポジショントークの必要なプロフェッショナルはともかく、アマチュアユーザーが何かに言及し、なにがしかのコンテンツを創りあげアップロードする駆動力の源は、いわゆる承認欲求による部分が大きい。 私は、承認欲求を抱いていること自体は人間として自然なことだと思うし、それがコンテンツのかたちで昇華されることも喜ばしいと思っているけれども、この手の承認欲求を追い求めすぎるあまり、神経をすり減らすような状況は好ましくないとも感じる。しかし、インターネットサービスの殆どは、この承認欲求の欲求を焚き付けたり、限界まで搾り取るには適してい

    過剰なネット承認欲求と、神経の磨耗について - シロクマの屑籠
  • 愚かさとインターネット----情報へのアクセシビリティは“愚者”に何をもたらすか - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/RPM/20081026/1224958362 いまや、“愚者”を世界から守る壁は存在しない。 情報機器とインターネットの発達や、都市化・都会化したライフスタイルは、“愚者”が世界に直接アクセスする機会を増大させる。愚かな行動が可視化されるだけでなく、愚かさをオープンに発揮する機会そのものも、おそらく増大してしまう。 かつて、“愚者”は世界に直接曝されることは無かった。テレビやラジオや新聞広告といった情報に右往左往することはあったし、それらがもとで馬鹿をみることも無くは無かったが、大きなメディアから与えられる情報にはある程度のフィルタリングと、品質の保証が期待できた。少なくとも、“嘘を嘘と見抜けない人には難しい”というほどではなかった。また当時は、メディアを通して何かを発信する機会も、メディアに向かって行動する機会も少なかったので、“愚者”の側が

    愚かさとインターネット----情報へのアクセシビリティは“愚者”に何をもたらすか - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/10/27
    実社会の縮図。可視性の高さ。流動性はどうかというと、見えるなら変われるという希望もあり、他方では愚行も加速する。
  • 結婚・恋愛と“適度な失望や摩擦を含んだ親密さ” - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20081020/1224497705 色々と考えさせられる対談記事だった。 そのなかで特に私が気になったのは、 1.男性の側も女性の側も、自分自身の劣等感を糊塗すること・コンプレックスを防衛することに汲々とした形でしか恋愛にコミット出来ないということ 2.そのくせ異性に対しては自分にとって都合の良すぎる期待を抱いている傾向が強い 3.確率論や期待値で恋愛へのコミットを決めてしまいすぎるということ 以上三点だ。この三点は、男女を問わず、昨今の壮青年に強く感じられるメンタリティじゃないかと思う。 自分自身の劣等感やコンプレックスを超克しろとまではいかなくても、上記三つのメンタリティを自覚のうえで折り合いをつけるためのメソッドや、異性に対する期待水準に折り合いをつけていく為のメソッドは、対談記事をみる限り、あまり出てこなかった

    結婚・恋愛と“適度な失望や摩擦を含んだ親密さ” - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/10/21
    「摩擦や齟齬を含んだ親密さの構築」
  • 承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠

    最近、「承認欲求」関連の記事を立て続けに見かけたので、保存がてら、まとめてコメントしてみようと思う。百家争鳴の観だが、多くの記事に共通しているのは「時代の変化」「承認欲求的な何かを体感することの、現代的困難さ」だったとは思う。そのうえで、見通しや対策について色々な人が意見交換している、という風にみえた。 なお、このまとめ記事では、混乱をできるだけ避けるために、A.マズローの欲求段階説にある用語「承認欲求」「所属欲求」「自己実現欲求」に統一したニュアンスで書いていくこととする。以下のリンク先の文章は「承認」「承認欲求」がそれぞれで微妙に違っているような気がするが、この記事クリップ上では、一律にマズローの欲求の階層を念頭に置いたうえで言及してみる。 Thirのノート 今回のやりとりのスタート地点、とおぼしき記事。この記事では、まず「承認」の定義づけから入っているが、内容から察するに、マズローで

    承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/06/30
    "承認欲求や所属欲求ってやつも、それが十分に提供されているうちは、ありがたみが分からにくい"
  • 音楽趣味やオタク趣味が未熟なんじゃなくて、貴方が未熟なんじゃないんですか? - シロクマの屑籠

    2008-06-15 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 リンク先の文章には、基的に同意できない。 id:republic1963さんいわく、多くの音楽ゲーム・コミックは「大人のコンテンツ扱いしてもらえない」。だから「そんなことしてないで、お前も大人になれ」と周りの大人に迫られてしまう、のだという。 それは当なんですか? 私の周りでは、還暦を迎えてもミリタリー趣味に夢中の人や、ピコピコ音楽が大好きな人を案外見かけたりします。『ガンダム』や『信長の野望』の話になると目を輝かせる四十近くのおっさんだっている。そんな彼らが「大人になれ」と言われているかと言ったら、全然そんな事はなくて、高い社会見識を持ち、職場の色々な人に信頼もされている。ピコピコ音楽大好きの人などは、歳も歳だというのに、Perfumeもかなり前から聴いていたようです。自分の文化クラスタを大切

    音楽趣味やオタク趣味が未熟なんじゃなくて、貴方が未熟なんじゃないんですか? - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/06/15
    節度を持てという話。
  • 5/24北極ネトラジの要約 - シロクマの屑籠

    以下に、先日5/24の北極ネトラジ04:[エヴァンゲリオンを通して視る、オタクと萌えとコミュニケーション] のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容の大筋と、質疑応答の要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。 【前半】EOEを退けたオタク達が至ったメディアの地平----補完無きセカイに適応するための処世術 個人的には、1995〜97年エヴァで庵野監督送ったメッセージは、「痛みや齟齬を含んだ他者と向き合え」だったと思う。シンジがアスカと共に共に地上に再び降り立ったというのは、主人公に、痛みを伴った他者と生きる道を選ばせた、ということ。シンジは自己否定されるぐらいなら、首を絞めてコミュニケーションを回避するぐらいチキン。再生したアスカもアスカで、再生するや「気持ち悪い」。彼らの態度はかなりひどいものだが、他者の色々な側面を今までずっと否定したり回避したりしてごまかし

    5/24北極ネトラジの要約 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/06/01
    他者の凹凸からの逃走、キャラクターの消費/自分には理解できない相手には、自分の願望と想像力で相手を決めつけ、消費する/継続的に、互いを認めあう、理想を強く追求しない、互いの色々な面がみえる関係
  • 非モテ・非コミュ方面をまとめる為の備忘メモ - シロクマの屑籠

    そろそろ、自分なりに非モテ・非コミュ問題の結論をまとめたいと思っているので、重要と思われる文章を備忘的に集めて置いておくことにする。 非モテ・非コミュの幼少期に関連した文章 http://d.hatena.ne.jp/Agguy0c/20071031/1193805381 ・Agguy0cさんの、生まれ育ちについての独白。両親との関係について綴ったうえで、自分自身のなかに生まれた不安感と空白について言及している。両親との関係と、Agguy0cさんの現在までの非コミュ的メンタリティには、多かれ少なかれの因果関係があると推定される*1。そして、親の世代のメンタリティが子の世代であるAgguy0cさんに世襲しているかのように読める部分もある。「他人と親密な関係を結ぶ事がもし出来ないとしても、せめてこの連鎖を断ち切りたい」という悲壮な表明で、このエントリは締めくくられている。 http://d.h

    非モテ・非コミュ方面をまとめる為の備忘メモ - シロクマの屑籠
  • 読解・対話を通して見えてくる、相手のコミュニケーション可能性(駄目だこりゃ、というのも含めて) - シロクマの屑籠

    どうすればブクマコメントを気にしないでいられるか - novtan別館 id:NOV1975さんが、含蓄深い文章を書いていました。自分自身の脆さや弱さ・相手の凄さや醜さが、一方向的な受信だけでなく、双方向的なやりとりを通して浮き彫りになってくるというのは全くその通りと思いました。相手の発言や文章の一つ一つを吟味したり、双方向的なやりとりを通して、私達はお互いの対話可能性・コミュニケーション可能性も*1吟味しあっているように思います。それも、絶え間なく。 ただ、ともすれば、人は対話やコミュニケーションというものを誤解しがちです。対話というと、「お互いの距離を近づける」「理解しあう」「相手の良い部分に気づく」などとばかり連想する人もありますが、実際のコミュニケーションは、その正反対の効果をも含んでいます。コミュニケーションを万能お姉さんの如く空想している人をみると、僕は無残だなぁと思うほうです

    読解・対話を通して見えてくる、相手のコミュニケーション可能性(駄目だこりゃ、というのも含めて) - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/04/11
    ウェブ上でオープンに行われるそれはまた面白い
  • 過去と若さは金銭で贖えない、という前提を踏まえて - シロクマの屑籠

    404 Blog Not Found:旧世代より新世代の方がいいと思えるただ一つの理由 様々な事物の流動性の拡大、そして金銭にあらゆる事物が兌換可能になったことに伴い、個々人の選択肢は増大の一途を辿っている。dankogaiさんの表現を借りるなら、“選択肢のインフレーション”を引き起こしている。という。なるほど、金銭によって贖うことの出来る選択肢が増大していることは事実に違いない。これから何を選ぶのか・これから何を手に取るのかに関する限りは選択肢は数限りなく増大していて、未来へと広く開かれているかのようだ。 しかし、増大している選択肢とは言っても、それはあくまで現在〜未来に関しての話で、現在の要因となっている過去を改変させる力は金銭には無い。過去に由来する幾つかのファクターを金銭でどうにかすることは出来ないし、その過去に由来するファクターによって現在〜未来の選択可能性が左右される限りにおい

    過去と若さは金銭で贖えない、という前提を踏まえて - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/03/25
  • 例えば宝くじで三億円当たれば、それで幸せな選択肢を選べるのか - シロクマの屑籠

    過去と若さは金銭で贖えない、という前提を踏まえて - シロクマの屑籠 上記リンク先の文章を打ちながら、“金銭では贖えない過去からの諸々”について色々と考えていた。世の中には多分、金銭を手に入れればそれでどうにかなる人と、金銭以外の体験なり蓄積なりのほうが必要な人があるのだろう。例えば宝くじで三億円あたった時、それで未来を上手に買い切ることの出来る人というのは、どれぐらいいるだろうか。 三億円当たっても、競馬とパチンコにつぎ込むしか能がない人がいるかもしれない。 定期預金する以外の選択肢を思いつかない人がいるかもしれない。 分散投資という概念を知ってはいても、不安が強くて、相場が動くたびに動揺売りを繰り返す人だってあるかもしれない。 こうした人達に、三億円ポンと渡しても、多分、未来は開けない。生活保護費を三日でパチンコですってしまうような人に、金銭的援助だけを続けていても、湯水のように無くな

    例えば宝くじで三億円当たれば、それで幸せな選択肢を選べるのか - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/03/25
  • つまんないのは「現実」?「夢・理想」?それとも「僕」? - シロクマの屑籠

    「現実はつまんないよね!」「みんなもそう思うだろ?現実なんて、つまんねえよね!」 体調を崩して暫く寝込んでいた。熱にうなされたなか、とあるネットラジオで誰かが叫んでいた、「現実はつまんないよね!」という台詞が頭から離れず、とりとめの無いことを繰り返し考えていた。 現実は、つまらない、という。現実じゃないモノのほうが面白くて、ドキドキできるということなんだろうか。現実よりも面白いモノがあるとしたら----例えばそれは、アニメや映画のようなフィクションかもしれないし、直には会うことの無い人との、インターネット上のコミュニケーションのことかもしれない。逆に考えると、ネットラジオでつまらないと言い放たれていたところの「現実」というのは、一体どこにあるんだろうか?「現実」と言って僕が連想したのは、例えば厳しい雇用情勢とか、いっこうに増額しない預金通帳とか、ややこしい恋愛市場とか、その辺りの諸々だった

    つまんないのは「現実」?「夢・理想」?それとも「僕」? - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/03/13
  • ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠

    ニコニコ動画やYouTubeを通して、ゲームリプレイを気軽にみることが出来る時代になった。Civilization4や信長のようなゲームから、改造スーパーマリオのプレイレポートまで、様々なゲームを自分でコントローラを握ることなく眺めることが出来る。気楽といえば気楽なことで、自分で神経を使わなくても、判断をしなくても、ゲームは勝手に進行していく。存外、つまらないと感じることは無い。アルコールを呑みながらでも楽しむことが出来る。 ただ、日常的にゲームを遊ぶ身としては、やっぱりこうやって離れた位置から眺めて喜んでいるだけというのは、娯楽を楽しんでいるとは言えてもゲームを楽しんでいるとは言えないな、とは感じる。やっぱりコントローラ握って*1、己の判断力なり経験蓄積なり動体視力なりを試すのがゲームなのであって、ただ観察に徹しているだけのゲーム視聴には、ゲームを手ずから遊んだという感覚が伴っていない。

    ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠
    n-e
    n-e 2008/02/27
    楽器を演奏する/見る・聞く ゲームを遊ぶ/見る 楽器は後者が主体で、聞く人のためのもの ゲームは前者が主体で、遊ぶ人のためのもの 最近になってかどうかはわからないけど、楽しまれ方が増えているのかも