タグ

japan-russia-disputesとterritorial-disputeに関するnabinnoのブックマーク (5)

  • <安倍元首相単独インタビュー>北方領土「2島返還軸」への転換認める 「100点狙って0点なら意味ない」:北海道新聞デジタル

    安倍晋三元首相は、首相在任中に取り組んだ北方領土問題を含むロシアとの平和条約交渉について、北海道新聞の単独インタビューに答えた。安倍氏は2018年11月のシンガポールでの日ロ首脳会談で、歯舞群島と色丹島の日への引き渡しを明記した日ソ共同宣言を交渉の基礎としたことについて「100点を狙って0点なら何の意味もない。到達点に至れる可能性があるものを投げかける必要があった」と述べ、北方四島の返還ではなく、2島返還を軸とした交渉に転換したことを事実上認めた。「路線を考え直せば日ロ関係は100パーセント後退する」とも述べ、岸田文雄首相に対ロ外交戦略の継承を求めた。 インタビューは17日に東京都内で行った。安倍氏とロシアのプーチン大統領はシンガポールでの首脳会談で、1956年の同宣言を基礎に交渉を加速することで合意した。安倍氏が四島返還からの転換を認め、意図などを具体的に語ったのは初めて。ただ、その後

    <安倍元首相単独インタビュー>北方領土「2島返還軸」への転換認める 「100点狙って0点なら意味ない」:北海道新聞デジタル
  • 樺太 - Wikipedia

    樺太(からふと)またはサハリン(ロシア語: Сахалин)は、ユーラシア東方、オホーツク海の南西部にある島。広義の日列島に含まれる。南北約948km、東西約160kmで南北に細長く、面積は72,492km2で、北海道(78,073km2)よりやや小さい。樺太島(からふととう)、サハリン島(サハリンとう)ともいう。日が実効支配していた頃は樺太という名称以外ではサガレンが一般的に用いられていた。 樺太は、北部と南部でそれぞれ異なる沿革を経たため、ここでは北緯50度線以北を「北樺太」(または「北サハリン」)、以南を「南樺太」と表記する。 概要[編集] 近世以前、樺太にはアイヌ、ウィルタ、ニヴフなどの先住民が居住しており、主権国家の支配は及んでいなかった。 近代以降、樺太の南に隣接する日と、北西に隣接するロシアとが競って樺太への領土拡張を求めて植民を進め、多くの日人とロシア人が樺太へ移住

    樺太 - Wikipedia
  • 中国の台頭を誘発する包囲網

    2012年7月18日 田中 宇 7月15日、カンボジアのプノンペンで行われていたASEANの外相会談と地域フォーラム(ASEAN+日中韓米豪NZ印露)が、南シナ海の南沙群島をめぐる領土紛争で声明を出せないまま閉幕した。共同声明を出せないまま閉幕するのは、45年間のASEANの歴史上、初めてのことだ。フィリピンとベトナムが、南沙群島の紛争について共同声明に盛り込むよう求めたのに対し、中国が強く反対した。議長国は、中国の傘下にあるカンボジアで、中国と同じ姿勢をとって南沙問題を声明に盛り込むことを議長権限で拒否したため、声明をまとめられなかった。 今回の事態の底流にあるものは、南沙問題の交渉方法について、フィリピンやベトナムがASEANの多国間での話し合いを求めているのに対し、中国は多国間でなくASEAN外の2国間での交渉を求めている。多国間なら「東南アジア諸国vs中国」の図式になって数が多い東

  • 国後島 - Wikipedia

    国後島(くなしりとう、クナシルとう)は、北海道知床半島から見て根室海峡の東の対岸に位置する島。ロシア名および英語名はクナシル島(Остров Кунашир)、英語表記はKunashirである。ロシアによる実効支配が続く北方領土の1つであり、国際的にはロシア領として認知されている。ロシアによる統計では、2020年の人口は約1万2000人で、中心都市は 古釜布 (ユジノ・クリリスク,人口7825人)[1]。 島の名前の由来は、アイヌ語の「クンネ・シㇼ/ㇽ(kunne-sir, 黒い・島)」[2]または「キナ・シㇼ/ㇽ(kina-sir, 草の・島)」[3]からであるが、どちらが当の由来かははっきりとしていない。日語名もロシア語名も国際標記もこのアイヌ語に起源を持つ。 概要[編集] 国後島の地形図 国際宇宙ステーションから見た歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、得撫島 ルルイ岳 泊山のポント

    国後島 - Wikipedia
  • 北方領土問題 - Wikipedia

    は1951年(昭和26年)9月8日に連合国諸国との講和条約であるサンフランシスコ平和条約を締結した。同条約によって日は「千島列島」を放棄した[11]。 「千島列島」の範囲に関する解釈[編集] その「千島列島を放棄する」旨の文言について、日国政府は1951年当時、「千島列島」の範囲には国後島・択捉島が含まれると説明した [22][23][24][25]。一方で「色丹島および歯舞諸島は北海道の一部を構成する(属島である)」[25]とも説明した。 もし「千島列島」に4島が含まれる場合、日はこれらの領有権を放棄したことになる。もし含まれない場合、放棄していないことになる。 しかし、この説明は1956年2月に撤回され[26]、日国政府は「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後島と択捉島の)両島は含まれない」と述べた[27]。 以降、現在まで日政府は「北方四島は千島列島に

    北方領土問題 - Wikipedia
  • 1