知的基盤を奪われる武雄市民 ―武雄市図書館・歴史資料館問題から(2) / 記事一覧 「50年後に楽しみを得たければ木を植えよ、100年後に楽しみを得たければ人を育てよ」1970年代の始め旧武雄市3代目市長本山昌太郎と収入役石井義彦(5代目市長)は、武雄市文化施設群構想を発表した。日本最初の大砲を鋳造し日本近代化の先陣を執った武雄領主鍋島茂義侯の顕彰、その屋敷跡の再生とその周辺に歴史・文化・教育施設を配置する壮大な群計画であった。茂義侯の屋敷跡は大小ホール・集会施設・公民館・青少年ホームからなる武雄市文化会館を建設した。その後、競輪事業の売り上げ減や地方自治体財政困窮化の中で、日本を代表する武雄蘭学資料を収蔵する資料館と図書館の建築は、その文化会館の建設から遅れること24年・2000年10月、ようやくオープンに漕ぎ着けたのである。 この図書館・歴史資料館の設計は、館・会館類の設計で国内トッ