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評論に関するn-yujiのブックマーク (39)

  • オタクの電脳ブログ

    2020年9月30日をもってオタクの電脳ブログはサービス終了いたしました。 長らくの御愛好誠にありがとうございました。

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    n-yuji
    n-yuji 2011/07/27
    惜しいところのある作品ではあった。
  • 新連載「美少女ゲームの哲学」第一章 恋愛というシステム【1】 - WEBスナイパー

    Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game 第一章 恋愛というシステム【1】 様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。 †美少女ゲームという「風景」 美少女ゲームについて、もう一度考えてみようと思う。 「もう一度」。こういう問いは、一定の蓄積=歴史を持つあらゆるジャンルにおいて、しばしば繰り返されるものである。実際、つい最近――と言っても僕に

  • 『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論 - ENDING ENDLESS 雑記帖

    『ゼロ年代の論点』の終章に関しては、現行ヴァージョンとは違う内容を当初(=昨年末)には計画していた。東浩紀編集長の雑誌『思想地図β』のファンクラブ的位置づけである「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に連載されている宇野常寛の小説「AZM48」についての考察を入れようとしていたのだ。実際、メモもとっていたし、プラン通りに書いていたら、400字詰め20枚くらいになったかもしれない。 「AZM48」は「AZM」が「あずま」を含意しているように、東−宇野周辺の実在する若手批評家たちが変名で大勢登場し「男−男」の絡みが語られるやおい的なパロディになっている。若手批評家たちがつるみ、居酒屋での盛り上がりなどをツイートしたりしている状態は、ホモソーシャル性が批判されもする。それを受けて逆に自らホモセクシュアルを演じてみせる批評的なパフォーマンスだ――そんな理由づけが「AZM48」には、とりあえ

  • speculativejapan » 『蟹工船』の次は、トマス・ディッシュの『334』を読もう。

    Using Science Fiction As a Lens on Today’s Events Science fiction is a genre of literature, film and television that combines elements of fantasy with future technology. It is often considered a subculture of its own. The first science fiction magazine was Amazing Stories, founded in 1926 by Hugo Gernsback. It was the precursor of a number of other digest magazines in formats ranging from bedsheet

  • SPECULA第三回まとめ補足、映画「涼宮ハルヒの消失」における京アニの悪意について

    MAEJIMA Satoshi @MAEZIMAS SPECULAまとめについて、ちょいと補足というか、自分でもメモしておきたいことなので『涼宮ハルヒの消失』について。 2010-07-18 17:25:51 MAEJIMA Satoshi @MAEZIMAS なんというか、あれはとても哀しい映画だと思う。全体的にあまりにもの哀しい音楽が流れすぎていて、久しぶりにハルヒたちと再開しても、SOS団が騒いでいても、なんというかすべてはもう決定的に終わってしまっていて、もうここには戻れないのだ、という思いばかりが湧いてくる映画だった……。 2010-07-18 17:27:45 MAEJIMA Satoshi @MAEZIMAS ただ、この映画はある、メタ的な演出で明らかに原作とは異なった――それこそ真逆とも言えるメッセージを描き出している。原作『消失』は、つまるところ、嫌なのに、面倒くさいのに

    SPECULA第三回まとめ補足、映画「涼宮ハルヒの消失」における京アニの悪意について
  • うちのマンションの隣のベランダで女子高生がセッ○スしてる 無題のドキュメント 旧館

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/03/06(土) 23:17:25.07 ID:5qgHZUVl0 そんなことより、これ、磨けばかなり美人になると思いませんか。 すごく良い素材な気がしてならないのです。 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/03/06(土) 23:20:27.99 ID:5qgHZUVl0 ロリ顔+巨乳の破壊力は語られ尽くされた感が否めませんが 語られつくされたからこそ、何かを超越してしまったかのような神々しさが 生まれるのではないでしょうか。 たとえばこの画像をご覧ください。 ボブという、最近頭角を現してきた女子の定番スタイル がさらにエロさをかき立てています。 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/03/06(土) 23:24:11.98 ID:5qgHZUVl0 「強制上

    n-yuji
    n-yuji 2010/03/24
    釣られて良しとする。タイトル変更は無用。
  • 『思想地図』東浩紀×宇野常寛トークショー | CINRA

    2008年4月、思想誌『思想地図』がNHKブックスから創刊された。批評家の東浩紀と社会学者の北田暁大が編集を務める同誌は、3月刊行の5号をもって一度幕を閉じる。来年秋には東浩紀、宇野常寛、濱野智史ら5名の批評家陣による合同会社コンテクチュアズを版元に第2期の刊行を始める予定だ。彼らはゼロ年代をどう捉え、来たる10年代に備えているのか? ゼロ年代が終わりを告げようとしている2009年12月26日、11月に刊行された第4号「特集・想像力」をめぐり、東浩紀と宇野常寛によるトークショーが青山ブックセンター店にて行われた。その模様をレポートする。 自分たちの好きなものに、普遍的なテーマを見出した(宇野) 東:突然だけど、どうだった? 『思想地図』4号を編集してみて。 宇野:大変だったけど、非常にいいになってよかったです。東さんから「4号の編集を手伝ってくれない?」と言われたとき、まず「3号に負け

    『思想地図』東浩紀×宇野常寛トークショー | CINRA
  • 『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀 | 新潮社

    『クォンタム・ファミリーズ』(以下『QF』と略記)は、量子(クォンタム)コンピュータのネットワークによって相互干渉する並行世界を舞台に、出会うはずのない「家族」が時空を超えてリンクされる歴史改変SFである。グレッグ・イーガンやP・K・ディック、瀬名秀明や麻枝准らの先行作品と、ジャック・デリダの脱構築哲学を同時に視野に収めながら、作者自身とその家族を投影した作中人物(東浩紀は作家のほしおさなえと結婚し、娘がひとりいる)が離合集散する、思弁的でプライベートな色合いの濃い小説になっている。 作中で示唆されているように、『QF』は村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に宛てた、二一世紀からの返信でもある。春樹作品はディック(世界の終り)とレイモンド・チャンドラー(ハードボイルド・ワンダーランド)のハイブリッド小説だが、書の中にチャンドラーの占める席はない。その空隙を埋めるのは、一

    『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀 | 新潮社
    n-yuji
    n-yuji 2010/01/15
    またロスマク?と思ったら、話がつながっててすげえ。
  • 『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    『シムーン』BD化交渉支援のつもりで書き始めたエントリだけれど、結局間に合いませんでした。なので、せめて翠玉の日に。しかも9月第四月曜深夜と言う緩さで。深夜? 要はかのオタ軽10のもっとヒドいような奴です。 『エヴァ』放映終了後の96年4月から『ヱヴァ序』公開開始の07年9月、ということは実質07年7月クール放映開始までの期間の、これを外す奴とは親しく付き合えないという作品を十選んでみました。基準は、『エヴァ』以降の問題意識をどれだけ引き受けているかと、『ヱヴァ』への道均しをどれだけ終えているか。 なんというか、客観性なんぞはあるわけはないのですが、少なくとも俺はこういうことを考えながらこの15年、アニメを見てきたのです。 笑えばいいと思うよ。 機動戦艦ナデシコ(1996年) 『エヴァ』以降の流行りモノ、と思われているものは、大体は『ナデシコ』が準備していた、というのは、これはアニメ史的

    『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性

    今回筆者が編集部から依頼されたテーマは、「きたるべき秩序とはなにか」というものだ。その論考に入る前に、自己紹介もかねて、稿を執筆するに至った背景や経緯について簡単に記しておきたい。 昨年から筆者は、さまざまな場所でウェブ上の新しい「秩序」に関する論考を発表する機会に恵まれてきたが★1、そこでキーワードにしてきたのが「生態系」や「生成力」といったある種の生命論的・生態学的なメタファーであった。インターネットの大衆的普及からはや10年以上が経過したが、そこでは種々さまざまなコミュニティやそれを支えるアーキテクチャ(人工構造物)が日々発生・成長・淘汰を繰り返しており、その全容を見渡すことは極めて難しくなっている。筆者はまずその現象に切り込むための解読格子として、「生態系」をはじめとする生命論的なメタファーを採用したのである。 ■ しかし、ただちに注釈しておかねばならないのは、こうした生命系のメ

    自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
  • ロッキング・オン的批評に関するメモ書き。 - 想像力はベッドルームと路上から

    まあもうちょっとまじめに説明すると、ロキノンはアーティストからトラウマだの苦悩だのそういった言葉をそういったものを無理矢理引き出してそういう性格付けのインタビューを掲載することで、雑誌は人気を得る、読者はアーティストのことを何か深く知った気になれるというものなので。それをロキノン文化圏外に持ち出してあーだこーだと語るのはぜんぜん意味がないってかんじですよ。 ただ、ある文化圏内だけで盛り上がるものをその文化圏外に持ち出してあーだこーだいうのは、ネットが普及してきて以来普通の出来事になってきてるからなあ。それは弊害のほうが多いようにしかおれには思えないけども。 http://d.hatena.ne.jp/strange/20090621#p3 Perfume周辺に多大な混乱を巻き起こした件に関する、strangeさんのこのエントリへの勝手な補足と個人的なメモとして。 まず、ロキノン派生媒体(?

    ロッキング・オン的批評に関するメモ書き。 - 想像力はベッドルームと路上から
  • 批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖

    asahi.Com http://www.asahi.com/obituaries/update/0527/TKY200905270111.html 訃報を知り、驚いている。 第9回格ミステリ大賞の受賞者記者会見で、私は話した。江戸川乱歩のような過去の作品は子どもの頃から読んでいたが、同時代に生み出されたミステリを読んだのは栗薫『ぼくらの時代』が初めてだった、と。同じく、同時代の文芸評論で読んだ最初の一冊は、中島梓『文学の輪郭』だった、と。今思えば、文芸・音楽評論家と称する円堂都司昭のジャンル横断体質は、初期の中島梓/栗薫から受けた影響が大きい。 しかし、結局、人にお会いすることのないままだった。 ご冥福をお祈りします。 『「謎」の解像度』のコンセプトからはズレていたため収録しなかったが、自分は過去に約60枚の中島梓/栗薫論を書いたことがある。 http://noririn414

    批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖
  • クラシック音楽理論的にアニソンを語るスレ:アルファルファモザイク

    クラシック音楽理論、即ち和声・対位法的にアニソン等を語るスレです。 初心者の方も歓迎ですが、ある程度知識があるとより楽しめると思います。 教育現場でも使われる『楽典』『和声』『対位法』(音楽之友社)あたりが 参考になるでしょう。もちろん、ここでの質問もある程度おkです。 まったり楽しく語っていきましょう。 という事で、あんまり堅苦しいのもアレなんで、口調変えて最初の話題。 ト長調←→ロ長調の鮮やかな転調が耳に残るストライクウィッチーズOP 『STRIKE WITCHES〜わたしにできること〜』なんてどうかな?

  • 表現のリポジトリ - 仮想算術の世界

    最近は『ユリイカ』の連載に使えるかなと思って、柄谷行人『隠喩としての建築』を読み直していました。まぁ古いなんですが、いまふうに言えば「ソシオフィジックス」の走りみたいな論文が収められていて、いろいろ考えさせられます。 たとえば、このには、クリストファー・アレグザンダーの「ツリー」と「セミ・ラティス」の区別が採用されていますが、これはいまふうに言えば、新聞やテレビに代表される垂直統合型のマスメディア=ツリー構造に対して、さまざまな素材を横断的に組み合わせながら随時異なる集合を組み立てていくニコニコ動画=セミ・ラティス構造の区別にも対応させることができる。つまり、一方の要素が他方の要素を完全に包摂してしまうのではなく(ツリー構造)、むしろある要素と別の要素の組み合わせが部分的に「オーヴァーラップ」し、かつそのアナログな重なり合いが無数の要素間で形成される(セミ・ラティス構造)、そういう多

  • 批評について - hazumaのブログ

    ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定

    批評について - hazumaのブログ
    n-yuji
    n-yuji 2009/03/25
    批評をベタに作品として読むこと。
  • 押井守演出舞台『鉄人28号』感想。 -パトレイバーより前にあった戦後史としての『鉄人28号』 - 十三乙女漂流記 蠅の女王

    演出した押井守監督のインタビュー:http://www.business-i.jp/news/culture-page/news/200901100019a.nwc Wikipedia「鉄人28号」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7 先月、とあるアート系イベントにて、研究科課程で演劇を研究テーマにしている留学生の方と会い、この舞台を観に行く話をしたら「じゃあ感想書いて送ってよ!」という約束になった。今日は久しぶりにレビューをアップする事に。 先に、作品の紹介。 【物語概要】 鉄人28号には実は、兵器タイプには不要の特殊仕様が施されていた… ――巨大セクサロイド。 というのはウソで、 梅田芸術劇場のサイトより(http://www.umegei.com/s2009/tetsujin28.html) 太平洋戦争

    押井守演出舞台『鉄人28号』感想。 -パトレイバーより前にあった戦後史としての『鉄人28号』 - 十三乙女漂流記 蠅の女王
  • 批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ

    とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公でにするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい

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  • 無知と傲慢とエリーティズムはいかにして生まれたか~続・水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    無知と傲慢とエリーティズムはいかにして生まれたか~続・水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
    n-yuji
    n-yuji 2008/11/13
    引用の引用だけど、>>「だが、あまりにみなが読んでいるからというので、ふだんから本を読む大人も、ついついつられ買いすることもある。」もうなんと言うか……。
  • 水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea