1999年3月18日、初代会長に村上が、会長代行に亀井がそれぞれ就任。 江藤・亀井派時代[編集] 江藤隆美 1999年7月に村上が自民党の参議院議員会長に選出されたことを受けて派閥を離れ、亀井が後任会長の候補に挙がるが、旧渡辺派から加入した山中貞則、中山正暉のような頑固者の重鎮が多く、ベテラン達を束ねる力がないと思った亀井は江藤隆美に会長を打診したが、「俺は金がない、だから引き受けられない」と断られ、亀井は「金は私が出します」と江藤を説得し、江藤が第二代会長に就任した。亀井は会長代行のまま実務を担当[3]する。2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙で櫻内義雄、原健三郎が引退し、前通産相の与謝野馨、政調会長代理の桜井新ら中軸メンバー、中尾栄一、木部佳昭、佐藤孝行、松永光、島村宜伸などの落選が相次ぎ、11人の大幅減となり、政調会長の亀井は「人数より中身が痛い」と漏らした[4]。選挙後の