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post-modernismに関するnabinnoのブックマーク (6)

  • 美術館・アート情報 artscape

    「大きな物語」とは、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール(1924-98)が『ポストモダンの条件』(1979)において提唱した言葉であり、科学がみずからの依拠する規則を正当化する際に用いる「物語、語り口narrative」のことを意味する。上記のような含意から、同書のなかでは、同じ意味として「メタ(=上位)物語métarécit」という表現が使われることもある。 リオタールによれば、従来人々は科学の正当性を担保するために「大きな物語」としての哲学を必要としてきた。ここでいう「哲学」とは、真偽や善悪を問う際の「基礎づけ」を担う知の領域を指し示している。リオタールは、このような「大きな物語」に準拠していた時代を「モダン」、そしてそれに対する不信感が蔓延した時代を「ポストモダン」と呼んでいる。つまりポストモダンとは、この基礎づけとしての「哲学」が有効性を失った、言い換えれば「大きな物語

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  • 仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point

    『ビッグイシュー(168号)』に、中島岳志氏と、 『お寺カフェ』*1、『彼岸寺』*2 の松圭介氏 の対談が掲載されている(参照)。 仏教については、虚無をめぐる考え方がずっと気になっているのだが、 父が死んだときの葬儀屋と僧侶が、あまりに耐え難い人たちだった 俗世秩序を単に肯定し、変革を否定する抑圧思想ではないかという疑念*3 などから、少なくとも現存する社会インフラとしては、「巻き込まれてはたまらない」と思っていた*4。 以下、上の記事より(強調は引用者): 中島岳志: 私は今36歳なので、20歳の時が95年なんですね。松さんは? 松圭介: 79年生まれ、31歳です。 中島: 95年にオウム真理教事件と阪神大震災があったんですが、私はポストモダンの延長上にある思想に非常に違和感を覚えていて、親鸞とか保守思想みたいなところに軸足を置いていったんです。松さんが学生だった90年代後半は

    仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point
    nabinno
    nabinno 2011/06/05
    ファッションに何かを期待してた青春時代。そして、「であるが故に」というファッションへ続く。
  • ナラティブセラピー - Wikipedia

    ナラティヴセラピー(物語療法、英語: Narrative therapy)とは、社会構成主義やポストモダンの影響を受けて練磨されつつある精神療法の一種。治療者とクライエントの対等性を旨とし、クライエントの自主性に任せて自由に記憶を語らせることによって、単なる症状の除去から人生観の転換に至るまで、幅広い改善を起こさせることを目的とするものである。 歴史[編集] 発祥[編集] 起源としては、「精神的に苦しんでいる人の話を聴いてあげる」というかたちで、精神療法として正式に名づけられるよりも先に、古くから人間社会のなかで自然に存在したと思われる。 定式化[編集] 定式化された精神療法としては、19世紀末のジークムント・フロイトによるお話し療法、除反応、自由連想法、また同時代のブロイアーによるカタルシス療法などが創成期のものである。 一般には、自由連想法こそがナラティヴセラピーの原点のように考えられ

  • 文芸評論 - ポスト構造主義 - Wikipedia

    ポスト構造主義(ポストこうぞうしゅぎ、英語: Post-structuralism)は1960年後半から1970年後半頃までにフランスで誕生した思想運動の総称である。アメリカの学会で付けられた名称であり当時のフランスではあまり用いられなかった[1]。 「反」構造主義ではなく文字通り「post(〜の後に)構造主義」と解釈すべきであるが、明確な定義や体系を示した論文は未だ存在していない。ただしポスト構造主義者たちのアプローチは隠喩、主題、合理性といった古典的な概念に対する批判において一致しており、全体主義、父権主義、差別主義、自民族中心主義、啓蒙思想などを否定している。構造主義、ポストモダンとそれぞれ関係があり、現象学の影響を受けている。このため批評家のコリン・デイヴィスは「ポスト構造主義者でなく厳密にはポスト現象学者と言うべきである」と主張している。 代表的な思想家はミシェル・フーコー、ジャ

  • HugeDomains.com

  • ソーカル事件 - Wikipedia

    ソーカル事件(ソーカルじけん、英: Sokal affair)とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル[注釈 1]が、1995年[注釈 2]に現代思想系の学術誌に論文を掲載したことに端を発する事件をさす[1]。 ソーカルはポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成し、これをポストモダン思想専門の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載された。その後ソーカルは論文がでたらめな内容だったことを暴露し、それを見抜けず掲載した専門家を指弾するとともに、一部のポストモダン思想家が自分の疑似論文と同様に、数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用していると主張した。 論文の発表につづいてソーカルは、フランスのポストモダン思想家を厳しく批判する著作を発表し、社会的に大きな注目を浴びた。 事件の経緯[編集] ソーカル論文の掲載[編集] 1994年、ニュ

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