『タイポグラフィ学会誌04』所収 片塩二朗「弘道軒清朝活字の製造法とその盛衰」の冒頭に、若き日の片塩氏が猪塚良太郎氏の仕事場を訪ね、清朝活字について教えられるという挿話がある。「25年前に廃業」とあるし、素直に読めば、1970年頃の思い出話と読める。論文の書き出しからエッセイというのも不思議だが、その下にある註では、猪塚良太郎氏について「詳細不詳」となっている。「数度にわたって訪問した」相手を「詳細不詳」というのもこれまた不思議なことだ。 この「エッセイ」で、片塩氏は何を言おうというのか。どうやら弘道軒の活字が、戦後も「役所」(外務省か宮内庁)で使われ、そのことは一般には知られていない、清朝活字にはそのような謎があるというらしい。 にわかに信じがたい話だが、この話の裏はとれるのか。まず、猪塚良太郎という人について調べてみた。 Googleで検索してみると、 大日本スクリーンのサイトの「描き