大阪府大阪市出身[1]。医師の東藤九郎の長男[3]。 天王寺中学校[4]、一高を経て、東京帝国大学医学部卒業後、ロンドン大学に留学し、物理化学・生理学を専攻。帰国後、東京帝大助教授を経て1934年に教授に昇進。戦時中は海軍司政長官・南西方面海軍民政府衛生局長・結核予防会理事を歴任した。 戦後は厚生省医務局長等を経て茨城大学長に。1959年、自由民主党の推薦で東京都知事に立候補し、日本社会党等が推した有田八郎らを破って当選。以後1967年まで2期8年都知事を務めた[5]。東京都知事退任後1967年から1969年まで東邦大学の学長を務めた。1983年5月26日、肺炎のため、死去した[6]。90歳没。墓所は多磨霊園。 1926年、東京帝国大学より医学博士。博士論文は「筋の短縮及伸展に現はる丶熱力学的現象(英文)」[7]。 1960年頃 大学在学中はボート競技の選手として活躍し[8]、その後も日本