安倍さんの回顧録とやら。想像していた以上にロシアのナラティブに染まっている(ロシアの歴史をなんも分かってない)。プーチンと27回会談やって、鈴木宗男と佐藤優を指南役に迎えた背景。この程度の理解であるからプーチンと「同じ夢」を見る。 https://t.co/mHnI0UXhj5
佐藤優氏 月刊「文藝春秋」は、日本の政治エリートに無視できない影響を与えるメディアだ。今年は同誌の創刊100周年に当たるので、興味深い特集を行っている。現在発売されている2月号では「目覚めよ! 日本101の提言」という現下日本の論壇で活躍する101人の有識者による提言が掲載されている。その中で、南西諸島、すなわち沖縄の沖合に中国が核爆弾を落とす可能性について論じたものがあるので、この危険な言説について読者と情報を共有したい。 <ウクライナやポーランドがロシア相手にあそこまでやれるのは、政府の安保戦略を大多数の国民が支持し、「ロシアには屈しない」という覚悟を共有しているからに他ならない。/日本の場合、例えば台湾有事となった際に中国が南西諸島の沖合に核爆弾を一発落として、「アメリカに協力するな」と脅しつけてくることもあるかもしれない。そうなったときに「確かにリスクは伴うが、民主主義国家としてこ
「腹きり」を躊躇しない ノモンハン事件(1939年5月11日~9月16日)は、当時の満州国とモンゴルの国境地帯で起きた地域紛争だ。日本にとっては、日露戦争(1904~'05年)後、初めての本格的な近代戦争だった。 日本・満州連合軍対ソ連・モンゴル連合軍の間で展開された戦闘であったが、実質的には日本軍とソ連軍の戦いだった。この戦いで日本軍は壊滅的な打撃を受けた。 〈10日あまりの戦いで、ノモンハン事件の帰趨は決した。関東軍第二十三師団はその7割が損耗し、事実上、壊滅した。ソ連側の死傷者数は2万5000人、一方、日本側は2万人。死傷者数ではソ連の被害が甚大だが、作戦目的を達したのはソ連だった。関東軍はソ連・モンゴルの主張する国境線の外に完全に追いやられたのである。 ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍についてこう
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